夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 きたぐに(502レ・自由席)

yahooブログからHatenaブログへ移行した際に引越し失敗してyahooブログから継続で
きなかった昔の"想い出夜行列車レポート"を新たに書き下ろしてUPする企画です。停車駅と時刻は乗車に近い年度の時刻表を使うため、実際とは相違がある可能性も多いので違ってたら申し訳ありません。牽引機・乗車した列車の客車系式番号や着発番線も記憶違いがある可能性がある事をお含みください。

 

1979年4月30日(月曜日)、 青森駅青函連絡船桟橋で7便の出港を見送り、26便の入港到着シーンを眺めた僕とM君は上り急行「きたぐに」2号車乗車口で入線を待っていた。急行「きたぐに」の自由席は1号車から5号車で自分達は2号車で待っていると急行「きたぐに」となる編成が据え付けられて2号車のオハ12-256(大ミハ)に乗車して荷物を置いてから先頭へ行くと秋田機関区のED75-790が連結されるところだった。昼食の駅弁と飲み物を購入して車内に戻るとまもなく12:55に青森駅を発車した。M君お奨めの伯養軒・ひなどり弁当でお昼にしたけど500円という価格の割には美味しくて満足できた弁当である。

 

平日の月曜日という事で車内は至って空いており、青森発車時点で2号車は2割も乗ってない感じで殆どの旅客が秋田駅まで?に降りてしまう中距離乗車の旅客が多そう。車窓右手に岩木山とリンゴ畑が近付くと弘前(13:31-34)に到着して大鰐「現 大鰐温泉」(13:45)と碇ヶ関(13:54)にも停車して、津軽湯の沢駅を通過すると青森県から秋田県へ入り、矢立峠を越えて大館(14:17-19)に到着。ホームでは名物の鶏めしを立売りしてるけどまだ夕飯には早く、自販機で飲み物のみ購入した。また大館駅では乗客が入替わり、乗車人数より下車した人数が多いくらいでまだ夜行急行「きたぐに」としての雰囲気は薄い。

 

大館を発車すると国鉄花輪線と分かれ、国鉄阿仁合線(現秋田内陸縦貫鉄道)とのジャンクション駅でもある鷹ノ巣(14:35)や二ツ井(14:47)に停車すると五能線との接続駅でもある東能代(15:03-04)到着するもすぐに発車、青森を出てここまで2時間ちょいだけど車内は増えずにマッタリ気分でいると車掌が現れてキップ拝見。学割購入の都区内発・仙台・青森・秋田・酒田・新潟・金沢・敦賀・長浜・米原東海道横浜市内行きと米原~大阪も学割購入(大阪~米原も学割購入)に青森駅で購入した硬券自由席急行券をまとめて呈示すると車掌が驚いていたのを今でも覚えている。

 

そろそろ夕飯はどこで買うか考える時間だけど17:45到着の酒田駅で果たして買えるか微妙なのだがこの先は弁当が買えそうもないのでM君と考えていたら下り急行「きたぐに」とすれ違って森岳(15:31)や八郎潟(15:31)にも停まりながら国鉄秋田鉄道管理局のお膝元駅でもある秋田(15:57-16:07)へ停車した。10分停車なので改札を出て夕飯の弁当を選びに行くとホーム立売り(ホーム販売は関根屋だけ)してない東洋軒が弁当を売ってたので2人でカツ丼風の卵とじで煮たとんかつ弁当を購入してホームへ戻るとED75-790は消えて酒田機関区のEF81-127が連結されていた。

 

更に秋田駅では客が殆ど入替わって乗客も増えたが大きな旅行鞄等を持った長距離客は少なそうである。因みに1976年7月に新製されたED75-790は1987年3月、苗穂工場へ送られて青函トンネル専用機関車のED79-18へ改造されて五稜郭準備区へ移管されたのでED75-790が牽引する夜行列車に乗ったのは最初で最後であった。秋田での10分停車で酒も煙草もおつまみも買い足したのでまだ日が高いけど冷えたビールで乾杯する。関東に住んでいるとEF81という機関車が珍しく、当時はゆうづる・十和田もEF80だったし、EF81の定期運用と言えば水戸線直通の東北線貨物くらいだったけど屋根が異常にスッキリした非貫通のEF81は好きになれなかった。

 

秋田を出ると国鉄矢島線(現由利高原鉄道)の接続駅でもある羽後本荘(16:45-46)を発車して鳥海山が近付き、象潟(17:09)を発車するといよいよ待望の日本海沿いに走る。小砂川~女鹿信号場(現女鹿駅)の日本海を見ながら秋田県から山形県に入って女鹿信号所~吹浦の日本海沿いを堪能していると酒田(17:45-51)へ入線。ホームへ降りるとオバチャン(酒田弁当部の社長夫人)が鳥海釜めしとポットのお湯を持ちながら販売してたので暖かい緑茶だけ買おうと近付くとオバチャンの上手い話術に誘われて500円の鳥海釜めしを買う破目になったけど夜食か明日の朝食に回そう(お茶は半額値引き)。

 

酒田を発車すると余目(18:03-04)・鶴岡(18:21-22)に停車すると空が夕焼け色になり、いよいよ日本海に太陽が沈む落陽というかトワイライトタイムが楽しみになるけど丁度日没時刻に海岸沿いを走るのか微妙であるのだが(羽越線は隧道が多くて海から離れる事も多い)小波渡~五十川の海沿いを走行中に太陽が海に沈むシーンを目撃できた。周囲が暗くなった頃にあつみ温泉(18:50-50)へ停車すると夜行列車らしくなったけど乗車率はローカル客車急行といったところ。鼠ヶ関~府屋で山形県から新潟県に入ると早いもので4県目に入った(残るは富山・石川・福井・滋賀・京都・大阪のみ)。

 

真っ暗なので外は見えないけど越後寒川~今川信号所(現今川駅)では海に浮かぶ月を見ながらお茶を飲み、秋田駅で買った東洋軒のとんかつ弁当(かつ煮風)を夕飯に食べていると気分は最高である。三面川橋梁付近でAC20kV(50Hz)からDC1.5kVのデットセクションを過ぎると村上(19:38)に停車して10分停車の坂町(19:50-20:00)停車だが特急「いなほ」の退避?かすれ違い?にここまで1パンタ状態で走ったEF81を2パンタにする停車だと思ったが両パンタ上昇で主回路を完全なる直流回路に固定(正確には復位)するためだとM君が得意の解説をしていたが・・・。

 

中条(20:11)、そして羽越線白新線、赤谷線(赤谷線は1984年4月1日で廃止)のジャンクション駅でもある新発田(20:26-27)に停車しながら羽越線から白新線へシフトして阿賀野川橋梁を渡って、東新潟機関区と新潟ターミナルの横を通過すると上沼垂の三角デルタ線を通過して新潟(20:54-21:23)へ定時で入線した。新潟駅では進行方向が変わるのと7~11号車となる寝台車(オロネ10・オハネフ12等)を連結して更に牽引機も酒田機関区のEF81-127から富山第二機関区のEF81-13へ変わり、乗客も新潟駅で大きく入換えわって乗車客はそこそこ多かったけどそれ以上に下車客も多かった様である。

 

新潟駅での29分停車で缶に入った新発田の地酒「菊水ふなぐち一番絞り」と新潟銘菓でもある浪速屋の元祖柿の種を買って日本酒は秋田に限るが口癖のM君は秋田駅で購入した秋田銘酒「新政」カップを買っていたので新潟発車前から乾杯する。新潟駅を発車すると上沼垂信号所へ入り、進路を信越本線へ進むと新潟運転所上沼垂支所(のちの上沼垂運転区)の横を通過すると出区まじかである寝台特急「つるぎ」(24系25形)の姿を見る事が出来た。車内は1BOXに1人か2人くらいの乗車率でこの分だと終着大阪駅まで2人で楽に過ごせてゆけそうだ。

 

鉄道の街としても知られる新津(21:37-40)を発車すると東三条(22:04-06)・見附(22:17)と停車しながら長岡(22:29-37)に到着したが日本酒ワンカップ2本ですっかり眠くなったM君と自分は前席に足を伸ばして寝る事にする・・・就寝中の停車駅と時刻は以下の通り。柏崎 (23:14-15)・柿崎 (23:34)・直江津 (23:52-0:02)・糸魚川 (0:37-38)・魚津 (1:24-25)・富山 (1:48-2:00)・高岡 (2:17-19)・金沢 (2:55-3:13)・小松 (3:38-38)・福井 (4:18-27)・武生 (4:46)・敦賀 (5:22-26)・長浜(6:06)・田村(6:14)。富山県に入ってすぐトイレで起きたけど金沢駅停車中に2回目の下り「きたぐに」交換も爆睡してたらしい。

 

更にEF70の機関車交換やDE10機関車交換も覚えていない有様で朝起きたのが米原(6:23-36)停車中で急いで先頭まで移動すると米原機関区のEF58-111が連結されており、田村駅構内のデットセクションをDE10が牽いた機関車も何処かに消えていたがM君は金沢駅での下り「きたぐに」は目撃したそうだがEF70やDE10に関しては寝ていたそうだ。青森を昨日の昼過ぎに出た上り急行「きたぐに」は米原まで到着して13分停車した後に原型小窓EF58に牽引されて東海道線を終着駅目指して快走する。我々は昨日酒田駅で購入した鳥海釜めしを朝食代わりに食べたけど思ってた以上に美味しかった。

 

列車は彦根(6:43)・大津(7:33)と停車して石山駅の手前で一瞬琵琶湖が望めたが大津の先で湖西線と合流すると山科駅を一瞬に通過した。東山隧道を出て鴨川橋梁を渡ると京都(7:45-47)に通過して向日町運転所の脇を通過して神足(現長岡京)~山崎~高槻の有名撮影地を眺めながら大阪府へ入る。大阪市の中心地に近付くと新大阪(8:20-21)に停車するといよいよ上り急行「きたぐに」の終着駅でもある大阪駅へ定刻8:27にすべり込んだ。長かったけど決して飽きる事がない夜行列車旅で世話になったオハ12-256は楽しい我家みたいな感じがして想い出に残る座席夜行の旅であった。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★