夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 はくつる(B寝台)

1998年4月7日(火曜日)、 青森市内出張でクライアントの会社へ9時必着のため、飛行機だと青森空港行き始発便の日本エアシステム211便だと間に合わないので前夜の寝台特急はくつる」に乗車するために20時まで残業して勤務先近くの中華飯店で飲みながら夕飯を済ましてから上野駅へ向かう。15番線ホームの9号車乗車位置で入線を待っていると22:08に尾久からの回送11列車が推進運転で入線、オハネフ25-201の貫通扉を開けて推進運転士が目視確認しながら入線するシーンが見られるのは上野駅だけだ。扉が開くと9号車のオハネ25-38に乗車して指定された寝台に鞄を置いてホームに降りる。

 

先頭の機関車確認しに行くと青森運転所東派出所のEF81-136号機(ATS-P型搭載)でヒサシ付きのEF81は見栄ばえがいいと思う。因みに1998年3月改正までの「はくつる」は田端運転所のEF81が、牽引してたけど改正後から長岡運転所のEF81を一部青森運転所へ転属させて「はくつる」運用が変更になっている。「はくつる」のヘッドマークは恰好いいな~、ヒサシ付きのEF81に付けてるはくつるマークだと更に見惚れてしまうが、ホームの売店で缶ビールとツマミを買って車内に戻るともう発車3分前だ。上野駅を定刻22:23に発車すると缶ビールも開けて1人で乾杯する。

 

前回定期「はくつる」に乗ったのは1997年5月下旬で約10ヶ月振りの乗車となるが上野駅から夜行列車に乗車するのも久々で調べてみると1997年12月19日に乗車した寝台特急北斗星5号」以来となり、1998年始めての上野駅からの夜行列車乗車となった。EF81のホイッスルを聞きながらB寝台のコンパートメント(仕切った区画という意味)で走行音を聞きながらビールを飲むのは最高にいいと悦を感じていると大宮(22:49-50)に到着した。缶ビールも飲み終えて特にする事もないのでそろそろ寝るとするか?行く場所もないし、こう言う時は早寝に限る。

 

シーツを敷いて寝具をセッティングして浴衣に着替えて寝床に入って照明を落とせばレールを刻むジョイント音が夢路を誘ってくれる。年度末と新年度の切換で業務は忙しくて毎晩遅くまでの残業で寝不足気味なのですぐに睡魔が迎えてきてくれるので助かる。就寝中の停車駅と時刻・・・宇都宮(0:01-02)・黒磯*(0:41-50)・郡山*(1:38-39)・福島*(2:13-15)・仙台*(3:15-17)・一ノ関*(4:23-25)・盛岡(5:30-32)・一戸(6:24-25)・二戸(6:30-31)「*印は運転停車」。「はくつる」同士の離合は越河駅付近(11レ越河2:36・12レ越河2:38)で行われた様だが自分は爆睡中だった。

 

目が覚めたのは二戸発車後で7時間は寝れたので清々しい朝を迎えられたが流石に4月上旬ともなると車窓から雪景色は全て消えて春の雰囲気が伝わってくる。金田一温泉~目時の第九馬淵川橋梁を渡ると三戸(6:43-44)に到着して、剣吉~苫米地~北高岩の撮影地が見えてくると4~6月上旬くらいに青森運転所に転属した元長岡運転所のEF81が牽引する「はくつる」の撮影もいいなと思うけど下りメインが「はくつる」1本では無意味かな~と考えていたら列車は八戸(7:00-02)に到着。階段付近のデッキで待機してたので2分停車を利用して全力ダッシュで朝食の駅弁を何とか入手した。

 

流石にホーム自販機で缶コーヒーを買う時間まではなかったけどお茶は昨日上野駅でおーいお茶を購入しておいた。特製奥入瀬弁当(820円)という普通の幕の内弁当だけど大袈裟なネーミングの割に特色もないけど朝はそんな感じの駅弁で充分である。食後のコーヒーが欲しいけどお茶で我慢、せめて自動販売機くらいはつけて欲しいもの。そういえば八戸駅からヒルネ客が乗ってくる筈だけど我が9号車はヒルネ客も来なくて上段寝台でさえ誰も使った形跡がないし、利用されなかったノンゲストの下段寝台もあるくらいなのと3号車から売り始めるマルスの特性とホームを歩くのが、嫌なヒルネ乗客から毛嫌いされているのだろうか?。

 

25形-0番台は寝台側の窓が大きいため、景色も見やすくていいなと考えていたら列車は三沢(7:18-18)に発車して景色の遠くに太平洋と繋がっている汽水湖小川原湖が見えてきた。そういえば上野駅で「はくつる」の入線を見た際に白いラインだったのでオハネ24かと早合点しそうになったが、何でオハネ25-38のシルバーラインを白色ペイントで塗りつぶしてしまったのか不思議である。ステンレス製のシルバーラインは24系25形と14系15形が持つ唯一の証なのに腑に落ちない。三八上北地方を快走した寝台特急はくつる」は鉄道防雪林で有名な野辺地に(7:40-41)到着。

 

野辺地を発車すると次の停車駅は終着の青森駅なのでシェーバーで髭を剃って身支度を整えて下車準備だけしておこう。車窓から見える陸奥湾を見ながら浅虫温泉駅を7:59に通過して青森駅方面とそのまま奥羽線へ直通できる線路の分岐がある青森信号所を8:10に通過するともうかれこれ100回以上来ている青森駅へ定刻8:15分に滑り込んだ。もう1回だけ先頭でEF81-136の勇姿と朝日に輝くヘッドマークを目に焼き漬けてからタクシー乗り場へと急いだ。

 

今回乗車したオハネ25-38は華麗な転配歴を持ってる車両でもある。1974年3月18日に日本車輌製造で新製されて向日町運転所に配備されると1974年4月25日から「あかつき」「彗星」「明星」「つるぎ」「なは」の運用に就いて1985年3月14日に品川客車区へ転属。品川客車区では「はやぶさ」「富士」「出雲」「あさかぜ」用の客車として受け持つが、1986年3月31日付で秋田運転区へ転属して「あけぼの」「出羽」「ゆうづる」の運用に入る。しかし1986年11月1日には品川客車区へ戻って「あさかぜ」「出雲」用の客車として扱われるが1991年3月26日に青森運転所へ転属して以降「鳥海」「出羽」「あけぼの」「日本海」「はくつる」等の運用に入る。

 

そのまま青森運転所(後の青森車両センター)で定期「あけぼの」用の客車として残って余生を過ごし、2014年12月12日に廃車扱いとなって土崎工場で廃車されている。客車として40年間、南は「明星」で西鹿児島駅まで!北は臨時「カートレイン北海道」にて白石まで鹿児島県から北海道まで太平洋経由と日本海経由でひた走った車両であった。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★