夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

快速 ムーンライトえちご

1998年1月10日(土曜日)、 磐越西線の撮影が終り、早々に村上駅へ到着後駅から徒歩5分の遅くまで営業してそうな中華飯店へ行き、中華銘采をつまみに瓶ビールで乾杯するが美味くて飲みすぎてしまう。最後にラーメンと炒飯(炒飯のみ2人で分けた)で〆て会計をする時にはお店の暖簾は外されていた。快速「ムーンライトえちご」の改札が始まるまで村上駅の待合室で過ごすがN君曰く、高崎駅手前で目が覚めたら明日の高尾臨を八高線非電化区間で写すかも知れないとの事。自分はDD51の500番台(501~799・1001~1193)は好きだけど、800番台(801~899・1801~1805)はどうも好きになれない。

 

高尾山初詣臨(DD51842+12系)9222レが順光で狙えるポイントをN君に教えていたら快速「ムーンライトえちご」の改札が始まる案内放送が入ったので青春18きっぷと指定券を改札に見せて3号車のクモハ165-130に乗り込む。席に座って八高線・非電化区間の撮影地レクチャーをするが午前中の上り臨客を順光で撮影出来るポイントは越生~明覚か、竹沢~折原のS字カーブなどが有名で駅から歩くと30分を要する事。1998年1月の高尾山初詣臨(DD51+12系)は11日と25日しか運転がなく、光線がよいベストな撮影地は未明や早朝から車で来て三脚が立てられるから始発でも1級撮影地は場所が少ない件を説明。

 

話が脱線してしまったが村上駅を22:31に快速「ムーンライトえちご」(3948M)が発車すると羽越線を進み、坂町(22:41-41)・中条(22:48)・新発田(22:58-59)の順に停車。乗車してるクモハ165-130は1969年、津田沼電車区に新製配属後に幕張電車区へ転属して急行「内房」や「外房」に使われて1982年に新潟運転所、1986年に上沼垂運転区へ転属、1990年に車両更新工事を受けてからM5編成として快速「ムーンライト(のちのムーンライトえちご)」として活躍してる車両だ。列車は豊栄(23:09)を発車すると阿賀野川を渡り、上沼垂信号場で信越線と合流して新潟(23:22-27)に到着。

 

いままで村上駅から3948Mで走って来た列車は新潟で3720Mに列番を変更して全車指定席となり、進行方向も変わる。以前の新潟駅は7分停車だったけど5分停車に縮まったけどガチ走って新潟駅前のコンビニまで行く客には厳しくなった。5分停車も終って23:27に新潟駅発車すると上沼垂信号所を通過してやっと信越線らしくなるが磐越西線信越線の分岐駅でもある新津(23:40-0:02)に到着。22分も停車するのに当時は駅前に24時間営業のコンビニが無くて(その後デイリーヤマザキ新津駅前店が出店)若い鉄道ファンからは無駄な22分とDISられるくらい印象が悪い。

 

新津駅では「日本海2号」と高速貨物2082列車を待機するが外は寒いので今回はホームでの見物はしないで車内の窓から見送るが22分停車を終えて静かに発車した。昨夜も寝不足だったので新潟駅の自販機で買った日本酒「ふなぐち一番しぼり」のアルミ缶を一気にあおってリクライニングシートを深く倒して寝る事にする。途中、加茂駅(0:16)・東三条駅(0:22-23)は記憶にあったけど以降は寝たみたいであり、以降は就寝時間中の停車駅と時刻・・・見附駅(0:34)・長岡(0:43-1:09)・高崎(3:39-40)・大宮(4:30)。運転停車の越後湯沢か水上かで1回目が覚めたけど気が付いたら大宮停車中だった。

 

隣席のN君も居ないし、網棚の撮影機材もないので無事高崎駅で降りれたみたいだけど大宮駅を発車したので洗顔と歯磨きなどを済まして下車準備を行う。大宮を発車すると大宮操車場から東北貨物線に入り、与野・浦和と通過すると赤羽(4:48)に到着したので赤羽駅で下車して赤羽5:03発の京浜東北線南行電車で田端の自宅に帰った。因みに1枚だけ余った青春18きっぷは嫁が私用で小田原往復した時に使って終了した。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★