夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 あけぼの(A1)

1996年5月2日(木曜日)、家族3人で上野駅17番線ホームにて寝台特急「あけぼの」の入線を待っていた。子供が小学生に入学してから北海道、北陸、山口県などに往復夜行列車の移動でほぼ毎年家族旅行をしてきたが、1996年はG.W後半を利用して往復「あけぼの」利用で夜行列車2泊+宿・ホテル2泊のプランで2月くらいから計画を立ててきた。レンタカーはK君の勤務先関係で社員割引並の24時間5,500円+免責保証料で予約して乗車券は株主優待を利用して「あけぼの」はシングルデラックスを2部屋を続き部屋通し部屋になるように購入して1部屋は折り畳みの上段補助ベッド使用で申し込んだ。

 

どんな部屋であるという事は家族会議の時に写真付きの資料(JR時刻表・平成3年4月号に付属してた「JR寝台列車ハンドブック」が多いに役に立った)を見ながら行きはA1シングルデラックス、帰路はB1ソロ利用で決まったのである。発車18分前の21:20に「あけぼの」の回送1001列車が推進運転で17番線に入線すると早速10号車のスロネ24-551に乗り込み6号室と7号室に乗り込み、僕と息子は牽引機の確認へ、嫁は飲み物購入に別れて自分立ちは先頭へ移動すると"あけぼのマーク"が付いた田端運転所のEF81-100を眺めて個室に戻ると発車時刻である。

 

21:38に上野を発車したのでとりあえず6号室のベッドをたたんでソファーに戻してから家族3人で座っていると車掌が来たので家族3人分の乗車券と特急寝台券を呈示してアニメティーグッズと個室カードキーを受け取ってから6号室と7号室の境になっている扉のロックを外してもらい、6号室の補助ベッドで使うリネン・寝具類を持って来てもらってから親子3人で乾杯した。喉を潤して人心地ついてからコントロールパネルの操作方法に上段補助ベッドの設営と上段補助ベッドにあるオーディオ装置を教えていると大宮駅(22:03-04)へ入線。

 

自分もそろそろ寝ようと、ソファーからベッドへ切替えて寝具を並べていたら隣の部屋からトイレに立ち寄って帰ってきて「下段ベッド」を母親に取られたと文句を言いながら子供がやってきた。そもそも補助ベッドは子供用に指定券を購入してあり、最初っからその約束だったのだが勘違いしていた様であるが帰りが全員が1人個室だからと子供を宥めて個室の灯火を消して休んだ。就寝中の停車駅と時刻は宇都宮(23:03-04)・黒磯(23:42-45)・新庄(4:36-49)・湯沢(5:46)・目が覚めたら十文字(5:55)到着直前で非電化区間のDE10重連陸羽東線はすっかり寝ていたようである。

 

着替え終わると列車は2分停車の横手(6:05-07)に近付いているため、先頭車のデッキに移動して牽引機を確認しに行くと青森運転所・東派出所のED75-755を確認。自販機で甘くないショート缶のコーヒー他を買って個室に戻ろうとするとシングルデラックスの隣の部屋から窓越しにホームを眺めている息子と目が合ったが個室に戻った。寝台からソファーに戻して子供を呼んで先ほど横手駅の自販機で購入した缶コーヒー(息子にはジュース)で喉を潤していたら大曲(6:24-25)へ到着。大曲と言えば1996年3月で駅弁販売から撤退した駅でもあり、仙北おばこめしも過去になってしまったのが残念。

 

刈和野峰吉川のあけぼの撮影地を通過してお腹が減った頃に8分停車の秋田(7:09-17)に到着。最初に朝めし確保するために駅弁立売りまで小走りに移動してあきたこまち弁当(820円)2個と牛めし(700円)と緑茶3個を購入して個室に戻ると朝寝坊の嫁も起きて来た。本当なら大館駅の鶏めし弁当が狙いなのだが大舘到着が9:09と遅いために敢えて朝食弁当調達を秋田駅にした次第。一部屋に集まって朝食にすると嫁は幕の内弁当系のあきたこまちを選び、子供は牛めしを選んだので自分は余り物のあきたこまち弁当にて3人銘々で朝食タイム。

 

秋田駅を発車して大久保駅(7:35-47)で運転停車、ここで上りの号(3626M)」1624Mと快速「しらかみ2号」のすれ違い交換で12分間の停車。大久保を発車すると1995年12月1日に新設した新駅の井川さくら駅を通過して八郎潟という琵琶湖に次ぐ第二位の広さだった湖を干拓して米の農作地になり、元々は海水が混じる汽水湖である事を家族に説明したけど2人とも興味なさそうなので辞めたが水平線まで続く田園地帯は奥羽線・北部では見どころのひとつだと思う。八郎潟(7:54-55)を発車すると鹿渡通過中に5012M(特急白鳥)とすれ違い、東能代駅(8:26-27)へ到着した。白鳥も子供と一緒に早い内に全区間乗車したいものだ。

 

東能代を発車すると列車は能代川を渡り、「鳥海」「日本海」「あけぼの」他の好撮影地である富根二ツ井を通過して今年(1996年)の2月10日に秋田まで延長された急行「はまなす」を撮影した二ツ井~前山の撮影地を通過すると鷹ノ巣(8:52-53)に到着した。6番個室では子供を膝の上に乗せて親子で必死になって車窓を眺めているけど隣の7番個室が、気になり様子を探りに行くと嫁も窓から流れる景色を目で追ってるようでやはりシングルデラックスに3人詰め込むのは無理で定員は2名なのである(ソファーからベッドに戻せばベッドの上に3人並んで座るのは容易である)。

 

大館駅(9:09-10)へ到着する前に7号車へ移動して1分停車で上手く買えるか微妙だったけど立売りから花善の鶏めし弁当(800円)を1個だけ入手して僕の個室で弁当を空けたら嫁がいい匂いがするとやって来た。家から予備の割り箸は沢山持って来てるので3人親子でつつく事にする。2時間前に秋田駅の駅弁を朝食として食べているけどやはり美味い物は美味いのだ、やっぱり大館の鶏めしを朝食にすれば良かったといのが家族3人の見解である。散らばった比内地鶏のそぼろは子供が全部口へ流し込む様に食べて嫁が残念そうな顔をしていた。

 

大館を発車すると撮影地でも有名な白沢~陣場のコンクリート橋・下内川橋梁を渡り、いよいよ昔の奥羽線から急勾配の難所だった矢立峠に入る。津軽湯の沢駅から青森県へ入り、院内駅から陣場駅までの長かった(営業キロは実に227.9km)秋田県はやっと終った。碇ヶ関長峰の大カーブ築堤を過ぎると大鰐温泉(9:38-38)すると弘南鉄道大鰐駅構内に元東急の6000系7000系が停車しており、息子が珍しそうに眺めている。息子が幼稚園の時に東急・こどもの国線でデハ7000系に乗ったのは覚えてなさそうだった。そうこうする内に寝台特急「あけぼの」は弘前(9:49-50)に入線した。

 

いよいよ次の停車駅が終着の青森駅なので下車準備を終らせてから最後の車窓を眺めていると津軽富士とも称される百名山岩木山が見えてくると五能線乗換駅の川部駅を通過して1985年くらいからよく通った大釈迦鶴ヶ坂の撮影地を横目に見て鶴ヶ坂駅では下り寝台特急「あけぼの(1001列車)」の最後となる上り列車のすれ違いは長距離貨物列車の帯広貨物駅から梅田貨物駅へ向かう超ロングラン運転の4096列車とすれ違うと当時は田舎の駅で周囲には何もなかった新青森駅を通過するがまさかこの駅へ新幹線が到着するとは信じられないくらいに田舎のボロい駅であった。

 

簡単に言えば同じ様にド田舎のボロ駅だった渡島大野駅新函館北斗に変わり大きく変貌するのが信じられないくらいの例えである。新青森駅を通過するとすぐに三厩駅や新中小国信号所から来る津軽線と交わると滝内信号所(青森駅方面か青森信号所へ方向を変える分差器がある信号所)を経由して青森駅が近付くと青森県観光物産館アスパムや青森ベイブリッジが見えて10:25、終着駅の青森駅に到着した。下りの「あけぼの」フル乗車は本当に久々だったけど嫁も長男も楽しめたと言ってくれて本当に良かったが帰路に乗る「あけぼの」ソロの狭い閉所地獄はまだ彼らは知らない。

 

改札を出てK君の勤務先関係で、安く借りれる某大手レンタカー会社の営業所へ行って10時半から借りるが今回は観光としては初めて行く下北半島方面(但し国鉄時代に大湊線「野辺地~大湊」と今は無き、大畑線「下北~大畑」のキハ22で走破はしている)他や過去にも訪れてる津軽半島方面へのドライブ旅行へ向かった。

 

 (*1)長年奥羽線の「あけぼの」は秋田運転区(南秋田運転所)のED75-700番台限定運用で牽引していたが1996年3月30日付で青森運転所・東派出所へ運用変更になり、700番台を中心に運用に入っている。因みに本改正から秋田南運転所のED75が定期旅客列車を牽引する運用は完全に途絶えてしまった。しかし1997年3月22日の秋田新幹線開業に伴って現行の東北本線陸羽東線奥羽本線経由の「あけぼの」は東北線高崎線上越線羽越本線奥羽本線経由に変更されて「鳥海」ルートを世襲するように運行されて交流区間はEF81が牽引する事によってED75電気機関車の旅客定期列車牽引運用は途絶えてしまったのだ。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★