夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 出雲1号(B寝台)

1996年9月30日(月曜日)、 東京駅9番線で浜田行きの寝台特急「出雲1号」の入線を待っていた。急な島根県出雲市への出張で始発の飛行機(羽田7:55発「JAS271便」9:15出雲市着)なので相手先の会社へ朝9時に到着する事は到底無理なのでこの様な時は寝台特急の利用が効率よくて便利である。18時まで残業してからみどりの窓口で「出雲1号」の禁煙B寝台を申し込むとMR任せだと米子からヒルネになる4号車を優先して発券するのだがヒルネは避けたいので出雲市駅で切り離される5~11号車の禁煙車下段指定で席番は数値を大きい数にて8号車14番下段をゲット、乗車券も含めてViewカード決済。

 

夕飯がまだなので弁当を買ってホームに上がると「出雲1号」が入線したので8号車のオハネフ25-127に乗車して牽引機を確認すると田端運転所のEF65-1112をチェックしてからホームで缶ビールや飲み物を購入して車内に戻った。指定席は3号車の3番から売っていくルールなので8号車の14番という車両の端(しかし台車の上ではない)なので空いてるだろうとアタリをつけたのだが定刻18:41に東京駅を発車しても8号車には誰も乗って来ないのは驚きである。月末だし、どこの企業も期末(1996年上期の期末)なので出張も少ないのかも知れない。

 

流れ行く都会のオフィスビルの明かりを見ながら「出雲1号」に乗るのは本当に久々で「出雲3号」なら出張で2年前の1994年に乗っているが「出雲1号」ともなると10年以上前だと考えていたら米子車掌区のレチが回ってきたので出雲市までの指定券+乗車券を渡すと「ご乗車有難うございます」と慇懃に挨拶したので乗車率を聞くと約半分との事、途中駅で団体でも乗って来るのだろうか?。缶ビール片手にチキン弁当を食べ終わると多摩川を渡り、川崎駅を通過。ホーム売店で買ったカップ入りの氷にウィスキーを流し込んでチビチビ角瓶のロックを楽しんでいると横浜(19:05-06)に到着。

 

乗車しているオハネフ25-127は1976年10月から品川客車区で「はやぶさ」「富士」「出雲」で長年使われて来た客車だが「あさかぜ1・4号」の廃止で再編されて1994年12月3日付で尾久客車区へ転属になったグループで「出雲1・4号」の他に臨時「エルム」の運用や「北斗星」(主に6003レ・6004レ)に使用されている車両である。もっと早い時間帯に出雲空港行きの便があったり、空港まで松江駅出雲市駅から1時間以上の時間を要してなければ寝台特急「出雲1号」の利用は認められない訳で翌日休日の帰路はともかく、出張移動で下りの夜行列車長時間乗車は例外を除いて難しい時期になっている。

 

5号車の売店(オシ24-703)へ行くと電子レンジでチン♪の焼売とたこ焼きがあったので前者を購入してカップ氷の氷へ角瓶ポケットを流し込んで熱々の焼売をツマミに飲んだが5号車移動中に乗車人数をチェックしたけど半分以下の乗車率。日本食堂・米子営業所が担当していた食堂車の想い出があるので星空バー風食堂車やオリエント急行風の食堂車でも内容やサービスが劣化した1987年以降の食堂車にあまり魅力は感じないけど懐かしい。劣化したとはいえ、トンカツは厨房で揚げていたし、今では売店と車内販売基地のようになっているが老朽化も酷く、寂しさを感じてならない。

 

小田原駅を通過すると街の灯りも急に減って海沿いを走っているのであろうが早川~根府川の玉川橋梁や根府川~真鶴の白糸川橋梁の走行音で分かり、石橋・米神・片浦・江之浦・真鶴などにある隧道に入る音で分かってしまうのは同じ神奈川県民(就職するまで川崎に在住して母方の祖母は保養で真鶴に住んでいたためとブルートレインや臨時に貨物そしてサンライズ撮影で当地に何回も足を伸ばしてるため)なのであろうけど酔いながら自分に可笑しくて苦笑してしまう、千歳川(県境)を渡り、静岡県に入って泉越隧道を出ると列車は熱海(20:09-11)に到着。

 

しかし8号車の乗車は僅かのみで2分停車を終えて発車すると来宮駅の横を通って伊東線と別れると丹那隧道に入ったがこのトンネルは着工から開通まで17年間の月日と犠牲者67名の尊い人命が失われた難工事だった。工事開始時期は電気も削岩機もなく、高圧な大量湧水に落盤に火山帯や断層も多く、温泉余土(温泉熱で変質した溶岩や岩塊)など悪質な地形に阻まれて工事中の北伊豆地震の影響もあってトンネル崩落も多くて大正から昭和にかけての難工事として世界的にトンネル土木学では有名。丹那隧道を出ると沼津(20:28-29)に停車。

 

ウイスキー角瓶6us fl oz(180mg)も全て飲み終えて寝具のセッティングを行い、横になって十数年ぶりに乗った「出雲1号」の事を考えながら過去の想い出に耽る。ジョイントを刻む走行音に時たま聞こえるEF65PFのホイッスルを聞いていると自分が夜行列車で旅先に向かってる高揚感と懐かしい鉄道浪漫のよき想い出がクロスフェードするように己の過去と現在の狭間を行き来している。酔いに任せて寝具に潜ってカーテンを完全に閉めて寝台ランプを消してジョイント音と機関車が時おり吹く、注意喚起のホイッスル音を聞きながらいつしか寝てしまったようである。

 

以下は就寝中の停車駅と時刻・・・静岡(21:10-11)・浜松(22:06-08)・名古屋(23:21-25)・米原(0:23-25)・京都(1:16-24)・福知山(2:53-56)・豊岡(3:54-56)・城崎(4:07-07)・浜坂(4:51-51)・鳥取(5:26-28)・倉敷(6:05-06)「米原と京都は運転停車」。昨夜は静岡到着前に寝てしまい、朝は6:00に起床したので倉吉駅は横になったまま起きていた。山陰海岸の海の青さと松の色が作る色彩も餘部橋梁も夢の中、電化区間伯備線と合流すると伯耆大山駅を通過して山陰線も電化区間になり、境港線と合流すると米子(6:53-7:09)に到着・・・16分停車なので朝食の弁当を探しに行くと幕の内系弁当がない。 

 

1番線ホームに面した一番大きな売店へ行っても置いてあったのはかにすし(1000円)、牛めし(820円)、大山おこわ(820円)などで高め…かにすしは城崎、浜坂、鳥取、松江、出雲市の各駅でも900円なのにと文句言いたいけど大山おこわと暖かいお茶を買って牽引機を確認すると米子運転所のDD51-1177で久々に見る原色DD51+ブルートレインの姿に惚れぼれして機会を見て久々にロケーションの美しい場所で撮影したいものである。米子を発車すると車窓に中海が広がり、大山おこわを頂いていると安来(7:18-18)到着。冷えてるため、やや硬めだけど久々に食べたらやはり美味かったので満足。

 

そういえば以前、出雲1号は荒島駅運転停車したと記憶しているのだが今は通過みたいで松江(7:37-39)に到着。流石に島根県の県庁所在地駅だけあって下車する人も多いみたいだけど松江を発車すると車窓に宍道湖が見えてきたけど自分は下車準備などで忙しく宍道湖を見つめている暇はなかった。宍道(7:55-55)に到着すると次はいよいよ下車駅の出雲市だが結局自分の寝台の隣と上段両側は誰も来なかった。木次線と分かれて出雲平野から宍道湖に流れる斐伊川の橋梁を渡ると一畑電気鉄道の線路が近付くと下車駅でもある出雲市(8:12-21)へ到着。

 

出雲市駅は2年後の高架新駅と高架区間の建設中で1998年の新駅舎と高架ホームが楽しみであるが改札を出て駅前タクシー乗り場からタクシーで出張先に向かった。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★