夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

夜行列車における指定券の話

このブログは夜行列車の話しや過去に乗車した想い出の夜行列車レポートが中心だけど今回は夜行列車の指定券関連の話を中心に書いて行きたいと思う。1958年生まれの自分が始めてマルスと出会ったのは小学生の頃、家族旅行で東伊豆の温泉地へ行くために急行「伊豆」か「おくいず」に横浜駅から乗車する際に川崎駅の窓口で父親がマルスV?(だったと思う)で発券してもらったのが最初である。マルスVは活字棒と呼ばれたゴム印の様な物を係員が機械に突っ込んで印字するタイプでした。旧型マルスは70年代後半に北海道で再度お目にかかるが話は先に進めよう。

 

高校時代や大学時代は現在は故人となったM君と旅に行く事が多く、指定席は僕より何事も経験豊富なM君に一任していたけど一人旅の時は自分で指定席を確保したけど自由席主体の旅が多かったのは確か。指定席といえば乗車日の一ヶ月前(寝台特急などに接続する翌朝の青函連絡船下り便は1ヶ月と1日前発売の特例はあった)が当たり前だったけど実は1980年9月30日までは指定券の前売りは乗車日の7日前からだった。ただしマルス200系統(団体旅行専用のシステム)では団体枠の売れ残りを1ヶ月前に発売していたが絶対数が少なかったので確実に入手するには1週間前発売(マルス100系統)で一番にマルス操作してもらうのが確かであった。

 

初めて味わった挫折・・・1978年の年末に「ゆうづる5号」「青函連絡船5便」「おおとり」で冬の北海道へ行こうと計画を立てて朝5時に川崎駅みどりの窓口へ行けば余裕だろうと甘い考えで当日早朝に自転車で川崎駅へ行くと既に事前受付は始まっており、整理券を受け取ると受付番号は何とNo.14であった。12時過ぎに結果を見に行くと整理番号の黒板の数字の横にはチョークで×のマークが・・・完璧に敗北である。それ以来というものの駅や知り合いに聞いてリサーチ活動で川崎駅は4時50分から事前受付を開始して1番狙いで繁忙期や多客期は午前3時から並んで1番をGETするようになった。

 

更に指定券が取りづらい列車(寝台特急だと「はくつる」や「出雲」(後の出雲1号)のB寝台は通常期でも人気が高い列車で有名だった)を確保するために川崎駅でAM4:50に受付してもらったら原チャリで近くの南武線駅へ赴き、そこでも運が良ければ1番で事前受付をお願いした事もあったし、当時は交通公社などの旅行会社や駅の旅行センターでも指定券だけのお客も歓迎されていた。特に国鉄のN型端末と同等に性能がいい、交通公社自社の多目的指定席端末装置「TRIPS-Ⅲ」を武器に電話予約というサービスも展開いていた。

 

駅の旅行センターも知り合いがいれば便宜を図ってもらえたが指定券だけの客ではあまり言い顔はされなかったが自分は主任クラスの知り合いがいて出張の切符類や私用の指定券に周遊券などはたまた通勤定期までお世話になっていたので便宜を図ってもらえたが旅行センターからびゅうプラザに代わると指定券だけのお客は相手にされなり、時を同じくして日本交通公社からJTBへと社名変更すると「お受けはしますが同じ指定券をご希望のお客様がいたら宿・ホテル・レンタカー・帰路の飛行機を利用するお客様へ優遇するかも知れないかという釣れない返事だった(仕方ないよね)。

 

「豪華個室寝台運転開始・ベストポジション席押さえ戦争始まる」・・・1988年になると「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「北陸」の順に個室主体の列車が増えて特に北斗星は尾久客車区持ちと札幌運転所持ちとでは意匠やデザインなどに相違があって北斗星ロイヤルだけでも全5種類の部屋タイプがあり、少しでもいい部屋(新しい新造車で進行方向に進める位置の部屋でソロやデュエットになると1階部屋と2階部屋の選択肢も増えて10:00ジャスト操作(10時打ちとも呼ばれる)を数駅にお願いして10時打ちで取れた数枚の個室寝台券の中からベストな1枚を選ぶのが結構楽しかった。

 

色んな個室の列車が増えるとマルス操作も難易度が増してほんの一部の向上心がないアホ駅員どもの所為で本当なら取れる個室指定券が己の低脳さが現れた入力ミスで取れなかった悔しい思いを経験している(幸い別駅手配で取れてたが)。マルスM型だと列車名指定で北斗星北斗星(個)は後者を選び、次はA個室(ロコ)を選んでから個室定員の数値をモニター画面の個室定員(1)を入力してから通信キーを叩かないとYESかNOが表示する前に再考が表示する。多分アホな駅員は面倒だからw売り切れのNO対応をしてしまうのだと思う。再度プリセットしてもSA1等は既に瞬殺状態なのでアウト。

 

この件については能力の無い駅員を一番大事な1ヶ月前のジャスト発売操作に配置した管理部門の人災みたいなものだから再発防止策と謝罪を駅とJR東日本・東京地域本社へ文章で求めたら圧力で潰しやがったが、窓口駅員は端末知識がある若い人(マルスMのフォーマット画面で個室残席数や号車別の残席数を表示可能な窓口氏)を置いて10時打ちにはベテランが対応するようになったからクレームが反映されたか不明だけど、どんなに素晴らしいマルス端末でもそれを使う人間が正しい操作をしないと意味が無い事は伝わったみたいである(ヤレヤレ)。

 

このままグダグダ話してても(書いていても)キリがないので話を進めよう。津軽海峡線の開通で新型(と言っても実は旧式を改造して個室にしている)の個室寝台が増える中、自分にとっては一番有り難い存在だったJR北海道プラザの存在だ。東京、仙台、横浜、大阪などに出店して自分は暫く丸の内勤務だったので昼休みや帰宅する時によく使わせてもらい、仕事を抜け出して店舗へ遊びに行き趣味の指定券確保以外に出張の指定券や飛行機確保などのお世話になる。JR北海道プラザ東京支店は乗車日の2ヶ月前(つまり10時打ちをする1ヶ月前から店舗や電話で事前に受け付けていた。

 

特にJR北海道プラザ東京支店は北斗星ロイヤルやトワイライトロイヤルに北斗星トマムスキー、夢空間デラックススリーパーのエクセレントスイート(ES)も取れたし相性がよくて10時打ちをお願いする自分の中では№2くらいの位置であり、本当にお世話になった店舗でもあったが北斗星の定期列車が廃止になった頃に丸の内地下エリアの事業整備により閉店してしまったのは残念。テクノロジーの進歩で新型のマルス端末が登場したけど肝心要の夜行列車が減り、事前受付で10時打ちをしてくれる駅みどりの窓口も減ってしまった。

 

発券してもらった指定券でいろんなトラブルもあった・・・上り北斗星2号ロイヤルでタブってしまったり、この時の状況はyahooブログ「夜行列車の想い出」に詳しくレポートしているが偶々自分は入線前からホームの乗車位置に並んでいたのだが車掌判断で早く乗って指定券の発券日時も早かったのを理由に自分が先着権を取らせてもらったが他に日付が変わってから乗る青函連絡船のグリーン船室指定券を駅員が乗車日時を間違えて発券してしまい、本件は自分が翌日に気が付いて後日発行駅で発券し直してもらい解決した。

 

本文上から16行目に「初めて味わった挫折」として書いた始めて指定券確保に於ける挫折を味わったからこそ、狙った指定券は絶対に確実にモノにするという狂ったような執着で人気の寝台券や個室寝台券をGTEしてきたけど今思うとバカバカしく、情けなく大いに反省をしているのだがこの辺で本日分ブログ投稿の文末とさせていただく。

 

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★