夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 越前(旧客・自由席)

先週(2020年9月28日)にアップした急行「能登」の岐路になるため、今日の記事も乗車した年月日や時期他などが分からないため、没になる記事ですが詳細時刻や編成・牽引機は判明しているため、特採として引続きアップしてみた。全くをもって乗車日時が不明だがM君と福井駅で上野行きの急行「越前」最後尾となる自由席・9号車で入線を待っていた。岐路に急行「越前」を選んだのは往路が上越線廻りなので変化を持たしたのと少しでも乗車時間が長い(10時間31分)のが理由で他には寝ているかも知れないが、横川~軽井沢の碓氷峠を越えるのと上野駅到着が7:05と遅い事。

 

20:20に敦賀第二機関区のEF70-1007に牽かれて颯爽と入線したが平日の翌日も平日で夜行列車の発車にはまだ早いのか、乗客は疎らだが直江津駅まで先頭車になる9号車のオハフ45-2014に乗り込み、席を確保して編成チェック済ませて席に戻ってから発車を待つ。昨夜は糸魚川駅の駅寝環境がすこぶるよくてぐっすり寝れたため、体調は絶好調で急行「能登」での寝不足もすっかり解消できた。20:34定時で福井駅を発車した急行「越前」9号車だが福井駅発車時点で今夜も空気輸送でその先、金沢駅富山駅で乗り込むだろうけど空いているのは有り難い。

 

夕飯がまだなので缶ビールを飲みながら福井駅の駅弁でもある「赤えびすし」という甘エビの押し寿司を食べ、M君は越前かにめしを食べているが地上泊1泊分を駅寝して贅沢な夕飯を楽しんだ。列車は芦原温泉駅(20:49)と加賀温泉駅(21:04)の温泉駅名の2ヶ所に停車して更に粟津駅(21:12)そして小松駅(21:19)に停車。今夜の急行越前の編成は以下のとおり・・・⑨オハフ45-2014⑧オハ46-2098⑦オハ47-2235⑥オハ47-2032⑤オハ47-2207 ④スロ62-2060③オハネフ13-2607②オハネフ13-2506①オロネ10-2043にマニ37-2008が連結されて客車と荷物車全て福井客貨車区担当。

 

列車は金沢駅(21:42-44)へ到着すると流石に北陸で一番大きい駅だけど乗ってくるのは旅行客というより仕事帰りや短距離移動の乗客ばかり。上野方面なら12分前に発車した急行「能登」の方が便利だし、その後に「越前」は1982年11月ダイヤ改正で急行「能登」に吸収されてしまったのも今考えると分かる様な気がする。列車は津幡駅(21:55-55)・石動駅(22:07)・高岡駅(22:21-22)・小杉駅(23:09)と停車して富山駅(22:40-50)へ停車すると金沢駅で乗車した旅客の殆どが富山駅までに下車してしまった。富山駅では福井から牽引して来たEF70-1007が開放されて変わりに富山第二機関区のEF81-19を連結。

 

富山駅からはそこそこの乗客が乗り込んだけど仕事を終えて遅い帰宅組や一杯飲んで帰る帰宅者が多くて、自分達みたいな旅行者風情は殆どいなかった。普通は翌日も平日だし、学校の休みもまだなのでやはり短距離移動旅客が中心の様である。富山から先は小まめに停まって滑川駅(23:05)・魚津駅(23:09-10)・黒部駅(23:20)・入善駅(23:31)・泊駅(23:38)と停車するが県境を越えて新潟県に入った糸魚川駅(0:03-05)に停車。糸魚川駅は昨夜も駅寝でお世話になった駅で深夜あるけど、深夜から未明に下りと上りの「能登」「越前」「北陸」が停車。

 

更に深夜0時台から深夜1時台に停車する上り「きたぐに」「つるぎ」と未明4時台と早朝5時台に停車する下り「つるぎ」「きたぐに」が停車するため、駅舎待合室も含めて開放なので駅寝するには都合の良い駅だ。糸魚川駅を発車すると32分で直江津(0:37-46)に停車するが直江津では進行方向が変わり、牽引機もEF81からEF62に変わるので早速ホームに降りて牽引機を見に行くとマニ37-2008の前に高崎第二機関区のEF62-2が連結されてEF62独特のブロアー音を奏でていた。今まで我が9号車は機次(機関車の次位)だったけど直江津駅を発車すると最後尾になって信越線に入って行った。我々もここらで休む事にした・・・以下は就寝中の停車駅と時刻。

 

高田駅(0:57-57)・新井駅(1:10)・妙高高原駅(1:34-35)・長野駅(2:37-39)・上田駅(3:25-29)・小諸駅(3:47-47)・軽井沢駅(4:10-16)・横川駅(4:38-43)・高崎駅(5:10-18)。高崎駅停車中に目が覚めて肝心の碓氷峠・横軽区間は寝過ごしてしまったが熊谷駅(5:59-59)くらいまではうつらうつら寝ぼけていたようである。深夜の直江津駅で買った甘くない缶コーヒーを飲みながら目覚めの一服を吸っていると頭の中もシャンとして東北線と合流すると大宮駅(6:31-33)に到着した。朝6時半を過ぎてるので京浜東北線南行き電車は混雑しており、朝のラッシュアワーが始まったようである。

 

103系京浜東北線を抜いたり並走しながら走っていると荒川橋梁を渡り、東京都に入って終着駅を除けば最後の停車駅となる赤羽駅(6:52)へ入線した。下りの「越前」と「能登」は赤羽駅は通過なのに上りの「越前」と「能登」は赤羽駅に停車するのが何か解せなかったけど「鳥海」「佐渡」「天の川」「妙高」も時刻表をみると同じで何で上りだけ停車なのであろうか?当時はEF80とEF81しか配置がなかった田端運転所(EF58やEF65PFは宇都宮運転所の担当だった)の脇を通過すると10時間36分にも及ぶ旧型客車での夜行列車旅も終わりで定刻7:05に終着上野駅15番線に入線した。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★