夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 はやぶさ(B1)

1994年5月4日(水曜日)、自分たち家族3名は東京駅9番線ホームで寝台特急はやぶさ」の
入線を遅しと待っていた。 今朝早朝に臨時急行「おが」で帰宅した自分はその後は殆ど仮眠で寝ていたので時間差により、別の日の様な気がする。今回は車内2泊と宿2泊の4泊5日の予定で嫁から希望があった下関市秋吉台・秋吉洞・山口・津和野巡りで下関レンタカー手配で予約。 利用寝台は1人用B個室「ソロ」を3部屋入手しか無いと思い、JR北海道プラザ東京店を含む4ヶ所にも及ぶ、みどりの窓口に手配して「ソロ」を3枚分10時打ちで入手したけど岐路の「富士」を含めてソロは18室あるため、意外と確保するのが楽で助かった。

 

一家で寝台特急はやぶさ」を待っていると18:05にEF66-46牽引で「はやぶさ」が9番線ホームに入線すると早速扉が開くと12号車のオハネ25-1004に乗り込んで取り合えず3番・7番・10番(奇数が下個室・偶数は上個室)に入って僕が3番、息子が7番、嫁が10番に振り分けて通常は7番個室を息子の部屋兼ベース基地とする。 嫁と子供が、売店で買物している内に僕は先頭の1号車まで小走りに移動して牽引機を確認すると7列車の牽引機は回送5列車を東京駅まで回送したのは下関運転所のEF66-52だった。12号車7番個室に戻りり、18:16発「はやぶさ」発車時刻と同時に1部屋に集まって夕飯と乾杯の開始である。

 

1993年3月改正で東京発着ブルトレ全列車(みずほと出雲1・4号は1991年6月で廃止)の食堂車営業が終了した事は過去に書いているけど、現在の食堂車は車内販売基地と弁当発売のみなので既に用はない。 有楽町や新橋のオフィス街を見ながら田町から旧東京機関区内に入ると旧品川客車区や田町電車区を通る鉄道ファンや車両ファンには楽しい区間だけど1番倉に主(EF5861)は確認できたが、博多車掌区のレチが登場したので乗車券3枚と特急寝台券3枚を呈示して7番の個室に家族で集まってる旨を説明。 車掌も行ったので東京駅コンコース売店で買ったチキン弁当と各自の飲み物で夕飯の宴スタート。

横浜駅(18:41-42)に到着するくらいには周囲が、少しずつ暗くなって大船駅通過ではすっかり夜行列車になっている。 そもそも「はやぶさ」は東京駅発が17:05だったけど1993年3月18日ダイヤ改正で「富士」とダイヤを差し替えられているのであるが「富士」だと下関到着が7:10着と早く、レンタカー営業開始時間には早すぎるのである。 家族での夜行列車旅でソロを個別に3部屋予約したのは今回が初めてだし、息子も小学校2年生だから1人でも大丈夫だと思ったのであるが、本人は初めて自分専用の個室をあてがわれて、どんな気持ちなのだろうか? 多分ワクワクしているのだろうな。

熱海駅(19:39-40)を発車すると息子にソロのスイッチ類・操作や個室に入ったら鍵をロックする事を教えて僕達は3番個室(僕の部屋)でBGMを聞きながら持参のワインを二人で飲みながら夫婦の時間を過ごす。 息子が寂しがって来るかなと思い、個室ロックは外しておいたのだが結局来なかった。 列車は富士駅(20:12-12)・静岡駅(20:38-39)に停車して21時に嫁が自分に部屋に戻り、僕も一緒に行ったのだが3部屋の内、唯一2階部屋なのだ。 僕個人は個室内に階段があるB個室は好まないので、ソロもデュエットも1階部屋(下)を好んで発券してもらったから嫁には2階個室は始めての経験になる。

浜松駅(21:34-36)発車後にトイレ帰りに嫁の部屋10番個室に立ち寄ると、部屋の電気を消
してベッドに寝転がって星空を見ていた。 その後1番心配だった息子の部屋に立ち寄ると本人は目を輝かせて窓ガラスに顔をピッタリ付けて、すれ違い列車との接近や見てても飽ない車窓を楽しんでいるので「早く寝るんだよ」と声を掛けて僕は自分の部屋である3番個室に戻って早めに就寝した・・・以降は就寝中の停車駅時刻で<>は運転停車を表わす。 名古屋(22:46-50)・岐阜(23:10-10)・米原<23:49-50>・大阪<1:05-08>・岡山<3:15-17>・広島(5:25-29)、広島駅の4分停車は既に起きていた。

トイレの帰りに息子の部屋に行くと既に起きており、(寝てない様な気もした)息子を誘って14号車のオハネフ25の折妻展望エリアで流れる景色を一緒に見て9号車のロビーカー(オハ24-703)へ移動して人気のないロビーカーで寛ぐ。 日本の寝台列車で始めてのパブリックスペースであるロビーカー(オハ24-700番台)を楽しんだが、「はやぶさ」や「富士」にロビーカーが、連結されたのは1985年3月14日からでオシ14から改造され、9年以上が経過した。ロビーの自販機でジュースを2本買って"お母さんには内緒だからね"と念を推して親子2人で飲みながら楽しんで12号車に戻る。



ロビーカーでは息子が、始めての1人個室に興奮して車窓に夢中で殆ど寝てない事も聞き出して鉄ちゃんの男親として困った反面嬉しかったのである。 ソロに戻ると列車は柳井駅(6:26-26)に到着して朝靄の瀬戸内海岸を走り、㈱日立製作所鉄道車両工場がある下松駅(6:48-48)に到着した頃に嫁が起きてきた。 柳井駅から乗り込んだ車内販売員から徳山駅のあなご飯弁当を人数分購入して車内の朝食にしたが食べ終えた息子は眠いのか寝ている。寝台特急はやぶさ」は防府駅(7:19-20)と宇部駅(7:57-57)に停車して下車駅の下関が近いので下車準備を終えて待機していると個室キーの回収が行われた。

 

14時間18分の旅も終わりで下関駅(8:34-39)到着の車内放送が始まり、いよいよ寝台特急
はやぶさ」ともお別れだ。 定刻8:34、下関駅に到着するとホームに出て背伸びをしてから嫁と荷物はベンチに置いて息子とホームを走って先頭の機関車まで見に行く。12号車から機関車までは12両+電源車1両の合計13両分を移動するのは結構大変だけど先頭に到着すると既にEF66-52は外され、変わりに大分運転所のEF81-414が連結されている途中で見送ってから全員で改札を出て9:00予約のレンタカー屋へ移動。

普段ならJR運賃もレンタカーも安い、レール&レンタカーという商品を使うのだが、ゴールデンウィークは繁忙期なのでレール&レンタカーはうま味が無いため、往復乗車券とレンタカーは親友K君の勤務先経由で超お得なレンタカーを手配してもらった。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★