夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 鳥海(B寝台)

1997年1月13日(月曜日)、 上野駅15番線で青森行きの寝台特急「鳥海」の入線を待っていた。今回は弘前市にある企業への出張で弘前駅までの利用だ。飛行機だと青森空港まで始発便でも到着が9時を過ぎるので使えない。指定券などは昼休みに確保したので20時まで残業してこの時間帯でも数種類の駅弁を扱っている東京駅新幹線コンコース側の売店でまだ残っていたチキン弁当を買って上野駅15番線ホームへ移動した。案の定上野駅にはチキン弁当を置いてる店舗はなく、残ってても1000円クラスの駅弁ばかり。

 

 因みに乗車券は翌々日が祝日(成人の日)なので帰路も「鳥海」か「あけぼの」で帰る腹積もりもあったので東北線奥羽線経由で都区内~弘前間を往復乗車券(17420円)で購入しておいた。21:06くらいに尾久客車区からの回送2021レが推進運転で接近してホーム尾久寄りから推進運転用の携帯ライトを輝かせて、1号車を先頭にテールマークと尾灯を灯しながら入線。オハネフ24の貫通扉を開けて推進運転士がポータブルのブレーキ装置に手をかけながらEF81に乗務した本務運転士と無線で連絡しながら推進運転で入線して来るシーンは定期列車では「はくつる」「北斗星」「北陸」「あけぼの」「鳥海」でしか見れない。

 

入線して扉が開くと早速1号車(オハネフ24-21)に乗車して指定された12番下段に荷物を置いて牽引機を確認しに行くと長岡運転所のEF81-136であったが、最後尾1号車へ戻る際に売店で缶ビールを2本購入して車内に戻ると発車まで5分を切っていた。指定券を購入する際に一番空いていそうな禁煙B寝台である1号車のボックスがまだ誰も買われていない席をキープしたのだが1号車は尋常じゃないない数のB寝台が売れ残っているけど翌日が平日だから仕方が無い事である。21:23に上野駅を発車するとすぐに秋田運輸区の車掌が登場して乗車券と特急・寝台券を提示すると早速遅い夕飯だ。

 

ビールをひと口飲んだ後にチキンをツマミにビール飲んで残ったオカズとチキンライスで〆の夕飯を済ませて自分以外誰もいない、B寝台区画で夕飯をそそくさと済ませて備え付けの浴衣に着替えて最後尾となる1号車・車掌室横の展望スペースで後方へ流れゆく夜景を眺めていると大宮駅(21:49-49)に到着。そういえば2ヶ月後の1997年3月22日ダイヤ改正寝台特急「鳥海」は廃止になる。これは東北線陸羽東線奥羽線経由だった寝台特急「あけぼの」が高崎線上越線羽越線奥羽線経由に変更されて「あけぼの」に統合される形で廃止になるのである。

 

そもそもは「鳥海」は2往復走っていた「あけぼの」の分身で、福島~米沢(板谷峠)の新幹線を通す軌道強化等や山形新幹線開業でルートも変わって名称も変更になった歴史がある。大宮を発車しても1号車は下段さえ空席が目立ち、時間も22時になるので今夜は早めに休むとしよう。ベッドに横になって「鳥海」という列車の想い出を遡ってみると初めて夜行急行「鳥海」乗ったのが1976年で10系寝台に旧型客車を連ねた編成だった。2番目の「鳥海」は1983年に485系12連の食堂車も連結された特急「鳥海」に青森から上野までフル乗車して食堂車も利用した(1985年3月の583系代走は乗る機会を得なかった)。

 

なんて「鳥海」の思い出に浸っていたらいつの間にか夢路を辿ってしまった様である。就寝中の停車駅と時刻は以下の通り・・・高崎(22:50-53)・水上*(23:42-44)・長岡*(1:04-06)・新津*(1:43-45)・村上(2:49-50)・あつみ温泉(3:37-37)・鶴岡(4:04-08)・余目(4:22-22)・酒田(4:37-40)・遊佐(4:49-49)・象潟(5:14-14)・仁賀保(5:24-24)・羽後本荘(5:38-38)「*印は運転停車」。目が覚めたのは秋田駅到着10分前で朝ごはんをどこで買うか迷っていたが流石に7:59の大舘まで待つのは辛く、自分は弘前駅下車なので食べたらすぐに下車する感じて気分的にはノラないけど秋田駅で買うしかないのかなって感じ。

 

秋田(6:15-18)に到着すると駅弁売りを見つけたがやはりこの時間帯は「あきた小町弁当」しかないのだろうなと諦めの境地で覘いてみたら何と「牛めし」が4個だけあるので即、牛めし弁当を購入して温かいお茶と甘くない缶コーヒーも求めて車内に戻る。下り寝台特急「鳥海」は秋田~青森間がヒルネとして立席特急券でも乗れるけど端っこの1号車は誰も乗って来ないし、上段寝台もノンゲンストなのでハシゴ折り畳んで甘くない缶コーヒーを飲みながらまったりしてから買った時は冷たかった関根屋の牛めしも車内室温に慣れてきた頃なので暖かいお茶と頂く事にする(久々の牛めしは美味しかった)。

 

寝台特急「鳥海」は八郎潟(6:42-43)・森岳(6:58-59)・東能代(7:11-14)と停車して7:00の日の出時刻を過ぎるとようやく朝らしくなってきたけど1号車は相変わらず人が少なくてヒルネ客も乗ってこない。この時期は積雪でホームの端は完璧に除雪していない場所もあるのが原因なのかも知れない。流石に奥羽線だけあって雪の量もハンパないけど今のところは定時運行されているから助かる。米代川橋梁を渡ると二ツ井(7:29-29)に停車すると更に雪深くあって秋田内陸縦貫鉄道(旧国鉄阿仁合線)の線路が近付くと「みちのく」の小京都こと鷹ノ巣(7:40-41)に到着。

 

鷹ノ巣駅を発車すると進行方向右側に米代川を沿って走るが雪景色での川沿いを行くシーンもなかなか良くて東北線と違って奥羽線は変化が多くて車窓が楽しめる区間であるがやがて米代川とも離れて花輪線の線路と交わると大舘(7:58-59)に到着した。大館駅では名物"鶏めし"のホーム販売もいたけどお腹は満たされているので今回はパス。大舘を発車すると白沢~陣場の有名な撮影地でもある下内川橋梁を渡り、更に矢立峠を進み、津軽湯の沢駅手前で秋田県から青森県を入るが、流石に峠区間の積雪は多くて雪国の車窓を十二分に楽しめた。

 

区間では一部吹雪いた区間もあるので1号車の車掌室横の展望区画へ行くと金網入りの窓ガラスには案の定雪がベッタリ付着しており、真っ白で展望出来ないのが残念だけどデッキに続く展望区画はもの凄く寒いので席に戻った。やがて列車は碇ヶ関(8:20)を発車して碇ヶ関長峰でも少し吹雪いて大鰐温泉(8:29-29)に到着。弘南鉄道大鰐線の元東急の車両も見えて懐かしいが次の駅が自分の下車駅なのでネクタイしてスーツとコートを羽織って出張用鞄と菓子折りが入った紙袋(会社が用意)を手元に置いて到着を待つが弘南鉄道弘南線の線路が近付くと弘前(8:40-41)に到着である。

 

2ヶ所で吹雪かれたのに定時到着とは恐れ入るがホームに降りてオハネフ24-21を見ると全面雪に覆われて笑ってしまったが改札を出てからタクシーで出張先の企業へ行った。

 

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★