夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

やっぱり楽しかった夜行列車

思い出夜行列車レポートが10週以上続いたので乗車レポート以外のネタで書きます。時刻表に掲載されている夜行列車は事実上「サンライズ出雲・瀬戸」しか走ってない昨今で楽しかった夜行列車というタイトルは如何かと言われそうだが2020年~2022年のコロナ禍で都道府県を公共の乗り物で跨ぐ行為を自粛して直接会う事も控えなければいけなくなった時代に入ってしまったが「2022年は規制緩和」鉄道趣味のコミニュケーションも在宅リモートワークになってSkype・LINE・Discordによる通話や会議機能のよる複数名での雑談で出る話は夜行列車の思い出話や若い人はもっと早く生まれて多々の夜行列車に乗りたかった等の話になる事が多い。

 

弊ブログでは2019年10月20日(yahooブログでは2015年9月に記述済み)に「夜行列車の楽しみ」というタイトルで簡単な夜行列車の楽しみ方を書いているが、今回はもっとディープに紹介しよう。趣味で夜行列車に乗る人の殆どは"乗り鉄"だと思うのだが中には僕みたいに撮り鉄だったり、夜行列車は好きだけど目的地に着いたら観光を楽しむ人がいるのでどんな夜行列車を利用する旅でもプランニングを楽しむ人は多いだろう。時刻表を読みながらどんな列車の寝台を選ぶか座席車を選ぶか、先ずはそこから始まる。旅の目的や予算によって大きくかわるが種別も普通、快速、急行、特急などお好み次第だけど2022年現在ではサンライズ出雲+瀬戸しか定期夜行列車は走っていない。

(夜行列車の楽しみ https://hokutosei-95.hatenablog.com/entry/2019/10/20/143644

 

上記にURLを貼った2019年10月20日のブログ記事「夜行列車の楽しみ」には僕の感性が描いた"夜行列車の楽しみ"をUPしてるが実際にはもっと他にも夜行列車の楽しみがある。人気があってなかなか寝台特急券が取れない、更に人気の個室が取れない時に思わず取れた時の喜びや初めて乗車する夜行列車ならその列車への期待や乗車までに色々調べたりする楽しみがある。停車駅時刻を調べてホーム自販機で飲料が買えるとか、ごく稀だけど深夜~未明~早朝に弁当など食料が買えるなどの情報を調べたりするのも楽しい。実際に始めて乗車してみて期待を裏切るような夜行列車もあっただろうけど何事も経験である。

 

偏に夜行列車と言っても多々あり、機関車が牽引する客車、電車、気動車ディーゼルカー)など等。これは趣味的な好みになってしまうのだが私が思うに一番夜行列車らしいのは機関車に牽引される客車で"ブルートレイン"がこれに当たるのだが駅へ停車している時は無音に近く冷暖房も温度設定出来るので車内環境も良かった。しかし分散式電源を持つスハネフ(座席車だとスハフ)は特に騒音を出していたので無音には程遠かった。尤も国鉄時代は運転が未熟な乗務員のおかげで発車する前に機関車と客車の連結器隙間を詰めないでいきなり起動させるものだからつんのめるショックが大きくてそれは酷いものだった。

 

それでも自分は機関車が大好きなので機関車が牽引する夜行列車に旅情を感じてたし、幼少の頃から強い憧れみたいなのがあって特に食堂車が営業してた1983年くらいまでの東京発着寝台特急には拘っていた。食堂車のメニュー(手の込んだ酒のツマミ的メニューなど)が大幅に減った1986年後半ではくらいから食堂車への魅力は薄れていったけど腐っても鯛ではないけど東京発着ブルートレインは機会を作ってよく乗った。出張でブルートレインに乗って食堂車を利用したのが2回ほどあるがこの時は先輩や同僚など計4名で「あさかぜ1号」で山口県出張だった。

 

東京を発車早々に食堂車へ駆けつけて最初は瓶ビールで乾杯して後半はウィスキーのミニチュアボトルに移行したがつまみの料理は4名で個々に注文して更に追加や食事などをオーダーして会計の時に割り勘でも飲食税が10%かかって苦笑いしたのが今ではよい思い出になっている。あと自分が若かった頃は走行区間の長いブルートレインに乗ると3段B寝台ベッドや2段A寝台ベッドは中段(A寝台なら上段)が畳まれて座席になったり、夕方は中段や(A寝台なら上段)が格納されているので中段や上段のお客と一緒に座席となる下段寝台で過ごす訳になるので他のお客との触れないがあった。

 

知らない人同士が6人向い合って座るのは照れ臭いけど若い1人旅してる奴がいると好奇の視線で見られていろいろ尋ねられる事がある。自分が行く旅先に詳しい人がいれば名物や美味しい物を聞く事が発端となり、話が弾む事だってあるのだが仮に何も話さなくても一晩同じ列車で過ごした連帯感みたいなのが生まれて朝に寝台から座席に変われば朝の挨拶するのが当り前に思えてくるのが不思議である。それらが楽しい事ではないけど夜行列車ならではの出会いになったし、車内や同じ席で相席になった人と親しくなってお互いが鉄道好きと分かれば手紙書くために氏名・住所の交換とかも珍しくない。

 

流石に2000年くらいから個人情報保護という観点が世間的に当たり前になると見ず知らずの人に教える事は憚りますけど車内や駅などで同じ趣味の人を出会いって今でも飲みに行ったり(コロナ禍中は自粛)年賀状の交換をする真柄になっています。前にもどこかで書いてるかも知れないけど家内とは1984年5月に青森から乗った寝台特急ゆうづる4号」で偶々同じ区画の寝台で出会って鉄道ファンではないけど寝台特急を軸に観光旅行をするのが好きで僕の無理矢理なアプローチで交際が始まり、翌年にはめでたくゴールインした訳ですが人との出会いなんてどこにあるか本当に分からない。

 

時代の流れと風潮の変化で若い人が知らない客と混じりたくない考え方が増えてさらにプライバシー重視で個室を連結した寝台特急も増えて逆に言えば女性でも安心して寝台車の旅が出来る様になった訳だけど個室にこもってばかりの旅もな~っと考えるようになった事もありました。しかしフリースペースのロビーカーやラウンジカーが連結されると色んな人と出会えてそこで親交を深めたり、その場だけの付き合いの人が殆どだけど色んな話が出来てとても楽しく、有意義な時間を過ごす事ができて私個人的には満足している。

 

この原稿を書いてるのは1997年末までに乗車した夜行列車のレポート記事を全て書き終えた段階で想い出乗車レポートとしてHatena Blog(ライブドアブログ・yahooブログも含むが二重投稿分は含めない)に紹介した夜行列車の総計が、約480回に近付いており、500回目が気になるところだ。実際にはブログ未掲載の夜行列車にも数多く乗っているため、数値的には500回は軽く超えていると思うけどこんな夜行列車バカwの私なので趣味関係の人や勤務してた時は職場や出張先の人から今まで乗って一番よかった夜行列車は何かと訪ねられるのが一番難しい。

 

目的が旅行だったり、出張での乗車だったりその都度違うし、その時の健康状態や機嫌によっても違うから大まかに選べないのが本音である。しかし無理して拾うなら寝台特急北斗星と急行八甲田だと思う。理由は前者は北斗星という列車を媒体に数多くの友達や仲間が出来た事。後者の八甲田は始めて乗った1976年の3月に冬の北海道へ行くために偶々車内で出会った僕より1学年上のS氏(高校卒業まもない高校3年生で僕は3年へ進級まもない2年生だった)。同じ高校でクラスメイトだったM君は既に他界してるのでS君は僕にとって生涯の趣味友達である。

 

夜行列車なんて乗り心地や寝やすさとか最適な個室などが選ぶ基準になるのだろうけど現在64歳の自分はよい人間関係を基準に考えてる。所詮夜行列車は鉄の箱、やっぱり人間関係が一番なのかな~! と深夜1時過ぎに好物のシングルモルトウィスキーを呑みながらExcelで原稿作成している私であった。

 

後述・・・最後のブルートレインと言われた「北斗星」が完全廃止になって7年が経過したがJR西日本で二年前にWE銀河「WEST EXPRESS銀河」が走るようになっただけで本来の夜行列車は全く復活していない。JR東日本管内でも牽引可能な機関車はEF65PFとEF81が僅かに在籍しているだけで一から客車や牽引機を新規製造するには費用がかかるし、交流直流に非電化区間まで走れる車両だと更に金額が増すため、寝台夜行列車復活は無理であろう。自分は1975年から47年間夜行列車に乗ってきたので今さらどうでもよいと思うが、若い人はもっと気軽に乗りたいだろう。

 

日本の産業低迷期からの構造不況が始まって旅をいう概念が大幅に変わってきた。安いLCC(Low-cost carrier)に格安高速バスや安いビジネスホテルの参入で古い車両を使った夜行列車と牽引する機関車の老朽化が重なって一気に夜行列車は姿を消して労働者の賃金は下がり、社会問題までなった非正規労働者が増えて解雇問題。更に悪化した中へ2020年のコロナ禍がトドメを刺した。日本のGDPは落ち、サラリーマンの平均年収は韓国に抜かれて円まで下がってこの後述「追記」を書いてる現在でも1ドル147円だ。夜行列車の復活を願う人は多いと思うけどコロナ禍で赤字に転じたJRが黒字計上になる事を願う。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★