夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 鳥海(B寝台)

1997年1月14日(火曜日)、 弘前の出張を終えて弘前駅の待合室でぼんやり過ごしていた。青森空港から羽田に向かう最終便のJAS218便(青森20:30⇒21:45羽田)には間に合うけど翌日は休日だし、どうせ帰路も「鳥海」か「あけぼの」で帰るつもりでお得な往復乗車券も買ってしまったので帰路も寝台特急で帰るため、駅へ到着後に「鳥海」のB寝台を1号車の1BOX売れ残っている箇所の下段も購入して大舘花善に電話で鶏めし弁当も予約してある。土産屋で弘前銘菓の「パティシエのリンゴスティック」と「気になるリンゴ」を購入してからカップ入りの日本酒2個も買ってから改札を通る。

 

EF81のハイビームはかなり遠くでも分かるのでライトの光を目で追いながら長岡運転所のEF81-149に牽引されて18:09に弘前駅へ入線。1号車に乗り込むと昨夜乗った同じ車両のオハネフ24-21で18:10に弘前を発車した。すぐに車掌が来て乗車券と指定券をチェックして消えたが上りの寝台特急「鳥海」に乗るのは今回が最初で最後になりそうである。翌日が休日だから今夜の「鳥海」は乗客は多いのかと期待したら1号車はやはり空いてるけど秋田くらいから乗客が増えるかなと思う。もっとも常に乗車率が多ければ3月改正で廃止(「あけぼの」に吸収)にはならないのかも知れない。

 

そういえば上りの寝台特急「鳥海」は青森20:32発⇒上野9:20着というダイヤが頭の中に焼きこまれて上り「鳥海」なら上野までゆっくり寝て行けるイメージがいつまでも僕の記憶に残っていて、撮影でも日が高い5月から梅雨入り前までなら津久田~岩本の橋梁や渋川~敷島の大正橋や八木原~渋川のヤギシブカーブに熊谷~行田のクマギョウ直線などで撮影していたので1993年12月1日ダイヤ改正寝台特急「出羽」を吸収統合した「鳥海」が運転時刻を大幅に変えたなんてすっかり忘れていたのである。列車は大鰐温泉(18:21)・碇ヶ関(18:30)に停車して県境超えと矢立峠に入り、大舘(18:50-51)に到着した。

 

大舘駅では電話で鶏めし弁当を予約してあるので代金の800円を握り締めて1号車のデッキで待機しているとそれと分かる人(花善の社員さん?)と目が合って代金を渡して鶏めし弁当を受け取った。まだ暖かいので席に戻ってワンカップ清酒をひと口飲んでから無性にかぶり付くと久々の花善鶏めしは美味い。美味い弁当はいつ食べても美味しいし期待を裏切らないから予約を入れてでも食べてみたくなる。列車は鷹ノ巣(19:08-09)と二ツ井(19:21-21)に停車、鷹ノ巣では交換列車となる913D(急行よねしろ)を待たせての発車は寝台特急「鳥海」の権威もまだまだ捨てた物ではない。

 

外はかなり雪が降って部分的に積もっているけど今のところ寝台特急「鳥海」は所定ダイヤをトレースして東能代(19:37-39)に停車。東能代では3673M(快速しらかみ5号)を待たせての交換だが2分停車を利用して前に繋がれているEF81-149を見に行くとスノープル(スノープロウ)で掻いた雪などで連結器部分まで雪の塊になってヘッドマークでさえ雪が付着して1円玉状態になっていた。東能代を発車すると酒類も終り、寝るにはまだ早いし、やはりロビーカーやミニロビーなどの公室もない「鳥海」だと話す相手がいないと間を持たしてしまう。

 

かと言ってオハネフ24-21の展望エリアへ行ってもEF81-149が巻き起こす雪が貫通扉窓に付着して何も見えないので意味がない。翌日は祝日・成人の日なのに1号車の乗車率は酷いものであるが森岳(19:50-50)と八郎潟(20:05-06)に停車して大清水信号所を通過すると上飯島~土崎間の複線区間で大阪発青森行きの特急「白鳥」と一瞬のすれ違いだった。土崎駅の手前で秋田港からの秋田臨海鉄道の線路と交わり、次に左手にJR土崎工場(現秋田総合車両センター)が見えてくると秋田(20:21-33)駅だ。秋田駅ではホームKIOSKのみ営業していたが車内が暑いので350ml缶ビールと缶コーヒーを購入して戻る。

 

秋田駅では1号車も乗客が増えたけどそれでも4割程度しか乗っていないのが気になるけど、この先も0時くらいまで既に廃止になった寝台特急「出羽」が停車してた駅にも小まめに停まって行くのでどの程度まで乗車率が増えるのか楽しみではある。秋田を発車すると羽越線に入り、夜なので景色は見れないけど桂根から羽後亀田の手前まで日本海沿いを進み、羽後本荘(21:10-11)に停車。自分も浴衣に着替えて窓のカーテンは開けたまま、寝台へ横になって過ごす。降る雪も治まらずに深々と積もっているようだがそのまま深い眠りに落ちたようである。

 

就寝中の停車駅と時刻は仁賀保(21:25)・象潟(21:36)・遊佐(21:59)・酒田(22:11-13)・余目(22:24-24)・鶴岡(22:40-40)・あつみ温泉(23:07)・村上(23:56-56)・新発田(0:26)・新津(0:51-1:04)・高崎(4:36-38)。5:30くらいに自然に目が覚めたけど所定ダイヤなら桶川周辺を走っているけど車窓を眺めると高崎駅手前の信越線と交わる付近だったので約1時間の遅延である。こうなると上野到着は60分遅れになる筈で6時半まで寝ようとベッドに潜ろうとしたけど辞めて車掌室へ状況を聞きに行くと六日町から上越国境までの除雪遅れによる雪害遅延との事だった。

 

高崎駅は乗務員交代が終ればすぐの発車だったのでホームを走って先頭のEF81を見てすぐに客車に戻ったけどEF81149は雪だるま状態で凄く、1号車の折戸からも雪が車内に紛れ込んでステップに雪が積もっていたのには笑ってしまう。外はまだ真っ暗なのでベッドに戻ってゴロゴロしながら過ごし、大宮には65分遅延の6:48に到着した。大宮市(現さいたま市大宮区)の日の出時刻が6:51なのでやっと空が明るくなってきたが大宮を発車すると籠原発上野行きの普通電車826Mが2分前を走っているし、更にその前に普通電車の528Mが走っているため、「鳥海」も抜けずにノロノロ運転。

 

下車準備を済ませて待つと終着の上野駅には70分遅延の7:11に15番線ホームに到着したが自分にとって最初で最後の上り寝台特急「鳥海」乗車となってしまった。1号車の乗車率が低いせいで楽な旅をさせてもらったが所定運行では上野着が6:11着なので定期の寝台特急では日本一朝が早く、終着駅へ早く到着する列車でもあった。どうせ遅れるなら特急料金払い戻し対象になるまで遅延すればもっと寝れたのにと少し恨めしく思いながら雪の中を奮闘したであろうEF81-149を横目に見ながら1・2番線ホームへ移動した。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★