夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

中央線・臨時夜行快速 8421M

中央東線を走る臨時夜行快速列車「8421M」が危ないという話は1998年に入って直ぐに内外関係者から話は漏れていた。中央東線の普通夜行列車の長野行きはまだ旧型客車だった425列車・426列車から始まり、その後115系に変わって441M・442Mで新宿⇔長野を結び、上りが廃止されると更に441Mは上諏訪止まりになって441Mが、421Mに変わると深夜の甲府駅列車番号が変わる(1521M)けど列車自体は終着駅まで運転され、定期普通夜行列車時代は終わりを告げて本列車「臨時快速8421M」のみになった。

 

1998年3月20日(金曜日)、 長野冬季オリンピック期間中、五輪輸送の一環として臨時・夜行快速「8421M」は1日毎に運用(2/8.10.12.14.16.18)していたが本来の春臨運用があるのか心配していたら3/20と5/1に運転があり、5/1が実際の最終運転日になってしまったのである。1998年は春分の日が土曜日と被って3連休にならないけど青春18きっぷもあるので子供を誘ってみると行くとの事で親子で新宿駅7番線ホームで待つ。発車1時間前に7番線ホームの乗車位置には僅かな人数が並んでいたけど一番先頭号車、つまり大久保駅よりの号車には誰も並んでいないのでここで待つ事にした。

 

少なくとも分かってる事は豊田電車区115系9連で編成はTC M' M T M' MC+TC M' MCである事は調べて分かっていたけど6M3Tの9連編成の先頭がTC151&MC115のどちかが来るのかは過去の乗車データーでしか分からないけどモーター音が煩いM M' MCは避けたいのでTC車狙いであった。回送となる回8421Mは豊田駅を23:12に発車して新宿には23:50に入線するのだが入線した編成を確認すると例によって号車札が差し込まれていないのは何故なのだろう。乗車したのは豊田電車区のクハ115-398で進行方向右側のBOX席に落ち着いて席をキープしてから飲み物も補充しておく。

 

子供にとっては近郊型電車(115系)の夜行列車は始めての経験なので落ち着かないけど夜行列車らしくない車内デザインが関係しているのかも知れない。新宿駅からだと何回か快速「ムーンライトえちご」などに乗ってるけど初めて乗る115系は夜行列車の雰囲気が薄いのだと思う。ホーム上のコンコース売店で飲み物を買って息子用にポカリスエットの500mlPET bottleを渡していると8421Mは23:59発なのに何故か1分遅延して0:00ちょうどに発車した。今回は撮影メインでないけど念のために銀塩一眼レフボディ1台に単焦点レンズの50mmと85mmにポジフィルムは汎用性のあるPROVIA-RDPⅡを装着。

 

1分遅れだけど新宿駅を発車して快速線を快調に走ると中野駅三鷹駅を通過して立川(0:33-34)に到着すると豊田電車区の脇を通過すると八王子(0:45-45)に停車した。先頭車であるクハ115-398はあまり旅客が増えないままに深夜の中央線を快調に飛ばして高尾(0:52)に到着。横須賀線色した115系の夜行列車は僕の大学生時代から馴染みがあって詳しくは2022年1月31日の弊ブログ「1978年の時刻表から・・・中央線夜行列車」の441Mのコーナーで書いていますけど入線時間が発車時刻の2時間25分前という早さから見送りがてらこちらも一緒にBOX席に収まって飲んでしまう事が多かった。

 

高尾駅で快速や特別快速区間(深夜の設定はない)が終ると中央東線中距離電車線というイメージで臨時夜行快速8421Mに乗るのは最後のチャンスなので寝る時間を惜しんで楽しんでいるけど115系には全く興味がない息子(小学校5年生の長男)は誰も座っていない3人掛けのロングシート高尾駅からC寝台と言いながら早々と寝てしまった。確かに115系シートピッチは狭く、見た目は横須賀線総武快速線と同じで、寒冷地及び雪対策と急勾配での抑速ブレーキの有無しか無いと思われるし、色こそ違えど高崎線宇都宮線で走ってる電車と同じだから興味が沸かないのも仕方がない。

 

僕でさえ同じく115系で走っていた上野発の長岡行き733Mは1回か2回しか乗っていないは興味がないのと中途半端な睡眠で寝れなくて翌日が辛いため乗りたくないのが本音だけど小出駅からの只見線始発電車(426D・会津若松行き)や宮内駅からの米原行き旧客522列車に乗るために致し方なく乗っただけでまた乗りたいかと問えばNOである。ただ自分は学生時代の頃から441M長野行きへの想い出が多いだけであり、息子にとってはこんな列車に乗らされるのは迷惑かも知れない。なんて昔の想い出を頭に描きながら減光もせずに車窓が見えないけどこれが最後の乗車だと意識だけが先行して自分も寝てしまう。

 

以降は就寝中の停車駅と時刻・・・大月(1:29-30)・塩山(2:05)・甲府(2:26-28)・小淵沢(3:16-20)・茅野(3:44)・上諏訪(3:51-56)・岡谷(4:06-11)・塩尻(4:22-34)。私自身、目が覚めたのは塩尻発車後で目を開けたら息子がコンビニおにぎりを食べているので塩尻12分停車時に駅前のコンビニへ買いに行ったのかと勘違いしていたのはまだ頭が寝ている証拠で息子が私の好きな焼きタラコのおにぎりをパクパク食べながら昨日夜のに家近くのセブンで買ったのだといいながら2個目の鶏めしおにぎりをパクついてる。私のは無いのかと問えば自分のしか買ってないとの事で随分薄情だけど何も買わなかった私が悪い。

 

次の停車駅は終着駅の松本駅だけど何でこんなに早い深夜というか未明の4:45に到着するのか理解出来ない。すぐに接続のある上り大垣夜行(344M、340M、372M)の東京着やかつて走っていた中央線普通夜行441Mの上り442Mならすぐに待てば接続列車が来るけど松本駅で4時台で降ろされても行く場所も乗り換える列車もなく、せめて5:45着とか6:00着だと助かるのだけど運行本部は嫌なら乗るなって言われそうだ。なんていいながらも臨時快速夜行8421Mは所定時刻4:45に松本駅へ入線するが、篠ノ井線は6:26まで、大糸線は6:07まで始発電車への接続が悪すぎる。

 

8421Mで走った115系は豊田電車区へ向けて、4:54に回9432M~回9442Mで回送され豊田に16:50に到着するのだが何と下諏訪駅で7時間2分停車、甲斐大和駅でも1時間停車するのが笑えてしまう。さて未明の松本駅で追い出された我々親子は大糸線の接続まで時間があるのでコンビニを探してサンドイッチ類と温かい飲み物を購入してイートインで食べて駅へ戻り大糸線の列車ホームへ向かった。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★