夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

 寝台特急 あけぼの(B1)

今週から通常の想い出夜行列車リポートをリリースする予定だったが、1996年5月に旅したDATEが見つからなくて暫し、記事アップを保留にして暇な時に全ファイル探してみたら何と1997年のFOLDERに紛れていたので取り急ぎ本日UPします。1996年は「あけぼの」だけで6回の乗車だし、ブログ記事も新鮮味は失せてマンネリ100%になりそうだけど。先ずは乗車前の旅の概要と説明に手配など。

 

『旅の始まり』小学4年生の愚息から「特急白鳥に乗りたい」と前から請願されていたのだが、確か上沼垂運転区のデラックス485系編成(グリーン車と指定席のみがリニューアルされてる)は1997年3月改正迄でそれ以降は京都総合運転所(旧向日町運転所)の古めかしい485系に運用変更になるので日が長い内に、更に梅雨に入る前に乗って置こうと前々から計画していた。東海道新幹線新大阪駅と「白鳥」の大阪駅乗車でも乗り継ぎ割り引きが適用されて「白鳥」の特急指定席券は半額になるので100系で食堂車も連結していた東京6:13発「ひかり31号」に決める。

 

問題はデラックス編成のシートピッチ大幅拡大で席と窓の位置が微妙に違い、乗車区間が長い大阪~新潟間で席と窓の位置がベストフィットする位置を詳しい人から教わり、禁煙指定席は日本海側がA席なので3両(1~3号車が禁煙普通指定車)の中から指定席販売が最後の号車となる2号車のA・B席でシートと窓の位置がベストな「白鳥」に「ひかり31号」D席・E席を乗り継ぎ割り引きにて10時打ち。「白鳥」のマニアックな号車指定と席番指定にみどりの窓口は難儀だったと思うが都区内~東海道~山科~湖西線北陸線信越線~新潟~白新線羽越線~秋田~奥羽線~福島~東北線~都区内の一筆書き乗車券を大人1枚・子供1枚で購入(序に山科~大阪間の往復キップも確保)。

 

本当は終着駅の青森まで乗りたかったけど青森から帰る上野方面は青森0:15発の「北斗星2号」しかないので秋田駅で降りて帰路は「あけぼの」のソロに決めて1人用個室B寝台券を2枚確保して準備は揃い当日の朝を迎える事になる。

 

1996年5月25日(土曜日)、 東海道新幹線「ひかり31A」(100系新幹線)から本格的な旅を進める。2階建て食堂車が連結してるけど営業開始は7時過ぎからで10時までモーニング営業なので通常の一般メニュー対応は大阪以西なので東京駅で駅弁を買って車内で食べたが自分はしゃけ弁当800円、子供はチキン弁当750円。子供は窓が広い100系新幹線がいたって気に入り、高速運転の新幹線と高台を走るために景色もよく見えるから新大阪までは食事とトイレ以外は窓ガラスに顔を近づけて喜んでいた。やはり0系や200系にのぞみ300系の窓は小さくて車窓を楽しむには不向きで実は自分も嫌いである。

 

3時間程で新大阪駅に到着して新大阪から大阪までは網干行き725Tに乗り換えて大阪では一旦改札を出て嫁から頼まれた買物(小倉屋塩昆布詰め合わせ)をして再び改札に入り、11番線へ向かった。発車6分前に塚本方から上沼垂色の485系デラックス編成が入線したので指定された2号車に乗り込むと新カヌのモハ484-1506であったが停車時間が短いのでサボ(行先方向幕)を入れて子供の写真を撮影するのが手一杯で先頭車での記念撮影は無理であった。グレードアップ編成の普通指定席車は床より一段高くなってるセミハイデッカーなので背の低い子供にとっても景色がよく見えて、ベストな位置をチョイス出来て本当に良かった。

 

特急「白鳥」はAC/DC電源切替のデットセクションが3ヶ所(永原~近江塩津糸魚川~梶屋敷・村上~間島)あり、走行中に無電区間を走行すると同時に照明が消えるメカニズムを子供に説明しても難しいのか興味は示さなかった。特急「白鳥」のフル乗車は下りも上りも自分は何回か乗車して食堂車を連結営業していた盛アオの485系を始めに大ムコの485系を経て新カヌのデラックス編成に「白鳥」が2往復走っていた時代の福井~青森間を結んだ「白鳥」にも乗っているがそれぞれに想い出はあるけど新カヌのデラックス編成は最高である。

 

大いに特急「白鳥」を楽しみ、沿線の美味い駅弁も食べてビールも沢山飲んだ大満足な旅だったけど息子も念願だった特急「白鳥」に乗れて満足そうな顔をしていた。20:06着の秋田駅に到着して20:55発の寝台特急「あけぼの」に乗って帰る事にする。あけぼのが入線するホームに移動して飲み物類を購入して待つと20:53に青森運転所・東派出所のED75-751に牽引されて寝台特急「あけぼの」が入線。扉が開くと早速9号車のオハネ24-551に乗り込んで自分が7番ソロ(1階個室)、子供が8番ソロ(2階個室)に分かれる。20:55に「あけぼの」は秋田駅を発車。

 

「白鳥」の車内販売で購入した酒田弁当部の「ササニシキ弁当」と飲み物を息子の部屋に渡して早く寝るんだよ、と伝えて自分も個室に戻って遅い夕飯を食べたが冷えてても美味い弁当なので普通に美味かったけど流石に朝の6:13から新幹線「ひかり31号」で新大阪まで行って大阪駅から「白鳥」で秋田まで10時間の合計13時間乗ると流石に疲れて欲を言えば秋田のホテルに泊まりたかったがそこを「あけぼの」で帰るという弾丸ツアーなので弁当食べ終えたら早々に寝具を広げて寝てしまった。横手(22:04-06)・十文字(22:16)・湯沢(22:24)・新庄(23:22-37)・宇都宮(5:14-16)は完全に夢の中であった。

 

目が覚めたら久喜あたりで5月下旬なら「あけぼの」もISO400で撮影可能なのでヒガハスこと東大宮~蓮田を確認すると何と12人も居るではないか?まさか"95ぼの"なのだろうかなどと考えても被写体に乗ってるから撮影は不可能である。トイレに寄った子供が個室に遊びに来たけど昨夜は疲れて早く寝たそうだが洗顔とはみがきに降りる準備をしておくように伝えて自分も下車準備に勤しむ。今回は家で留守番している嫁へのお土産が多くて、大阪の小倉屋塩昆布詰め合わせ車内で購入した富山駅の特選ますの寿司、新潟駅ホームで購入した浪速屋の元祖柿の種、秋田駅で購入した秋田銘菓の金萬の4品で鞄がパンパンである。

 

大宮駅(6:31-31)を発車すると首都圏中心部に入り、長い様で短かかった旅も終わりであるが荒川を渡って東京都に入ると上野までは早い。尾久~上野間で推回12列車とすれ違ったら何と一番後ろに連結してあったEF81が95であった。ヒガハスが湧いていたのは95つるの撮影だった一団が続行の「あけぼの」まで撮影していた様である。「あけぼの」は無事定刻6:58、上野駅16番線ホームに到着して先頭まで歩いて牽引機を確認すると田端運転所の100号機で肩すかしを喰らった感じがしたけど子供と京浜東北線北行電車で田端駅まで帰宅した。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★