夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 ばんだい51号(12系)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年8月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。なお一部駅の時刻や一部の電車や気動車の番号などに相違がありましたらご了承願います。

 

1986年10月9日(木)、南東北ワイド周遊券を手に上野駅15番線ホームで臨時急行「ばんだ
い51号」の入線を鉄道写真撮影仲間のK君と待っていた。10月10~12日は3連休なので前夜の夜に出発してまだ普通客車列車が、走っている磐越西線奥羽線板谷峠の写真を撮りに行く事に決めていたのである。 会津若松行きの急行「ばんだい51号」は急行「ざおう51号」と併結だが、急行ばんだい51号・5号車自由席乗車位置と書かれた案内札がワイヤーに吊るされてる位置にK君と整列していると「業務連絡トーゴバン、回送8407列車ホーム側接近」の案内放送が流れると23:30に推進運転で急行「ざおう51号・ばんだい51号」が入線。

 

1~7号車が「ばんだい51号」、7~12号車が「ざおう51号」で、5号車のオハ12-334(北オク)に早速乗り込んで荷物を置いてから、12号車の前に連結されている機関車を確認しに移動すると田端運転所のEF65-1021だった。 車内に戻って発車前から缶ビールで乾杯するが、夜行急行12系に乗るのは本当に久々で、1984年1月に乗った急行「かいもん」以来、2年9ヶ月ぶりである。流石に臨時夜行急行だけあって車内は見事に空いており、1人1ボックス使って寝ていけそうだけど、日付がわかる5分前の23:55に急行「ざおう51号・ばんだい51号」は上野駅を離れた。

 

K君と飲みながら明日(既に日付は変わり今日なのだが)はどこで撮影するか雑談を交えて相談していると大宮(0:20-21)・小山(1:05-05)・宇都宮(1:30-32)に停車しながらデットセクションがある黒磯駅(2:17-24)に到着。5号車から12号車の前に移動するのに時間がかかって1番前に着いた時には田端運転所のEF65-1021は開放されて、暫くすると福島機関区のED75-705が連結されたのを期に5号車の車内に戻る。 会津若松まで2時間40分くらいなので黒磯発車と同時に1人1ボックス確保して寝る事にする。

 

気が付くと既に郡山駅(3:24-51)に到着しており、隣のホームに急行「ざおう51号」が停まっていたので、どちらかの列車が転線した様であった(郡山からは列車番号が変わり、9227レとなる)。発車時間までまだ5分くらいあるので先頭へ歩いて行くと福島機関区のED77-12が連結されているのを見届けてまた寝込んだので唯一の磐越西線途中停車駅だった磐梯熱海(4:07)と猪苗代(4:33)は夢の中。 K君に起こされると急行「ばんだい51号」は新津駅方面へ向かう磐越西線と今まで郡山から走って来た線路が並んだ会津若松駅構内を走行中で目の前が会津若松駅に5:04定時到着した。

5:30発の新津方面始発221Dに乗り換えるが、まだ時間があるので反対側のホームから「ばんだい51号」を長時間露光で撮影すると、K君がED77-12は1984年9月に磐越西線でお召列車の一号編成を牽引した由緒あるロイヤルエンジン機関車であると聞かされた。磐越西線下り始発221Dに乗った我々2人は急行「ばんだい51号」での寝不足をだったので221Dでは殆ど寝ていたけど日出谷駅で降りて、下り列車も上り列車も風景重視でいろんなアングルで撮影出来る日出谷鹿瀬にて、東新潟機関区のDD51が牽引する224レ・223レ・1226レ・227レ(全て50系)などを撮影して3連休初日をエンジョイした。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★