夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 はやぶさ(B1→ヒルネ) 後編

2022年8月29日の寝台特急はやぶさ」(1997年5月1日~5月2日に実際乗車)乗車レポの続きとなります。

自分にとっては二晩連続の夜行列車(1997年4月30日の上り寝台特急「富士」)旅なので浜松(21:34-36)を発車早々に就寝して翌朝目が覚めたのは朝6時の岩国駅通過した辺りで寝不足だからという事はないけど久々によく寝た。洗顔を歯磨きを終えて着替え終わると列車は海沿いを走り、周防大島が見えてくると神代~大畠の有名撮影地を走って柳井(6:26-26)に到着した。柳井駅では弁当(駅弁ではないのであえて弁当と記述)積み込みはなかった様だが列車は下松(6:48-48)に到着すると1号車から6号車は寝台は使えなくなってヒルネのB立席特急券でも乗れるようになる。

 

徳山駅は先頭の1号車から車内販売が乗り込むので早めに先頭車まで歩いて行くと基本編成のB寝台は結構乗ってたけど1号車と2号車は殆ど空いていて笑い。徳山(6:55-56)に停車すると1号車の先頭デッキから車内販売員が乗り込んで来て早速車内販売スタートだが自分は4番目であったけど徳島駅の幕内弁当を3個、更にお茶も合わせて購入して12号車まで戻った。既に嫁と子供にお茶と弁当を渡して各自自分の個室で食べるにもいいし、僕の部屋に集まってもいいと伝えると家族が3番個室に集結。個室の窓から瀬戸内の海が見えないのが難点だが家族で食べた徳山の幕内弁当も美味かった。

 

寝台特急はやぶさ」は防府(7:19-20)や宇部(7:57-57)に停車しながら本州最西端の駅でもある下関(8:34-39)に到着するので機関車確認するために子供と嫁を連れて車内を移動してホームの一番前に行くとJR九州・大分運転所のEF81-400番台ではなくて、JR貨物・門司機関区のEF81-302が「はやぶさ」のマークを付けており驚いた。「みずほ」と「あさかぜ」の廃止で機関車を整理した大分運転所だが1996年からA45仕業(3レ「さくら」)とA51仕業(31レ「なは」)の旅客運用を受け持っているため、他の寝台特急牽引・機関車運用もJR貨物・門司機関区が稀に運用へ入る様である。

 

車体のボディーがコルゲート状に加工してあるEF81-300番台は国鉄時代は門司機関区に所属してEF30と一緒に関門間の専用機として活躍していたがデビューした時はステンレスのラッカー塗装だけのなのだがその後に内郷機関区へ転属してローズピンク色の交直両用機関車のスタンダードな色になってしまったが子供は変わった風貌の機関車に喜んでいた(因みに長男は安中貨物「いわき駅から安中駅までの貨物列車」撮影でこの機関車と10数年後に運命的な再会を果たす)。下関駅を発車すると列車は坂を下って関門隧道に入るが地上に出るとデットセクションを過ぎると門司(8:46-52)に到着。

 

門司からは鹿児島本線日豊本線などAC20kV(60Hz)なので大分運転所のED76-90が連結されて終着西鹿児島駅まで牽引する。機関車の前で記念写真のシャッターを駅員?に押してもらい、急いで12号車まで移動するが発車時刻が迫り、7号車くらいから車内を移動して遠い遠い我が12号車まで歩いて移動したらかなりのいい運動になった筈であるが嫁は食後の運動にバテバテであった。車内販売が回ってきたのでホットコーヒーを求めると嫁も追加して息子はコーラを注文。門司を発車すると列車は長かった山陽本線とは別れて鹿児島本線に入り、小倉(8:59-9:00)に到着した。

 

走るにつれて福岡市の中心に近付いている事がわかるが、すれ違う優等列車も特急「つばめ」(787系)、特急「有明」(783系ハイパーサルーン)、ソニックにちりん(883系)、「にちりんシーガイア」(787系)等初めて見る特急電車も多くて息子は始めて見る車両に大わらわだったらしいけど寝台特急はやぶさ」は九州の中心駅でもある博多(9:53-54)に到着した。博多を発車すると特急「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」なども混じって我が子の頭の中はパニックしそうだが久々に九州上陸した俺も大差ないレベル。新型鉄道車両の情報は入るには入るけど基本電車は興味ないので初心者同様であります。

 

原田~けやき台間で福岡県から佐賀県に入り、寝台特急はやぶさ」も残るところ熊本県と鹿児島県のみとなったが、鳥栖(10:19-20)の2分停車では食べ比べようと中央軒の焼売単品(350円)を購入する事に成功したのでお昼にでも家族でつまんでみよう。8分で久留米(10:29-30)に停車するが、列車は先ほど書いたように福岡県から佐賀県に入ったのだが久留米駅はまた福岡県に戻ってしまい、大牟田駅まで福岡県を走るのだ。福岡県と佐賀県を行きつ戻りつする線形は異様に特殊みたいだけど致し方ない。やっとの思いで大牟田(11:03-08)に到着してやっと熊本県に入った。

 

大牟田駅では後から来る特急「つばめ7号」の退避待ちで5分停車するが国鉄時代は特急が特急を追い抜くなんて事はなかったが、JRになると各社高速運行の特急(787系などの最高運転速度130km/h)が開発されると速度の速い特急と国鉄時代の速度の遅い寝台特急が同じレールの上を走ると特急が特急を抜かすなんて事が当たり前の行為になった。特急「つばめ7号」は大牟田駅に11:06に入線して11:06に発車した(はやぶさより西鹿児島駅に1時間早く着くのだ)。これじゃあ「はやぶさ」のヒルネ(B立ち席特急券)なんかに乗る人はいないし、息子も嫁まであっちに乗りたいと言い出す始末・・・ヤレヤレ。

 

大牟田駅を発車すると車掌が個室の鍵を回収にきたので各自荷物の準備をして西南戦争の激戦地であった田原坂駅を「はやぶさ」が通過した際に我々家族も民族の移動と称して12号車から6号車の西鹿児島行き・禁煙車に車内を歩いて移動するが熊本駅で我々が乗っていた付属編成は切り落とされるため早々に環境が良さそうなヒルネの区画をキープしようというのが我々の作戦だ。幸い6号車(オハネフ25-110)は空きボックスばかりで寝台も使われた気配がない席をキープして家族3人で思い思いに座ると熊本(11:48-53)に停車したので自分は5分停車で昼飯の駅弁を買いに行く。

 

熊本駅弁当屋は駅前で音羽屋という中華飯店を同時営業しているので中華弁当には定評があるため、中華弁当(820円)を3個購入して6号車に戻ると飲み物が待っており、熊本駅を発車してヒルネのキップ類を車掌に見せ終わると昼食にする。中華弁当はシューマイ、春巻き、エビチリ、中華風ワカメサラダ、ニラ炒め、などのおかずで味付けも本格的だ。鳥栖駅で買った中央軒の焼売も一緒につまむが嫁が言うには崎陽軒のシウマイには到底勝てない味付けと言っていたが駅売りでは小田原駅大船駅に札幌駅で売ってる駅弁会社の焼売単品の方が美味いように感じる。

 

真昼間だけど嫁と缶ビールで乾杯しながらの中華弁当は味付けも抜群で家族も喜んでくれてよかったけど車内が空いているのをいい事に嫁は空いてる区画の席(寝台下段)で横になって寝てしまった。列車は宇土駅を通過すると三角線(現あまくさみすみ線)と分かれて八代(12:19-20)に到着するが熊本からは九州新幹線の高架工事も行われていて昔とはイメージが変わってしまったが肥薩線と分かれて球磨川を渡り、日奈久(現日奈久温泉)駅の先には待望の有明海不知火海?)が見えて暫し、海沿いに進むとやっと南国九州にやって来た気分で盛り上る。

 

肥後二見駅を通過すると更に海に近い箇所を走り、寝台で寝ていた嫁も起きて来たが水俣(13:07-08)を発車すると暫く進むと水俣湾に沿って進み、袋駅と米ノ津駅の間で熊本県から鹿児島県に入る。いよいよ下り寝台特急はやぶさ」は最終県の鹿児島県に到達したので旅も残り僅かであるが終着駅の西鹿児島駅までまだ2時間弱ある。鹿児島県最初の停車駅でもある出水(13:24-25)に停車すると折口駅(通過)の先で海沿いを走って阿久根(13:43-44)に到着。牛ノ浜駅を通過すると更に海沿いを走るが速度が落ちて運転停車の薩摩大川(13:54-14:00)に停車。

 

16M(特急「つばめ16号」)を通過退避のため、6分停車するが単線区間なので致し方がないが「はやぶさ」も発車すると更に海沿いの車窓を楽しんでいるとまた徐行して運転停車の薩摩高城(14:08-11)に停車するので子供と嫁を連れて最後尾オハネフ25-110の展望区画へ行き、下り「はやぶさ」と上り「はやぶさ」がすれ違うシーンを見学しに行く。既に我々が寝ている深夜時間帯に加古川駅~宝典駅間にて既に1回目の上り「はやぶさ」とすれ違っているので本日2回目の同一列車同士のすれ違いだ。本列車が薩摩高城駅に到着すると1分30秒か1分45秒くらいすると上り「はやぶさ」がゆっくりと通過して時刻通りに14:11に本列車も発車した。

 

薩摩高城を発車すると海沿いから内陸部へ移動して川内(14:25-25)に到着するがマルス端末が漢字打ちが出来ないマルスN型はカコ・センダイ(鹿児島本線川内駅)と表しカタカナ・ひらがな同一駅名の東北線の仙台駅はトホ・センダイを記してあるくらい川内駅は読めない人が多かった国鉄時代だけどカコもトホも線区の電報略号である。なんて家族に説明していたら串木野(14:37-38)に到着。川内駅くらいから人工も増えてヒルネ乗客が増えてもいいのに数分後には特急「つばめ9号」が追い上げてくるから我が「はやぶさヒルネに乗る乗客は極めて少ない。

 

これでは熊本~西鹿児島間が廃止になるにも無理はないけど最新鋭のビュッフェもある787系に人気があるのも仕方がない事で自分が同じ境遇ならBOX席で前夜からの汗と臭いみたいなのが染み付いた寝台車のヒルネなんて乗らないで787系の「つばめ」を選んでいると思う(苦笑)。やがて列車はかつて鹿児島交通・枕崎線が分岐していた伊集院(14:53-53)に到着するといよいよ次が終着駅の西鹿児島(現鹿児島中央駅)だ。我々家族3人も降りる仕度をしてデッキに移動するとこれから乗り換える指宿枕崎線の線路が近付いて所定時刻の15:10に西鹿児島駅に到着した。実に1,514.7km、20時間54分の旅が終った。

 

定期列車では一番長い距離と時間を走る列車に感銘する暇もなく、家族で階段とホームをダッシュして2分接続で指宿枕崎線・快速3963Dに乗る事が出来た(予定では15:20発の965Dに乗る筈であった)。家族に「はやぶさ」フル乗車の感想を聞くと息子は楽しめたとの事で手応えを感じたが嫁は午後が長すぎて疲れた(空いてる下段区画でヒルネと称して横になってたのに)の一言で切り捨てられてしまった。16:02に指宿駅へ到着した我々家族は指宿観光ホテルにチェクインして砂蒸し風呂やジャングル風呂にプールなどでリゾート気分を楽しんだ。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★