夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 北斗星5号(SA1)初乗車

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年12月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

1988年3月18日(金曜日)、上野駅の13番線ホームの「北斗星5号・4号車」と書いてある札の下で佇んでいた。一旦帰宅してから出直しても間に合うのだけど、18時まで残業になったので会社からそのままスーツ姿で上野駅に向かっている。 開業してまだ5日間しか経過してないので入線前からギャラリーや見送り客も集まり、13番線ホームは多くの人でごった返している中、入線を促す放送が流れるとカニ24-509を先頭に18:45ごろ、推運転で寝台特急北斗星5号」が入線。オロハネ25-501に乗車して指定されている4号車2番の扉を開けたら別世界が待っていた。

 

鉄道雑誌やマスコミ報道で大体の事は知っていたが100系新幹線のグリーン個室で使ったカードキーで施錠しようとしてたら上野駅の駅長が挨拶で表敬訪問に訪れて思わず恐縮するが、日によって副駅長や助役の時もあるようだがロイヤルのみの駅長挨拶は3月13日から約2週間くらい続いたそうである。再び100系グリーン個室のカードキーで施錠して牽引機を見に行く。 先頭には田端運転所のローズピンク色のEF81-15の前面に北斗七星に流れ星があしらったデザインの新品ヘッドマークが素晴らしい。 今回入手したロイヤルは1ヶ月前発売の10時ジャスト打ちでは2箇所とも玉砕で、何とか乗車日の5日前にキャンセル放出分をゲットして、10時打ち入手した手持ちのソロで乗変したのである。


やがて上野駅を19:03に発車した「北斗星5号」は1175㎞離れた札幌へ向けて長い旅をスタートした。それでは今回初めて乗る4号車2番のロイヤル(SA1)個室を見てみよう・・・個室の面積(床やベッドを含む)は2.03m×1.945mで、横幅90㎝のシングルベッドには既にベッドメイクが施されて上にカバーが掛けてある。大きな窓(横幅1.6m)の窓際にはテーブルが固定され、その上には円筒形のランプシェードあって夜に灯すと素敵な空間を演出してくれるのだ。木目調の壁に埋ってる11型のモニターTVから映画が流れ、モニターテレビの下にはアナログ時計とAudio/Visualのコントロールスイッチ(以下SWと略)や室内灯SWにインターホンがあり、折戸の先に行くと折り畳み式の洗面台とトイレがシャワールーム内にある(タオルやコップ等も中の備品入れに入ってる)。

 

通路側の壁にはドアスコープ付の扉があって、通路側の窓が覗ける窓(カーテン付)やドライヤーがセットが装備されてた。寝台特急北斗星5号」は赤羽駅を通過した頃に日本食堂・仙台営業所のグランシャリオスタッフのManagerが名刺で挨拶してJRからのウェルカムドリンク(サントリー、ローヤル「上りはニッカ、ザ・ブレンドオブニッカ」・メルシャン、モーゼルワイン・「上りはおたる ミュラー・トゥルガウ完熟フリーラン」・大清水のお茶・大清水源水「上りは竜飛海底の水」)だと説明しながらテーブルの上にセッティングしてもらい、早速「メルシャン・モーゼルワイン」のハーフボトルが、冷えていたのでコルクを抜いて早速頂いてみるとリースニング種のフルーティーな白ワインであった。

 

車掌の検札を受けて残りのワインを飲んでると「第二回目のディナータイム・オープニング」の放送が聞こえたので早速ディナー券持参で6号車の食堂車(スシ24-506)へ移動してディナー券を渡すと早速マネージャーが対応して席まで案内してくれる。席に案内してくれると飲み物リストから選ぶが、自分が申し込んだ「Aコースディナー肉のフランス料理コース7000円」のメニューは以下の通り。「海の幸マリネー海峡風」 「コンソメ・プランタニエール」 「海老・舌平目巻き アレキサンドラ風」 「フィレビーフステーキ・茸添え」 「温野菜 シャトーポテト・ブロッコリー・キャロットグラッセ」 「サラダ アスパラ・トマト・生野菜」 「黒スグリのシャーベット」「キウイフルーツ」 「珈琲or紅茶」「パン」と最初に食前酒のグラスワインが1杯付く本格的なフレンチ・ディナーだ。因みにディナー中に大宮駅(19:27-27)と宇都宮駅(20:25-27)に停車。

 

オードブルからサブメインにメイン、口直しのソルベ(シャーベット)にパンもお代わり出来てグラスワインも付いて特殊な環境(走行中に狭いキッチン等)を考えれば内容的にも7000円は悪くはないのだが、なんせ第2回目のディナータイムが満席のため、段取りが悪いのか、不慣れなのかスムーズに料理が出て来ないのである。それでもメインのフィレビーフステーキでは肉の焼き加減を聞いて来たのは立派で、ミディアムでお願いしたが、設定時間50分は短すぎでラストの珈琲を飲み終えた時は予定時間をかなりオーバーしてた。帰りに5号車に連結してあるロビーカー(オハ25)に立ち寄ってから、4号車2番ロイヤルの我家に帰った(1988年4月からディナータイム時間が是正された)。

 

4号車の通路を歩いて気になったのだが、1番ロイヤルがある車端付近では直に台車の
真上のため、かなり揺れるし、音も気になるが自分の部屋は2番なのでやや車両の真ん中に近いため、揺れは然程ではなかった。部屋に戻って個室内のシャワーを浴びるのも初めての経験になるが1回で10分のお湯が出て、リセットボタンを押せばお湯準備がされて入れる段取りになる。21:30に予定より遅れてパブタイムの営業案内放送が、流れたけど帰路の北斗星2号の楽しみにしておこう。郡山駅(21:53-55)に到着するとホームで待ってた他の客や隣の磐越東線を待ってる客が物珍しいそうに見てた。

 

アイスペール内の氷が、全部解けてしまったのでグランシャリオへ貰いに行ったが、快く山盛りで氷をサービスしてくれたのでウェルカムドリンクで余っているサントリーローヤル・ミニチュアボトルと大清水源水缶で水割りを作って寝酒として頂いたがロイヤル個室とローヤルを掛け合わせたのだろうか?。かなりのアルコールを摂取しているので今夜は福島発車(22:29-30)到着前に就寝した模様。 仙台(23:32-34)の停車は全く記憶にないけど昨夜飲んだワイン・ハーフボトル2本+グラスワイン1杯+ウィスキーミニチュア瓶1個が効いて早々と寝てしまったので起きたらホームがない場所に停まってた。

北斗星5号は青森駅に入らず、手前の青森信号所でEF81からED79への機関車交換や乗務員交代(運転士と車掌)があるため、そのための停車で4:16に青森信号所を発車すると奥羽貨物支線経由で進み、滝内信号所先の奥羽線津軽線分岐から「北斗星5号」は津軽線へ入った。津軽線を進むとやがて進行方向右手に陸奥湾が、見えてくると蟹田駅に進入してこの駅では寝台特急北斗星5号」の前を走っていた専貨5161列車の追越しと上り夜行急行「はまなす」交換で「北斗星5号」は徐行して通過したのは流石に貫禄たっぷりだ。

 

JR東とJR北の境界線が、ある新中小国信号所から複線区間になって、5:10青函隧道に入り、5:50に青函隧道を出て北の大地(北海道松前郡福島町湯の里「現在の北海道上磯郡知内町湯の里」)へ上陸した。トンネルを出た瞬間に北海道上陸という生まれて始めての経験をしたが、これは病みつきになりそうだ。青函隧道へ入る前に大小7個くらいのトンネルに出入りするのがイマイチなんだけど入る時に機関車が長い汽笛を鳴らすし、しょぼいトンネルとは造りが違うのと青函隧道に入る時はレール音も違うし、窓が曇ったりして、更に青い照明があるので分かる。

 

横幅90㎝(1989年から80㎝+補助ベッドに変更)のロイヤル・ベッドは広くて、クッションも快適だったのでよく寝る事が、出来たけど暖房の効き目が弱くてもう1枚毛布が欲しいくらいだったたけど寝台車で寝たまま北海道上陸出来るのはやはり最高である。木古内くらいまでベッドの中で過ごしていたけど江差線津軽海峡が望めるのでシャワーを浴びて後に着替えて装備を確認すると ロイヤル個室内のSW位置がバラバラであり、ベッドに横になったままSW操作出来ないのは不便且つ不適切だけど改善してもらえれば素晴らしい個室である。なんて考えながら車窓の津軽海峡函館山を見ていたら函館駅(6:38-44)に到着した。

 

ED79の切離しとDD51重連連結両方見たいが、編成の両端なので1号車(性格には1号車の更に前に連結してある電源車)側に移動すると空知運転区(旧岩見沢第二機関区)のDD51-1068とDD51-1101の重連を連結。オレンジ色の原色DD51に青色系の北斗星マークがよく映えて色彩的もいいなーと眺めていたらホームの駅員に「発車しまーす」の大声に驚き、乗客は急いで最寄の扉から乗車したけど機関車交換の停車で大人数の乗客ギャラリーが集まるとは思わなかった。当時の「北斗星5号」は1両短い10両編成(電源車込みでも11両)なのでホームの先端からでも編成が綺麗に入って写せたのだ。

 

函館駅を定時より1分遅れて6:45発車に発車すると、進行方向を変えて逆に進み、車窓左手には函館運転所、そしてその先右手には青函運転区(3/12までは五稜郭準備運転区)のED79ED79-100が見えて更にその奥にはJR貨物五稜郭機関区が見えて、道内の貨物牽引を担うDD51が、沢山見えて機関車番号チェックに余念がない自分であった(苦笑)。七飯駅の先から渡島大野(現・新函館北斗仁山経由の旧線と大沼まで短絡で結ぶ新線に分かれるが、我が「北斗星5号」は新線の通称藤代線に入り、一気に勾配を稼ぎ、大小5個?のトンネルを出るとすぐに道南の景勝地である大沼国定公園の小沼と秀峰駒ケ岳が見えてきた。

 

大沼国定公園を堪能していると、昨夜予約した和風朝定食のルームサービスが運ばれて来たので早速頂く事にする。大沼公園駅(通過)の先で小沼と大沼に駒ケ岳が見えると寝台特急北斗星5号」は赤井川から急勾配区間にかかり、駒ヶ岳が右に見えたり、左に見えてきた。駒ケ岳駅まで登り勾配が続いたが、途中から下り勾配になり、東山駅(現廃止)、姫川駅と進み、このまま森駅まで転がって下りると内浦湾の海が見えると森駅である。北斗星1号や3号が停車する森駅や八雲駅は「北斗星5号」だと通過駅となるが暫し、内浦湾(噴火湾)沿いを進む。


内浦湾にしてもそうでなくともSA1個室の大きな窓から見える北の台地は素晴らしい。 ルームサービス(無料)のコーヒーを飲みながら新聞を読んで寛いでいると長万部駅(8:15-17)に到着。名物駅弁の「かにめし」と「もりそば」を販売する売り子が数名いたけど、朝食は済ませたばかりなので今回は見合わせたが、次回以降に機会があれば利用してみたい(因みに今朝函館駅でもホームで駅弁のワゴン販売が、行われていたけど種類は少なく、「北の家族」と「幕の内」のみ)。 洞爺(8:47)、東室蘭(9:17-18)の順で停車して噴火湾が車窓から見えなくなり、電化区間に入ったので隣にある5号車のロビーカーへ行ってみる。

この当時、まだ北斗星グッズは登場してなかったけどオリジナルの北斗星オレカを2枚購入したが、Grand Chariotでオリジナルの四角いGrand Chariotエンブレムキーホルダーも購入している。登別(9:32)、苫小牧(10:02-02)、千歳空港(10:22-23)の順に停車するといよいよ終着駅札幌である。そういえば苫小牧くらいで車掌が樹脂で出来た長い四角い棒が付いたホテルのキーに似ている個室の鍵を回収がてら乗車の挨拶をしていた。上野駅から札幌駅まで全てがレールが繋がり、営業キロ実に1190㎞、所要約16時間の旅もいよいよフィナーレだ。

 

長く感じるであろうと思った「北斗星」の旅も実に快適な車内のおかげで楽しく、愉快な旅でありました。そして定刻の10:57に札幌駅3番線ホームに到着したのである。 このまま去ってしまうのも名残寂しいので札幌駅のホームで手稲の札幌運転所まで回送する回2レのお見送りをした。初めて乗った津軽海峡線経由の寝台特急北斗星」はエキサイティングで何から何まで初めてで、感動した寝台列車ゆえ、文章が長くなってしまった。

 A個室ロイヤルに限って言えば翌年の1989年には二次車となるオロハネ24-501とオロハネ24-551 552 553 554にJR北ではオロハネ25-554 555が、増備されて翌々年の1990年にはJR北のみオロハネ25-556 557 558が投入され、特に増備車は初期車にあった問題点を改善した素晴らしい車両が登場してロイヤルだけでも個室内の意匠・内装・デザイン違いが5種類生まれて益々北斗星の魅力に嵌っていく自分なのであった。

                  
         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

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乗車した時の個室カードキー

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グランシャリオのメニューで個室に置いてあった