夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

北斗星開業10周年を迎えて

このブログタイトルを見て「北斗星」なんて今から7年前の2015年には廃止になってるだろうと訝しんでる貴兄が多いと思う。確かに「北斗星」は2015年3月で廃止になったし、その後の臨時「北斗星」も2015年8月に完全廃止になっているが私のブログのメインコンテンツである"想い出夜行列車レポート"が現在1998年6月上旬をトレースしていたので開業10周年という訳なのである。そんな訳でタイトルで初めてこのブログまで来られた皆さんには誤解を生じる記事タイトルで申し分けない。

 

寝台特急北斗星」は1988年3月13日から運行を始めた訳であるが、当初私は「北斗星」の開業より同じ日に最後の航行となった青函連絡船廃止のショックが大きくて北斗星の開業は素直に喜べなかった。あれから10年の月日が流れて北斗星が27年間で廃止になるとは夢にも思わなかった。私の「北斗星」初乗車は1988年3月18日の「北斗星5号」で北斗星開業後最初の金曜日の晩でしたが、詳しくは弊ブログを読んでみてください(「寝台特急 北斗星5号(SA1)初乗車」でブログ記事検索やGoogle or yahooネット検索するとヒットします)。

 

では1988年3月18日から1998年6月5日(先週のブログで記事UP済)までに乗った北斗星の乗車回数をまとめてみましょう。1号「9回乗車」、2号「15回乗車」、3号「2回乗車」、4号「5回乗車」、6号「0回乗車」、その他「4回乗車」。合計41回乗車してその他は夢空間北斗星北斗星トマムスキー。下りでは一番多い1号だけどソロが3両に増えてからでそれ以前は仕事帰りに乗れる5号が多かったです。3号は仕事後に間に合わないのにソロ個室も少なく、下りでは一番少ない。上りではダントツ1位が2号、2位は4号で何と6号は0回(現時点では乗車してない)。

 

6号の乗車回数が0回なのは上野到着が11:12で昼近いのが原因で他意はないのであるが、札幌在住で仕事帰りでも間に合う人にはベストなダイヤだと思う。大雑把に10年間で乗車回数が、41回が多いのか少ないのかは分からないけど多い時は年間6回乗車が最高で少ない年は2回とバラツキが多いけど特に急行「八甲田」と「津軽」が、廃止(臨時へ格下げ)になる年はそちらへの乗車が多くて北斗星への乗車回数が少なかったのが原因。長年色んな寝台特急ブルートレインに乗ったけど「北斗星」ほど夢中になる寝台列車は無かった。

 

個室の種類が多くて個室が多く、食堂車が連結しているのが理由だけど実は会社毎に個室のデザインや装置・意匠が違い、更に登場年度ごとに個室の内装が違うので飽きないのである。1990年以降はロイヤルだけで5タイプあり、ソロも5種類あってグランシャリオディナーメニューも1994年か1995年くらいまではほぼ毎年メニュー更新があって最初の頃(1988年~1990年)は4種類のディナーが用意されてて乗る楽しみも多くて毎回楽しみであった。勿論ロビーカーやロビー室が連結されて車内での語らいも多く、出会いもあって従来の寝台列車とは一線を画す魅力が多かった列車でもある。

 

一番強烈な印象だったのは1988年3月18日に乗った北斗星5号(北斗星初乗車)の3号車2番(オロハネ25-501)のロイヤルで横幅160㎝の大きな窓に向いた邪魔にならない位置取り付けた白いランプシェード付きのテーブル。幅90㎝のベッドメイク済みのふかふかシングルベッドにデオドラオザー下のカーテンを開くと通路側の車窓まで眺める窓があってこれは凄い個室だと嬉しくなったが翌年までにJR北海道のロイヤルと共通化を図るべく、80㎝のベッドに補助ベッドを格納改造して個室レイアウトもJR北海道ロイヤルと同等になって興醒めした。

 

1988年3月の帰路に乗った「北斗星2号」のロイヤルは初めてだから乗ったものの、期待度は低かったけど東日本車ロイヤルに比べると窓が小さい(横幅118㎝)、ベッドも10cm狭くて一人用椅子も東日本車ロイヤルに比べると小ぶりであったが窓の横幅が42㎝も小さいのは車窓を楽しみにしている鉄道ファンからすれば問題だ。それほどにJR東日本の初期ロイヤル(1988年度限定)のインパクトは多かったが、両者(両社)の初期ロイヤルには欠点があった。オーディオスイッチと目覚まし時計などがモニターTVの下にあるのでベッドに横になると操作が出来ないし時計も遠くてベッドからだと確認できない点。

 

1989年に登場した北斗星5号・6号と北斗星3号or4号のJR東日本編成に投入されたオロハネ24-551 552 553 554とオロハネ24-501もJR北海道式のロイヤルで少しガッカリしたけど1990年に登場した北斗星1号・2号のSA1/B1の増備車でもあるオロハネ25-556 557 558は姿見鏡に摩周湖をデザインしてロイヤルの窓も少しだけ大きくなり、ステラリウムという装備も付いて若い二人連れの利用者には喜ばれそうだと気をよくした。新造車は上に書いたAVスイッチと時計など全てのスイッチ類をベッドに横になってても手が届く位置に改善はされている。

 

北斗星が世に出てから10年間はあっという間だったけどオールハネだった6003レ・6004レに個室や食堂車が連結されて5・6レや1・2レにSA1/B2(5・6レ)やSA1/B1(1・2レ)が連結され、個室が増えてJR東日本・尾久客車のスシ24がリニューアルされて両側4人テーブルが片側だけ2人用テーブルになって椅子も変更。更に尾久客車のスシ24では初となるテーブルにステンドガラス(透明)風のランプシェードが設置された。JR北海道編成の1・2レはオールソロやオールデュエットが増えて1号車と11号車のオハネフ25がBコンパートになると1997年に1・2レのオール個室が完成した。

 

簡単に北斗星の10年間を振り返ったけど他にも書きたい事や伝えたい事はあるけど長くなるのでトラブルも少なくなかった。北斗星開業3日目には6レが青函隧道内で牽引機のED79が電位差で過電流が働きトンネル内送電が停止。1994年6月には白河駅構内の貨物列車脱線事故で下りの全北斗星が、常磐線迂回。同年9月には東北地方の集中豪雨で東北線が抑止、そのため、北斗星1~5号は奥羽・羽越・信越上越高崎線経由で6号は盛岡打ち切り。色々あったけど自分的には原色だった空知運転区のDD51が、青い塗装になったのはショックを隠せなかった。

 

赤いDD51に青いマークが映えてこそだと思うのに青い色になって利尻、大雪、まりものマークも映えなくなってしまった。それに牽引機が客車と同じ色ってもヤラセ臭くて個人的には鉄道写真の分野ではヤラセとかネタとか嫌いなので最後まで専用機は好きになれなかった。自分の人生を変えた北斗星北斗星という列車を基に多くの友達が増えて知り合えた事は何よりもよかった事でもある。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★