夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

時刻表と夜行列車

西暦2024年の新年が明けました・・・想い出夜行列車レポートは1998年12月をトレースしている最中ですが今日は別のネタで書いてみたいと思う。時代が平成から令和に移行するにつれてインターネットの普及とスマートフォンの普及で列車の時刻や乗換えに運賃計算は全てインターネットやスマートフォンのアプリで簡単に同時に運賃や料金も調べられて色んな候補というか代案も表示するので便利になったけど鉄道ファンには必要な入線時刻と入線番線に普通列車と快速と新快速が走る区間ではどこでどの列車に抜かされる等が分からない等,紙の時刻表でないと分からない事もある。

 

しかし従来からある紙製の時刻表「大型時刻表」だとそれらが簡単に分かり、編成表とか発売しているお得な切符の種類と価格まで分かるのでデジタル化した西暦2024年に於いても私は紙製の時刻表「JR時刻表@交通新聞社」は愛用してるけど通常はパソコンで見て出先ではスマホで見付けど旅のプランはJR時刻表を使うので書斎の机の上か机の引き出しの中に入ってる。時刻表との出会いは自分が小学生の頃で父親が出張で使って不用なのを貰って出会ったのが最初である。小型時刻表でその時刻表で夜行列車という夕方か夜に発車して翌朝目的地に到着する列車がある事を学んだ。

 

ただ小型時刻表は全ての駅が掲載されてなく、臨時列車は最初の黄緑色したページに纏めて掲載されているので定期列車との比較が面倒でやっぱり時刻表は大きいサイズが限ると学んで初めて時刻表を小遣いで買ったのが1970年。自分が11歳の頃で交通公社時刻表「大型」が当時200円したのだが、当時の小学生にしては価格の高い買い物で購入するまで何度も躊躇したものである。1970年当時の物価は牛乳25円、銭湯「大人」38円、週刊誌70円、お店で食べるラーメンが110円の時代だから無理もない!。購入した時刻表の表紙は白糸川橋梁「根府川~真鶴」をゆく157系特急あまぎであった。

 

1970年という年は大阪万博国鉄がDISCOVER JAPANというキャンペーンを始めた年でもあったけどページを捲ると最初が東海道新幹線「東京~新大阪」でその次が東海道線だったので最初に確認するのは東京10時台発の急行桜島から始まって夕方はさくらから始まるブルートレインタイム・・・更に急行夜行・普通夜行の時刻も記述があり。東海道線山陽線上越信越方面、東北・常磐方面、ページを捲る度に星空の旅情と青い流れ星の夜行列車の全てが詰まった時刻表に夢中になって学校から帰宅して宿題と夕飯が終れば寝るまで時刻表のページを捲ってまだ見たことない、そしてまだ乗った事ない夜行列車の旅情と浪漫に心ときめく夢を見ていた。

 

そんな時刻表を眺めながら夜遅く走ってる夜行列車のシーンを回想しながら時おり聞こえるEF65PやEF58が牽引する夜行列車の通過音を聞いてると一刻も夜行列車に乗りたくなるけど当時の中学生(1971年~1973年)には一人旅なんてもっての他でブルートレインを眺めに東京駅や上野駅ホームを1人で歩いていると家出人と思われて補導される事が多かった時代で、かくいう自分も補導されそうになったり、補導されたのだがトイレへ行くと嘘を付いて窮地から逃げ出した事も実際にあった。西は静岡駅、東は黒磯駅までは一人旅経験済みだけど夜行列車乗車はまだ未経験の中学生時代。

 

両親は夜行列車というのは治安が悪くてお前にはまだ早いという昔ながらの考え方で小学生高学年から中学生までは時刻表を眺めながらの空想旅行しか出来なかったけど高校に入るとクラスメイトM君「59歳で他界」との出会いもあって更に鉄道や時刻表に詳しくなって人生の初の夜行列車でもある1975年に寝台特急ゆうづる1号」に乗れるまで至ったけど確か1975年くらいに交通公社の国鉄監修時刻表が、200円から400円に値上げしたのは鉄道ファンであり、時刻表ファンでもある自分にとって痛手だった。山陽新幹線博多でページも増えて広告も増えたのが原因かと思ったけど詳細は不明。

 

時刻表では解決しない問題(特にルールが複雑な周遊券など)はガイドブックからも吸収して特に1973年か1974年に購入した実業の日本社『周遊券の旅』は旅の実戦でも役に立った。特に時刻表の均一周遊券では全く触れていないB券の"継続乗車船"のルール問題点が細かく描写されており、国鉄線区内の特例を知るのに交通公社の国鉄監修時刻表ピンクのページでは理解しかねる箇所もあって時刻表と併用して参考書として役に立つ書籍。"継続乗車船"の「船」とは国鉄路線に4箇所の航路(青函・宇高・仁堀・宮島)があって国鉄直営の連絡船を就航していたからである。

 

さて時刻表の話を続けましょう、1976年に始めて個人的な鉄道旅行として北海道へ行く事になって出会ったのが北海道に特化した時刻表です。交通公社の国鉄監修北海道時刻表を購入したかったけど当時住んでいた川崎駅周辺の書店には置いてなく、交通公社の支店にもなくて気が進まなかったけど唯一書店で売ってた弘済出版「現交通新聞社」発行の道内時刻表を購入。国鉄に限っては通常の時刻表には掲載されないローカル線の仮乗降場と時刻が掲載される程度だけど国鉄士幌線の新士幌駅みたいに道南時刻表にも掲載の無かった駅もあった嘘のような本当の話。

 

国鉄が分割されて民営化されるとJR北海道エージェンシー発行の北海道ダイヤばかり買うようになったし、JR化でJR公式時刻表が交通公社(JTB)から弘済出版の時刻表に変わったけど長年交通公社の国鉄監修時刻表を使っていたのだが弘済出版JR時刻表の見づらい事。2色刷も見づらい要因なのだがページレイアウト的に自分には向かなくてJTB時刻表にも入線時刻が掲載してたら交通公社「JTB」版を使っていたと思う。JTB版はインクの色が濃くて列車名がゴジック風で優等列車には縦のアンダーラインが引いてあるのでとても見やすく、老眼になった今ではJTB時刻表に変えようかと真剣に悩んでいる。

 

そんな時刻表も多い時では毎月お得な時刻表定期購読していた時期もあったけど年々購入回数が減り、春と秋のダイヤ改正号と夏臨掲載と冬臨掲載の年間4冊まで購入ペースが少なくなっていく。夜行列車が大幅に減った2005年以降は年間3冊に減って大きなダイヤ改正が行われる3月と10月しか買わない年も増えていき、春臨・夏臨・秋臨・冬臨の詳細は鉄道ダイヤ情報に詳細運転日、使用車両系式と両数まで記載があるので時刻表での臨時列車依存が大幅に減り、インターネットでの無料で見れる時刻も含めて紙媒体時刻表の利用価値が下がってきたのは否めない。

 

「時刻表と夜行列車」というタイトルのブログだけど思った事をExce打ちした文章(ブログの元となる文書作成)を読み直してみると夜行列車の登場があまりにも少なくてブログタイトル詐欺だと言われそうだけど自分が書きたい事・伝えたい事は全て文章にしたのでこの辺で終らせたいと思います。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★