夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

ブルートレインへの想い(前編)

5週間ほど想い出夜行列車レポートが続いたので別ネタの「ブルートレイン」を語りたいと思う。ちょうど7年前の2015年3月14日に定期列車では最後のブルートレイン(定義は固定編成客車の青い寝台専用特急)でもあった「北斗星」が廃止(実際には臨時格下げ)になったので時期的にもよいだろう。自分とブルートレインとの出会いは本でブルートレインは昭和33年(1958年)に生まれたので自分と同じ齢である事だが実車を見たのは小学校2年生の頃に親と横須賀線で出かけて横浜からの帰路に川崎駅の反対ホーム(1番線)に「さくら」が一瞬にして通過した際に恰好いいーと思ったのが第一印象。

 

本などでその存在は知っており、当時は走るホテルと呼ばれていたくらいの事はガキの自分でも知っていたけど1960年代のブルートレインなんて高嶺の花で親にアレに乗りたいと請願しても相手にしてくれなかった。祖父と祖母が神奈川県西部の湯河原に住んでいたので夏休みになると海水浴がてら湯河原温泉へよく家族旅行へいったのだが利用するのは横浜駅乗り換えで急行「伊豆」「おくいず」「東海」で特急「あまぎ」さえ乗せてくれなかった。小学校3年生になると家の近くにある矢向踏切で下り「さくら」「はやぶさ」「みずほ」を眺めて休日は上りの第2郡ブルートレインの走行シーンを眺めるのが日課になりブルトレ熱は更に上がった。

 

その先中学や高校に進んでも熱は冷めずに深夜に時刻表と時計を眺めてこんな時間でもブルートレインが走ってる現実と浪漫に更なる夢は広がり、絶対に乗ってやると勉強もせずに妙な野望みたいなのを抱いていたが中学や高校になるとカメラを持って東京駅や上野駅まで遠征して車内を覗いて喜ぶ危ない覗き魔学生であった(苦笑)。中学の頃から乗ってみたい列車は多く、1位が走行距離と走行時間が一番長い「富士」、2番目は実物を始めて川崎駅1番線で見た「さくら」、そして3番目が日本海側に沿って走る事を時刻表で知った「日本海」である。

 

因みに元祖ブルートレインでもある「あさかぜ」がベスト3に上がって来ない理由には「富士」「さくら」「はやぶさ」に比べて走行距離が短く、東京駅発車が18:30と遅く、夏至でも横浜で暗くなってしまうのとEF65-500に付いたマークがイマイチ好みでなかったのが理由のひとつ。高校に上がるとクラスメイトのM君(現在は故人である)との出会いで更に拍車がかかり、ブルートレイン絶対乗るぜ病は加熱する一方であった。しかし自分が思い描いていたほどブルートレインに実際に中々乗れなくて583系ゆうづる」こそ高校2年の時に北海道修学旅行で乗ったものの、583系は電車であり、ブルートレインではなかった。

 

しかし初めて乗った「ゆうづる1号」車内での楽しさは念願のブルートレイン乗車を凌駕していたし、これぞ寝台列車!楽しいという満足感は得ることが出来て夢現実に向かって着実に進みつつあったのである。年頃になれば趣味より異性に興味がいくのは自然の摂理でパートナー(彼女)獲得に躍起になるがそこは根っからの鉄道ファンだったので趣味は趣味、異性は異性と割り切っていたので高校時代は女性にはあまりモテなかった(自業自得だな)。と・・・ここまでPCで作製した文章を読み返してみると「ブルートレインへの想い」ぢゃなくて私の趣味人生暴露話しみたいな事になっているではないか?。

 

話を戻そう・・・ブルートレインが恰好よく見えた理由はナハネフ22やカニ21や22の丸い額の様な屋根(ガキの頃は"デコちゃん"と呼んでいた)と車体の白い3本ライン、折戸の扉に大きな窓が何とも素晴らしく見えたのだ。その後14系寝台車に24系寝台車が増えて大好きだった20系は東京口では臨時あさかぜ51号のみになってしまった。夢のナハネフ22展望台へ立つ事は東京発寝台特急では不可能になった。夢挫折かと思いきや急行「銀河」の20系投入で寝台特急から寝台急行へランクダウンしてしまったけど夢は取りあえず叶った訳だ(寝台急行へ格下げ使用でも安く乗れて充分に嬉しい)。

 

僕らの世代の学生時代は均一周遊券で夜行急行の自由席利用が当たり前で結局初ブルートレイン乗車は19歳の時だった1977年10月の24系25形がデビュー間もない寝台特急「瀬戸」である。バイトして寝台特急券を工面してやっと乗れたのだが20系・14系14形・24系24形に1回も乗らないまま、25形に乗ったものだから驚きと感動でそれまでのブルートレインを知らずに当時は最新鋭の25形100番台に乗れた喜びは2021年4月12日の弊ブログに詳細レポートを載せていますが何事にも順番や順序があるもので一番設備のいい25形に乗っていい思いをした後に20系や14系14形に24系24形を乗車したものだから落胆と格差のショックは当然あるに決まっている。

 

24系25形での素晴らしかった寝台車旅に更なる長き旅路と寝台車旅の浪漫にすっかり魅せられた自分は勉学に勤しみながら(本当かよ)アルバイトで旅費を稼ぐのに夢中だったが25形「瀬戸」の旅を一緒にした高校時代からのクラスメイトでもあるM君から来年の夏は「はやぶさ」や「富士」を利用した九州旅行で食堂車も利用可能なロングな寝台列車旅をしようと計画を持ち込まれてアルバイトするのにも気合を入れて稼いだが母親からチョッと待った~が入ったけど父親が旅するのは人間形成に役が立つからと許してもらえて1978年7月下旬から8月上旬の旅に向けてGOOサインが出てやれやれである。

 

大学生になって更に夜行列車への魅惑が増えて乗りたい列車(夜行列車に限らず)や乗りたい線区も増えて夜行列車乗車本数も順調に増えるが夜行急行や普通夜行ばかりでなかなか特急ブルーレインの乗車本数が全然増えないジレンマに悩まされた。そんな中で1978年7月28日に乗車した「はやぶさ」(2021年3月8日他の記事参照)と1978年8月1日に乗車した「富士」(2021年4月5日の記事参照)に満足したのだが大学生になると単に鉄道が好きとか夜行列車が好きだけではないやりたい事もあった。彼女を獲得したりスポーツ系サークル活動もそうだし、コンパにバイトに勉学と人並みに忙しい毎日を過ごす。

 

仲間や知り合いが夜行列車で旅行や夏合宿へ行くと聞けば見送りに上野駅新宿駅へ行って夜行列車の香りを感じて当方は鉄分補強すると夜行列車乗りたい病が発病すると旅の計画を立てて時刻表を捲りながらB5レポート用紙にプランを描くという行程が好きで大学の女子に頼まれると安いルートで乗りトク夜行列車を選んで格安キップにプランまで丁寧に作成するのが心地良くて1人でも夜行列車が便利で素晴らしいと感じて欲しい気持ちは嘘偽り無く、特に乗車券のみで乗れる長野夜行441M・442M・・・大垣夜行347M・344Mに長岡行き733Mは気軽に使える夜行列車であるため、自分も推奨していた。

 

時刻表を見ながら旅の計画を立てるという事は楽しく、実際の旅の楽しみを凌駕すると言っても過言ではないと思うのだがまだ小学生の頃みたいに時刻表を捲ると同じ深夜時刻のこの時に遥か離れた北の地で夜行列車が乗務員の手によって時刻どおり運転されているという事実に胸を熱くして感動した想いは大学生になった自分のハートに変わらず刻み込まれており、夜行列車や寝台列車の旅の醍醐味は忘れておらず、逆に想いは更に強く深く嵌ってゆくのであった。第一次ブルートレインブームが1978年くらいから始まるとマスメディアやTV番組で特集したり、書籍でも煽り始めるようになる。

 

自分が一番感銘を受けたというか影響を受けたのが1978年に発売された鉄道ジャーナル社別冊の「ブルートレイン・青い流れ星」と毎日新聞社MOOKの「夜行列車・星影の旅情」である。特に後者の夜行列車・星影の旅情は北は稚内行きの急行利尻から南は西鹿児島行きの急行日南までの詳細乗車リポートが満載で鉄道雑誌が取り上げてない上り大垣夜行の344Mや中央線長野夜行441Mまで取り上げて夜行列車に乗って訪れるまだ見ぬ遠い地に思いをはせたものである。自分にとってはこの2冊は夜行列車のバイブルだと申しても過言ではないだろう。

 

大学時代はバイト(私立大学なので親からの小遣いは最低限しかもらえない)での予算が許す限り、乗りたい夜行列車に乗りまくっていたが(しかしなかなかブルートレインには乗れず)この感動を人にも教えたいと一般ピープルにも伝えたくなるが鉄道ファンの独り善がりの戯言なんて受け入れて貰える筈が無い。今から約20年くらい前なら女性の鉄道ファンや鉄道好き女子(鉄子)の存在も少なくないけど今から30年以上前は女性の鉄道好きって殆ど見かけなかったし、鉄道は男の趣味という世の中で風潮であった。そこで少しでも女性の理解者を増やすために自分は動き出したのである。

 

1978年か1979年の夏休み期間中に我らバトミントン同好会は長野県・大糸線沿線にある青木湖のバンガローキャンプ場へ夏合宿をしに計画が上がり、自分は新宿から乗り換えなくして行ける夜行急行「アルプス55号」での企画提案して往復急行アルプスの自由席利用で往復切符を含めて1人当たりの総額が安くなるプランを提案。信州ワイド周遊券は都区内から簗場駅往復だと高くなる計算だが、往復に急行アルプスの自由席代も込みだし、当時は学割の信州ワイド周遊券で買うのが最安値だった。帰路は小淵沢まで特急あずさの自由席も使えて有効期間が7日間で提案したら可決された。

 

往路に乗った「アルプス55号」は臨時なので空いており、初めての夜行列車乗車も何人かいたけど喜んでもらえたし、キャンプだけで3泊したので信濃大町や白馬への買出し隊でも信州ワイド周遊券を有効利用してもらえて自分の株が上がった訳だが自分は夜行列車の有効活用と安く乗れる面白さを知ってもらえたのが一番嬉しかった。少しでも自分の知識が役に立てたのは鉄道趣味冥利に尽きると思う。それからはサークルの面々から安く行けるコースやきっぷの相談まで受けるようになり、こういう鉄道を基点にした教える楽しみが増えて今後の人生でも実戦したのは言うまでもない。

 

鉄道が好きなのに何で大学の鉄研鉄道研究会)などに加入しないのか、いぶかしんでいる諸兄もおるだろう。趣味団体は16歳から私設鉄道趣味団体(所謂愛好会・同好会・クラブ・サークルなど)に入会していたし、せめて大学に入ったら女性と知り合える可能性が高い所へ入ろうと思っていたため、鉄研は眼中なかった。自分が入ったバトミントン同好会は女性の比率が高く、可愛い子も多くてキツイ練習もなく、コンパが多くて飲み会好きな自分には大学進学後すぐに入会してしまった。しかし鉄道も好きだし、高校時代の友達M君他、何人かの知り合いがいるためよく遊びに行ってた。

 

コンパやイベント(学祭等)に部外者ゲスト参加してた常連だったので大学4年へ進んだと同時に鉄研へも入会して二足のわらじを履く事になる。ここで顧問をしてた教授から趣味でもひとつの事に拘らず若い内は色んな事にチャレンジしろとご教示されて10代後半から好きだったEF58にDD51、そしてEF65Pが牽引する東京口寝台列車の撮影に関わるが最初は蒲田~川崎~新子安ブルートレインを本格的に沿線から撮影。撮り鉄に魂を売ってもブルートレインや夜行列車の哀愁ある旅路を忘れる訳なく、夜行列車旅情に想いが募るばかりであった。

 

大学を卒業して希望してた企業へ入社すると第二の趣味人生が訪れたのである。それは給料がもらえてブルートレインへ容易に乗れる身分になるが初めての4人で大阪出張へ行く事になる。自分がフリースペースでもあり、灰皿があって缶ビール置くスペースもあるナハネフ22の展望スペースへ案内したりして夜行列車好きが露見。さらに当時上司で出張同行した方から若い頃はよく夜行列車が好きでよく乗ったと昔話につい同調してしまい余計な事を述べて鉄ちゃんがバレバレ。出張から戻り、精算書作成の際に国鉄運賃・急行寝台券に帰路の新幹線特急料金算出が新入社員なのに一番早かった。

 

行先の都道府県市区町が分かれば一番早く行けるルートを瞬時に調べて料金算出も鉄道ファンの特性で早いため、長距離の出張は何故か自分が担当するようになり、年々出張利用としての寝台列車乗車の機会が大幅に増えてしまったが本件に付いては2019年11月29日のブログ「夜行列車での出張について」に詳しく書いたのでそちらを見て頂くとして就職しても夜行列車をきっかけに様々な人と出会えて楽しい行路である。ある時は同じ趣味の同士と出会ったり、またある日は将来の嫁さんとなる人とも夜行列車の車内で会う事ができたのである。

 

1984年5月4日に青森から乗った寝台特急ゆうづる4号」で乗り合わせ偶々同じ寝台区画で一緒になり(僕も彼女も下段)一緒に夕飯の弁当を食べたのがきっかけで彼女が旅好きなのを功を奏して更に夜行列車の旅も好きという事を聞きだして押しの一手で付き合い始めて翌年には「銀河」で京都へ行き、観光見物して大阪移動後に「日本海」で北東北へ観光旅行へ行くマニアックな旅を行い、交際期間1年で結婚。単に夜行列車が好きという理由だけでなくてコミュニケーション能力などでも選ばれたのだろうが仕事で好きな夜行列車に会社の金で乗れて好きな夜行列車内で生涯の伴侶とも出会えた。

 

たかがブルートレイン、されどブルートレイン、僕の人生の岐路にはいつもブルートレインが走っており、まさに人生の縮図であった。僕の人生の多くにブルートレインが走っており、お陰で楽しくもあり、この齢になるまで鉄道が好きでいられたのはブルートレインを含む夜行列車全般の浪漫や想いがあったからに違いない。しかし計算外だった事が1件ある・・・それは僕が60歳を迎える前にブルートレインが全て廃止になって夜行列車も急速に消えたので僕の老後の楽しみが無くなってしまった事だ。しかし自分が40代や50代の頃にフルムーン夫婦グリーンパスで「北斗星」のデュエットなどに数え切れないほど乗って来たから悔いはないけどね。

 

このブログがアップされた1ヶ月半後に僕は64歳になる。今回のブログでは子供の時に初めてブルートレインに出会ってから学生時代、そして社会人になって結婚した頃までを夜行列車想いに被して人生の想いなどを書いてみた。来週の後編ではブルートレインと夜行列車についてもう少し掘り下げて書いてみたい。(えっ、長い?)

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★