夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 ゆうづる11号(25形)

今から紹介する記事は乗車した日にちや時期が分からないため、今まで前のyahooブログにさえ紹介されずに日の目を浴びる事がなかった記事です。そのような想い出・夜行列車レポートにも採用されなかった記事ですが、Hetena Blog移転で機会があればその様な記事もアップしてみたらどうかと個人的に考えて数点だけUPしてみる事にする。

 

乗車日は1980年10月1日ダイヤ改正から14系14型寝台車の「ゆうづる」が、消えるまでの1982年11月14日の間だと考察する。当時は寝台特急ゆうづる」が、季節列車を含む7往復が設定されており、下りだと3本あった客車の「ゆうづる」の内、7号が24系24形寝台車、9号が14系14型寝台車、残りの11号と13号が2段ハネの24系25形なので時間的には遅いけど2段ハネの「ゆうづる11」号を選ぶ。因みに当時の客車3段ハネは3500円、2段ハネは4500円だけど初めて1977年に寝台特急「瀬戸」で味わった2段ハネも魔力には敵わないのである。10時間50分の乗車なら1000円くらい高くても環境良い方がよい。

 

乗車日当日上野駅20番線ホームで寝台特急ゆうづる11号」の10号車乗車位置案内札の下で入線を待っていた。寝台特急ゆうづる」は上野22:16発の「ゆうづる9号」が上野駅を出た後は23時台まで「ゆうづる」の設定がないのは「はくつる」と「北星」を発車させるホームを空けるためと常磐線の深夜時間帯に下り貨物が集中してる理由と下り常磐線貨物の機関車交換の混雑解消とかが、理由みたいである。22:16に20番線ホームから14系寝台車の「ゆうづる9号」が、発車するとすぐに22:24、推進回送で「ゆうづる11号」が、入替わる様に入線。

 

早速9号車のオハネ25-3に乗り込むと青森運転所の車両で新製配置は向日町運転所であり、24系25形の0番台は「明星」「彗星」「あかつき」用に投入された車両だけど「あかつき」に14系15形が投入されると余剰になった24系25形0番台が、青森運転所に転属して1980年10/1付で「ゆうづる2往復」、1982年11/15付で「あけぼの3・4号」、1986年11/1付で「日本海3・2号」に24系25形-0番台が、投入されて東北のブルートレインにも2段ハネの恩恵を受ける事ができた。指定された下段ベッドに荷物を置いて一番前の先頭へ行くと田端運転所のEF80-63(折りしもEF80のラスト番号)が待機していたが、上野発着の客車寝台特急には機関車にヘッドマークが用意されてないのが悲しい。

 

酒類をホーム売店で購入してから10号車へ戻って自宅から持参したソーセージやチーズなどをツマミにして飲んでいると36分間の停車は終わって車内は4割くらいが、埋って23:00に上野駅を発車した。「ゆうづる11号」が入線する直前に同じホームから発車した14系寝台車の「ゆうづる9号」は空気輸送で上野駅を発車したけど途中駅の時間がいいのか、青函連絡船への接続がいいのか、はたまた2段ハネの25形がいいのか知らないけど今夜の「ゆうづる9号」に比べて「ゆうづる11号」は盛況である。車掌の切符配信が終わってから浴衣姿になって寛ぐ。

 

自分にとっては1977年に初めて2段ハネに乗った「瀬戸」、1978年に乗った「はやぶさ」と「富士」、そして今回の「ゆうづる11号」と続いた4回目の2段ハネ乗車。この後は1981年の「出雲1号」「出雲4号」と続いてゆくのだが、当時の乗車メモが殆ど保存されてないので客車遍歴や関連性の無い列車の名前まで持ち出して文章を膨らましながら書いている私も必死なのでる(激爆)。上野駅を発車して約1時間半で水戸駅(0:33-42)に到着、ここでEF80-63は切り放されて変わりに青森運転所のED75P形重連(1005+1006)が、連結されると次の停車駅は一ノ関駅なので就寝した。

 

一ノ関駅(5:39-41)は夢の中で目が覚めたのは盛岡駅(6:53-55)到着前の車内放送で目が覚めたが盛岡駅以外では朝食の駅弁種類も少ないので財布を握り締めたまま、ホームの駅弁売りの所へ移動して好みの「馬子わっぱ飯」を購入。車内販売も乗り込んでホットコーヒーを飲んでから朝の一服を楽しんでから食事にした。いつも東北本線の夜行に乗ると思うけど「あけぼの」や「津軽」の奥羽線と違って「八甲田」「十和田」「ゆうづる」「はくつる」等の車窓から見る盛岡~青森間の車窓は単調でイマイチつまらないと思っているのは自分だけではないだろう。

 

東北線だと岩手山に馬渕川沿いの緑と渓谷、小川原湖と遠くに見える八甲田山に野内~浅虫「現・浅虫温泉」から少しだけ見える陸奥湾だけ。奥羽線の方が人口密度が大幅に少ないから目に映るものも新鮮に映るのだろうなと思いながら秋田~青森間は殆ど単線区間なので比べる事自体がおかしいのである。「ゆうづる11号」は一戸(7:49)・北福岡「現・二戸」(7:56)・三戸(8:11)と停車しながら青森県第二の市である八戸駅(8:28-30)に停車した。そういえば「ゆうづる11号」は一戸駅からヒルネ対象になってるけど10号車にはヒルネ客も来ないから静かで二度寝したくなりそうだ。

 

八戸(8:28-30)を時刻どおりに発車すると三沢(8:47)・野辺地(9:90-10)の順番に停車して野内駅から見えてくる陸奥湾を見ながら最後の1本となった煙草を吸っていたら「ゆうづる11号」は青森駅へ9:50に到着した。函館方面青函連絡船の接続は10:15発の青函航路7便なので3分後に到着する「ゆうづる13号」を出迎えて青森駅改札へ行く跨線橋の窓から7便となる羊蹄丸を見送って目的地へ急いだ。

 

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★