夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

ブルートレインへの想い(後編)

1975年秋の夜行列車初乗車(ゆうづる1号)からカウントして1996年10月現在までの間に想い出夜行列車リポートという弊ブログのメインコンテンツにアップした乗車した夜行列車本数だけで383本もの夜行列車に乗って来た。当然資料不足などによる理由や最初からメモとか残していない頃の乗車も少なくないのでカウントしてない夜行列車の本数もあるから実際にはもっと(推定で400本くらいか?)乗ってるのだろうが不確実な数値は排除してある。乗車した期間でいえば1975年から1996年秋の21年間なので383本が尋常じゃない数も理解できるであろう。

 

1998年3月末にミニ周遊券・ワイド周遊券の廃止もあり、夜行列車の数も減ってゆくのだが様々な理由で夜行列車への乗車が減ってゆき、今思うとこんな道楽に嫁もよく許してくれたものだと感謝にたえない。前編では自分の人生とブルートレインとの関わりを中心に書いてきたが後編ではもっと趣味的に掘り下げてブルートレインと夜行列車全般との関わりや想いを描きたいと思う。ブルートレインに何で嵌ったのかと言えば初めて25形の「瀬戸」に乗車した時にブルートレインの暖かさみたいなのを感じたのである。扉が開いてデッキから客室に入るとホッとするような空気が流れていた。

 

暖かいといっても客車内の温度ではなく、体を包むような目に見えないフワっとした感覚と言ったら分かるだろうか?あと独特の車内の匂いが特徴的で偶々乗った「瀬戸」がデビューしたての25形だったので当然新車の匂いもしたけどそれとは違う安心するような心が落ち着くといえば理解してもらえるかな。その後に乗った「はやぶさ」「富士」の25形や「銀河」の20系に「紀伊」の14系、「出雲1号」の25形、「あけぼの」の24形などなど・・・同じ様な匂いがしたけどよく一緒に旅したM君曰く消毒薬の匂いではと言い出す始末。そういえば10系寝台車内の古びた車内でも同じ様な独特の感覚があった。

 

それに何たってブルートレインには心の安らぎがある、乗車するとほっこりする様なマッタリするような言葉では言い表わせないような感触があってそれが非日常的だからそう感じてしまうのだろうがブルートレインに乗ると普段は見慣れている筈の東京~浜松町間のオフィスビル群でもそうだし、「あけぼの」や「はくつる」に「北斗星」でもそうなのだけど見慣れた上野~赤羽界隈の景色も違って見える。自分は約20年という長い期間に北区田端にある社宅に住んでいた事があるため、日暮里・尾久・田端の町が京浜東北線、山手線、東北線から見る夜の景色とは違って見えるのである。

 

1回乗るとまた乗りたい魅力があるブルートレインだが知り合いが2004年にリフレッシュ休暇を6月上旬に5日間(前後の土曜日・日曜日を含めると最長9連休)申請して北斗星のB1ソロで上野~札幌往復するだけでも元が取れる「ぐるり北海道フリーきっぷ」を3枚使って行きつ戻りつの3往復(6泊)して「北斗星」に1週間弱住んだ男がいます。出発日が土曜日だったので差し入れを持って見送りに上野駅13番線ホームへ行ったのですが地上泊は0泊で北斗星6連連泊に命を掛けるとか大げさな事を述べてたけど14形のモバイルノートPCにAirH"(無線LAN)を持参して寝る前と翌日昼間にブログUPしていた。

 

世にも変な旅をして戻った彼から話を聞くと自宅の揺れないベッドではなかなか寝れないとか、数日後に同じグランシャリオチームに話のネタにされて恥ずかしかったとの事だが僕はそういう旅をするなら片道をトワイライトにするとかを選択したいけど思えば自分も経験してみたかった。北斗星連続6回乗車の彼でも1ヶ月もしないで北斗星乗りたい病になったそうで、やはりブルートレインはそんな魔力を持ってる列車だと思った次第。何事もやりたい時にチャレンジするのがいいみたいだが旅の目的もなく、北斗星やトワイライト移動のみのクルージング感覚で往復するファンは少なくないようです。

 

夜行列車の楽しみは人それぞれで点と点を結び移動とか考えない人もいるし、夜行列車移動以外に観光や乗りつぶしを楽しむ趣旨の人もいる。かくいう自分が始めてブルートレイン「瀬戸」を乗りに行くのが目的で帰路の夜行(急行鷲羽)まで時間があったので岡山・倉敷ミニ周遊券伯備線(倉敷~総社)、吉備線(総社~岡山)、赤穂線東岡山播州赤穂)、や片上鉄道・下津井電鉄などを乗ったに過ぎないので夜行列車を乗りに行くという行為が目的そのものであった。

 

そんなオイラの人生を変えたブルートレインや夜行列車について色々述べてきたが趣味の友達や知人、仕事関係だと上司、同僚、後輩、更に出張先の顧客やクライアントなどからよく質問される事が今まで長年乗って来てどの列車が良かったかという質問。これは難しい・・・その時の体調や環境によって大きく変わるから一概に言えないのである。車窓でも冬の雪景色に初夏の新緑、秋の紅葉もあるし、混雑度に寄っても違う。更に開放B寝台だと他人のイビキ等に悩まされてよく寝れなかったとか様々な環境要因があるからどれが良いとか順位を付けるのはかなり難しい。

 

ブルートレイン乗車は総じて楽しめたけど夜行列車全般で考えると座席夜行で寝れなくて苦痛にしか感じなかった列車も少なくなく、夜行列車折り返し(キックターン)で乗った急行利尻・大雪・立山とか大垣夜行沼津駅返し(のちの富士駅返し)は途中駅で下車するので寝れない事が殆どで夜行列車折り返し関係なしに途中駅で降りる時も当然寝れないのが当たり前になるから苦々しい想い出として残っている。それでも結局は楽しいから乗っている訳で自分にとってどの列車がいいか?ではなく、想い出に残ってる列車に軍配を上げたいような気もしなくもない。

 

ちなみに1975年からブログの最新記事(1996年10月まで乗車)でアップしたブルートレインというよりも寝台特急の乗車回数を挙げてみたい。因みに特急「おおぞら」や「オホーツク」みたいにキハ183系に14系寝台車を挟んだ座席車連結の特急寝台や寝台専用急行「銀河」「天の川」に特急か急行か分からない「カートレイン北海道」は除外してあるが電車寝台と客車寝台両方で運行した「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」の583系は含める事にした。列車名での種類は19種類、1番多く乗車したのが24回の「北斗星」、2番目は12回乗車の「あけぼの」と「北陸」、3番目は9回乗車の「出雲」。

 

4番目は8回乗車の「はくつる」、5番目は6回乗車の「ゆうづる」「瀬戸」「あさかぜ」、6番目が4回乗車の「富士」、7番目が3回乗車の「はやぶさ」、少数派では1回しか乗る機会が無かった「紀伊」と「日本海」だがヒルネ利用等は全く含まれていない。集計すると漏れがあるのか少ないように思えるが、しかしこれは単なる結果であり、実績なのでただ乗ったという事であってそれ以外に何もない。同じ系式で同じ区間を走る寝台特急でもそれぞれ個性があるし、編成や連結している設備車両が違えば別物に見えてしまうのがいい例である。

 

次はもっと乗りたかったけど意外と乗車回数が少ないブルートレインの話題でも始めましょう。国鉄時代で日本食堂長崎営業所が担当していた食堂車が連結されていた「さくら」や日本食堂門司営業所が担当した食堂車が連結されていた「あさかぜ」「はやぶさ」「富士」は乗車回数が意外と少ない。自分にとって東京発着ブルートレインは"食堂車"というファクターが大きかったし、個室寝台車の連結よりも重要視していた。しかし国鉄の分割民営化で運営営業所も上野営業所と新博多営業所に変わり、メニュー内容も大幅に減って内容も陳腐化が進んで特に上野営業所持ちの食堂車を担当するブルートレインは酷いものである。

 

ブルートレイン最後の話題になった、最後は個室・・・初めて個室に乗ったのは1984年1月に九州旅行の帰路に乗った1人用A寝台個室でまだシングルデラックスなんて言葉がなかった時でオロネ25-12の増備車だった。偶々帰路の「あさかぜ4号」・B寝台下段が取れなくてキャンセル待ちで網に掛かった席。当時は個室に乗りたいとかの趣向は無くて2段ハネの下段で上等だと思った。次は「さくら」と「あさかぜ4号」で行きと帰りに乗った4人用B寝台個室カルテットでその次が24系「ゆうづる」に連結されていた2人用A寝台個室のツインデラックスだった。

 

ツインデラックスはその後中古車として「北斗星」に連結されたのは記憶に新しい所だが思えば色んな個室に乗った。B個室だとソロ・デュエット・シングルツイン・ツイン・A個室だと・ロイヤル・夢空間エクセレントスイート・スイート・カシオペアツイン・デラックス・などなど。トワイライトやカシオペアの展望スイートにも乗ったけどデビュー間もない24系25形100番台の「瀬戸」(1977年10月)に始めて乗った(ブルートレイン初乗車)した時の感動と感激には勝てなかったと思う。好みや価値観は年々変化があるし、一言では語れないけど「ななつ星in九州」にも乗ったけどあれは私が思い描いてきた夜行列車とは違うように思える。

 

結局僕がブルートレイン大好きになったのは1977年10月「瀬戸」乗車がキッカケであり、あの時に「瀬戸」へ乗らなかったら63歳までブルートレインや夜行列車に拘らなかったかも知れないし、こればかりは現在の自分にも答えが出ない様である。来週からは通常どおり「想い出夜行列車リポート」1996年10月分からスタートします。※本文で1975年から1996年秋までの期間で乗った夜行列車本数を挙げたのは弊ブログのメインコンテンツとなってる想い出夜行列車リポートが1996年秋乗車分まで書き上げているための集計値だからです。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★