夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

快速 ムーンライトえちご(下り)

1996年12月20日(金曜日)、 12月の3連休前夜に新宿駅7番線ホームで村上行き快速「ムーンライトえちご」の入線を待っていた。当初は21日に只見線の初冬風景を写しに行く予定だったのだが急遽21日の午前中にオリエントサルーンJR東日本・東北地域本社「現仙台支社」の12系和式客車)が磐越西線を下る事が分かった。JR東日本新潟支社・運転報 (A報)によればDE10牽引なので我々は撮影する気はさらさらなかったけど3日前に東新潟機関区へ貸出中だった長岡運転所のDD51-745に運用が変更して自分たちもナシゴが運用に入るなら磐越西線・非電化区間へ行く事にした。

 

22:50に「ムーンライトえちご」となる回送電車(6B)が入線して2号車のモハ164-64に乗車しするとN君も到着したので一緒にホーム上のコンコースまで缶ビールとツマミを買いに行く。翌早朝に新津駅で待ち合わせするK君の携帯へ予定通り出発連絡してから車内に戻って乾杯した。青春18きっぷが使える3連休前夜である快速「ムーンライトえちご」は6両編成なのに利用客が多い様で発売日早々に満席(女性専用席除く)で盛況の様である。新宿を23:03に発車しても鉄道写真を磐越西線まで写しに行く様な人は見かけず鉄道ダイヤ情報や鉄道ファンのジョイフルトレイン運転情報に記載がないから助かる。

 

池袋(23:11)・赤羽(23:26)に停車しながら埼京線(新宿~池袋)・山手貨物線(池袋~赤羽)・東北貨物線(赤羽~大宮)経由で進み、大宮(23:40-43)に到着。車掌の巡回も終って明日は4:59着の新津駅で下車するので早めに寝ようとリクライニングを倒してウトウトしていたら突然の急ブレーキ。明日がつらいので自分は寝てしまったが起きていたN君の話によれば停車したのは北上尾~桶川間で先行の貨物列車が異音感知とか障検動作(踏切障害物・検知装置の動作)とかで停止したため、防護無線を受けて緊急抑止にて快速「ムーンライトえちご」も停止したそうだ。

 

列車無線の高崎輸送指令を傍受していたN君によれば快速「ムーンライトえちご」は40分ほど停車して抑止解除ののちに運転再開したとの事。遅延が出ると明日の臨客9221レ撮影に支障が出るけど高崎14分、長岡10分停車以外に運転停車の新前橋28分、越後湯沢6分停車など運転時間に余裕があるので45分程度の遅れなら長岡駅発車までには所定時刻に戻ったそうである。自分は寝てて気が付かなかったけど起きたのは見附(4:26)を発車したくらいでダイヤどおり運行してたのでN君から聞くまでは知らなかった。東三条駅(4:36-37)に到着すると新津まで20分ちょいなので爆睡中のN君を起こす。

 

高崎まで起きていたN君は眠そうだけど2人で洗面と歯磨きを済ましたら加茂駅(4:44)は発車して次は下車駅の新津である。デッキへ移動して携帯電話から所定時刻で新津駅へ到着出来る旨をK君へ電話(当時はまだメール機能はなかった)すると駅前に車を横付けして待っている返事が聞こえてきた。席に戻って網棚の撮影機材を下に降ろしていると新津(4:59-59)へ入線したので急いで誰もない改札口をフリーパスで出て出口へ行くと車が横付けされてハッチバックが空いていたのでK君車にお世話になって新津駅前を5時過ぎに出発。

 

K君の話では新津駅を3時少し前にDD51-745が会津若松に向けて臨単9220レで回送されたそうで新津ICから津川ICまでは磐越自動車道でワープしてその先は国道49号線と県道61号線(喜多方西会津線)経由で山都~荻野の西海枝漕艇場近くの築堤アウトカーブで撮影後、車で追いかけて野沢駅の6分停車中に車で追いかけて上野尻~徳沢の群岡集落と端村集落の間にある田んぼと山を入れてDD51-745が、牽引するオリンエントサルーンを順光で撮影する事が出来た。この先は新潟県に近付けば近付くほど天気が悪いので撮影を終了して普通列車で帰るN君を快速「あがの」が停車する野沢駅へ送る。

 

N君を見送って西会津でK君と昼飯を食べてPCで天気を調べると雨予報に変わってる。これじゃあ只見線へ行っても無意味なのでゆっくり話そうという事になり温泉でも浴びに飯豊の湯(山都町一ノ木)へ移動して温泉に浸かって雑談しながら仮眠した。山都駅まで送ってもらい、新潟まで行ってから駅前で夕飯食べてから村上駅へ向かった。

 

             ★★★★★Memories of the night train★★★★★