夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 出雲3号(B1)

1998年もゴールデンウィークの季節がやって来た・・・僕は4月29日から5月5日までの7連休だけど前夜28日出発だと3日間も子供が学校を休ませる破目になるし、低学年ならともかく高学年なのでそれも出来ずに結局4月30日の夜出発して行先は家族旅行では5年ぶりとなる山陰地方へ行く。サンライズ出雲の運行開始で「出雲3号・2号」が1998年7月10日で廃止になるため、移動は「出雲3号」のB個室に決めて宿泊地は温泉津温泉、松江温泉、玉造温泉に1泊ずつして帰路は「出雲2号」のB個室で帰途につく行程を家族会議で決定。

 

個室は前回の家族旅行では席に座ると車窓が見えないと不評だったツインは辞めて嫁と子供希望どおりシングルツインの1人利用で3部屋キープするため3ヶ所のみどりの窓口でチャレンジするが5月1日発の下りは何とかなりそうだけど帰路の5月4日は混雑しそうで6部屋しかないシングルツインを3部屋キープは無謀とも言えるので最悪帰路のシングルツイン1部屋は補助ベッド適用2人利用になるよと忠告はしたものの、往復ともに10時打ち3ヶ所で奇跡的にシングルツイン1人利用で3部屋押さえる事が出来た。レール&レンタカーはゴールデンウィークは使えないけど周遊きっぷのレンタカーは割引かれるので出雲市駅扱いで予約した。

 

1998年5月30日(木曜日)、  家族3人で東京駅10番線ホームで寝台特急「出雲3号」の入線を待ちかねていた。シングルツインの個室は8番、9番、11番で3部屋取れており、既にジャンケンでどの部屋に入るか決めてある。結果は一番最初に負けた嫁は日本海が車窓から拝めない11番個室、ラッキーな事に僕(8番)と息子(9番)は日本海が見える進行方向右手の個室に決定済み。20:59に「出雲3号」となる編成がEF65PFにて牽引されてきたがこの機関車はこのあとに発車する「銀河」を牽引するので実際には「瀬戸」の回送を東京駅まで牽引した機関車が「出雲3号」の牽引機(田端運転所A56仕業)となる。

 

子供と先頭まで移動すると田端のEF65-1052が連結されており、確認をして売店で買出しを終えた家内と合流して乗車口でサボを入れて記念撮影していると発車1分前なので急いで車内に戻る。定刻21:10に東京駅を離れると3人で僕の部屋に集まるが(寝台から座席に戻しておいた)座席に2名座ると残り1名は狭い隙間に立つしかなく、身の置場がないけど立ちながら缶ビールを飲んで家族と雑談。一人旅だと車窓から流れる景色を楽しみながら飲むけど家族旅ともなるとそうもいかない。とりあえず20分でお開きにしてあとは各自の個室で楽しんでもらう事にした(オハネ14-303「米イモ」に乗車)。

 

車掌からもらった個室カードキーには淀江伯耆大山で撮影したDD51+14系ハネの「出雲1号」のカードで風景写真的だけどよく出来たカードだと思う。「北斗星」(緑色のは論外)「あけぼの」のテールマークデザインやトワイライトのエンブレムデザインにEF65PF牽引やEF66牽引の「あさかぜ3号.2号」はいいけど「瀬戸」の個室カードはパンタグラフが切れてイマイチだし「北陸」の個室カードデザインは意味不明。列車は六郷橋梁で多摩川を渡って神奈川県に入ると横浜(21:42-43)に停車して3号車にも乗客が乗り込み、シングルツインとツインに吸い込まれていった。

 

横浜駅発車して東海道線京口唯一のトンネルでもある清水谷戸隧道に入り、子供がいる個室へ行って横須賀線東戸塚駅横を超えるとこの先、東海道貨物線で貨物列車と並走する旨を教えてあげる。どうせ新鶴見機関区所属のEF200が牽引する1027レだと思うけど運がよければ東戸塚の先から戸塚~大船あたりで並走するのだけど子供と車窓を眺めていると戸塚駅の手前にある柏尾川橋梁当りで貨物に追いついて並走しながら走り、戸塚~大船間で牽引機のEF210が見えて「出雲3号」が、完全に抜き去った。

 

子供に今夜は早く寝ろよと釘を刺して自分も早めに休む事にする。なんせ4/29~30は朝4時半に車で出発して出雲2号や瀬戸などを撮影するために平塚~茅ヶ崎~辻堂の沿線で三脚を立て構えていたので早起き寝不足で眠いため、早々になった。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・熱海(22:39-41)・沼津(22:58-59)・静岡(23:39-40)・浜松(0:35-36)・名古屋*(1:50-52)・米原*(2:50-51)・京都(3:41-49)・綾部(5:08-09)・福知山(5:20-21)「*印=運転停車」。昨夜は22時には寝てしまったのと連日早起きの習慣が、付いてに起床して窓のカーテンを畳むと外はいい天気。

 

福知山を発車すると北近畿タンゴ鉄道の線路と並走して走り、上夜久野~梁瀬間で京都府から兵庫県へ入って進行方向左手には天気が良いと日本のマチピチュと呼ばれる天空の城で雲海に浮かんでいる竹田城跡(兵庫県朝来市)が遠くの山の上に見えるのだが今日は見えなくて残念。場所的に山陰線の線路から直線距離で3.5~4kmくらいあり、最寄り駅は播但線竹田駅なので早朝は山霧やガスに雲が出るとすっぽり隠れてしまう事が多々ある。コウノトリの里がある豊岡駅を通過すると湯の町情緒がある温泉に近い城崎「2005年から城崎温泉駅」(6:31-31)に到着。

 

子供は起きて来たけど家内は爆睡中らしいが寝台から座席に戻した僕の個室に子供を進行方向に向かって進む側の席に座らせて一緒に車窓を眺める。竹野駅(6:41)を通過すると日本海の青い海が見えてきたが一瞬だけが何回も続くチラリズムである。柴山駅を通過してトンネルから出ると香住の街と香住漁港が見えて来ると香住(6:56-57)に到着だ。さてここからが山陰本線の核心部である・・・下りホームから真下と正面に海が望めて松の色と海の色が映えてる鎧駅を通過してトンネルを出ると余部橋梁を渡り、眼下に余部の町と日本海が見えて橋梁を渡ると餘部駅(何で駅名が余部駅でないかと言えば姫新線に余部「ヨベ」駅があるため)を通過する。

 

流石に迫力ある余部橋梁に息子は凄い凄いを連発していたが7月から開業するサンライズ出雲山陽線伯備線経由なのでここを通過しないため、何とも残念。親子で狭いB個室の中から余部橋梁を渡る経験するのもこれが最後になりそうだ。列車は浜坂(7:18-18)に到着すると車内販売員が乗車したのでコーヒーを注文してひとつはやっと起きた家内の部屋にデリバリーしたが息子は小遣いで2号車の自販機で何か好みのドリンクを買って飲んでいるからいいや。車内販売には浜坂駅の駅弁も積んでいたけど朝食は鳥取駅で買う予定である。

 

浜坂駅を発車すると海沿いから離れて内陸の深い山の間を切り開く様に走ると滝山信号場(7:48)を定時で通過すると因美線の線路が、近付くと高架区間に入り、鳥取(7:53-58)に入線した。5分停車でアベ鳥取堂の売店で元祖かに寿し3個と暖かいお茶3個を抱えて戻り、各部屋に配るとあとは自由解散である。一緒に同じ部屋で食べれないのが残念だけど個室での快適性を優先したのだから致し方が無い。因み牽引機は京都駅で後藤総合車両場のDD51-1187だと子供から言われてしまったのだが弁当を食べ終えて先頭車に移動すると展望区画の貫通窓からは1187号機が確認できた。

 

鳥取駅を出ると湖山(8:04-06)の運転停車「特急くにびき2号とのすれ違い退避」を行い、泊~松崎で有名な撮影地を過ぎると白壁土蔵の町で有名で関金温泉・三朝温泉・はわい温泉・東郷温泉で有名な倉吉(8:40-41)に停車すると八橋駅を過ぎたところくらいから海沿いを走り、御来屋くらいから秀峰大山が見えて来るようになった。特に名和~大山口~淀江は列車の車窓から大山を眺めるにはベストであるが伯耆大山駅の手前で伯備線の線路が近付いてくるとまもなく米子(9:29-31)だ。2分停車なので子供2人で先頭まで移動して牽引機のDD51-1107(後藤総合車両所)を確認。

 

米子駅を発車すると中海が、少しだけ見えて安来(9:40-41)に到着すると今度は荒島(9:46-50)で運転停車(特急スーパーやくも10号とすれ違い)する。荒島を発車すると中海も間じかに見えて東松江駅を通過すると中海と宍道湖を河川で結ぶ大橋川沿いに進むと「出雲1号」で何回も出張で来た事のある松江市の中心地を通って松江(10:05-06)に入線した。半分以上の乗客が松江駅で下車したのは島根県の県庁所在地である事と観光需要が多い事なのだろうけど「出雲3号」に乗ると以外に出雲市駅まで乗り通す人は少ない。松江駅を発車すると日本百景にも選ばれている宍道湖が見えてきた。

 

宍道湖沿いにある宍道湖夕日スポットテラスが見えて来ると沖合いには唯一の島である嫁ヶ島が見えて宍道湖の景色を見ていると来待駅(10:18-18)に運転停車、特急「やくも12号」とのすれ違いである。線路は宍道湖から離れると宍道(10:23-24)に到着なので嫁と子供の個室へ一声かけて下車準備を始めるように伝えておく。宍道駅を発車すると備後落合駅まで延てる木次線の線路を分かれて更に西へ向かうが斐伊川橋梁を渡ると出雲市の市街地へ入り、高架線に入ると10:40、列車は定刻で高架駅へ変わった出雲市駅に到着した。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★