夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

1975年の時刻表から・・・北海道連絡

今までこのブログでは夜行列車に実際乗車したレポートを「想い出夜行列車レポート」としてメインコンテンツにしてきたが65~70%くらいは発表してきた(過去のyahooブログやエクサイトブログ含む)。もっと皆さんにお伝えしたい事はあるのだが乗車自体以外にも視点を変えて紹介出来ないかなと思い、時刻表や駅から見た(感じた)夜行列車を題材に考えてる。"想い出夜行列車レポート"も2021年11月現在で約70%のネタを使ってしまい毎週1回のブログアップでは流石に先が見えて来るので別の企画も取り込んで行きたいと思っている次第。

 

今回は1975年3月号の日本交通公社国鉄監修時刻表をテーマに上野駅と対北海道への夜行列車もしくは青函連絡船深夜便を含んだ連絡状況を再現してみたい。1975年といえば今から46年前で生まれていない方もいるだろうと思い当時の物価を述べる。1975年3月号の時刻表は山陽新幹線の岡山~博多の開業が一番大きなニュースであった。当時の交通公社大型時刻表の価格は400円、当時の国鉄初乗り運賃は30円で東京~西鹿児島間の乗車券が何と5,310円。寝台料金に至っては客車3段寝台が上段1,300円・下段1,400円、客車2段寝台が上下段1,900円、A寝台個室は6,400円という信じられない安さ。

 

それでは東京から北海道方面の下り64ページを分けた資料AとBを参考にして話を進めましょう。1975年3月当時は特急「はつかり」「みちのく」は全車指定席で一部が盛岡から2両のみ自由席になったり、夜行急行では「八甲田」「十和田2号」、それに資料Aでは見えないけど「十和田3号」がゴールデンウィーク連休の前夜となる4/26と5/2のみ自由席を連結しない全車指定席となったのは時代の風潮(道内特急も全車指定席)だと思われる。さて北海道方面第1群の「はつかり1・2・3号」は青森から青函航路25便か27便で函館に到着すると札幌方面は函館23:40発の夜行急行「すずらん4号」しかなくて札幌駅に6:10到着。

 

札幌から網走方面は特急「オホーツク1号」で網走着が12:43、釧路方面は急行「狩勝1号」だと釧路着が13:43。北海道接続第2群は特急「はつかり4・5号」「みちのく」だと青森から青函航路11便か1便経由で函館からは「おおぞら1号」だと釧路着が14:52、網走方面だと「北海」で網走着が15:19。更にその後の急行「ニセコ1号」だと札幌接続で急行「天北」なら稚内に17:18到着、同じく「ニセコ1号」札幌接続で函館線・石北線・網走・釧網線経由の急行大雪では釧路が19:47着となり、9時間32分の乗車だが11時間弱乗車の急行「宗谷」には叶わない。

 

北海道接続第3群に入るがここからが夜行列車ファンにとって佳境となる。最初はいきなりの寝台特急登場であるが583系で運用した「ゆうづる1・2号」は青函航路3便に接続して函館からは「おおぞら2号」で釧路に19:37到着。北海道接続第4群は「八甲田」・「ゆうづる3号」「はくつる」だと青函航路臨時35便か5便接続にて「おおぞら3号」「おおとり」「宗谷」接続で釧路21:42着、網走21:46着、稚内22:45着。なお「ゆうづる3号」(上りゆうづる7号含む)は全車指定席になっているが583系寝台組立要員不足からの策で1976年3月には寝台車での運転へ復帰している。

 

早いもので北海道接続第5群である。急行「十和田1・2号」、ここから20系「ゆうづる4号(21:50⇒8:49)」「ゆうづる5号(22:10⇒9:25)」は青函航路7便(9:50⇒13:40接続するも札幌直通の特急や急行の接続無しになっている(印刷ミスか?)。更に北海道接続第6群は「ゆうづる6号(23:00⇒9:50)」「ゆうづる7号(23:05⇒9:55)」は青函航路17便(10:15⇒14:04)へ接続。函館からは「北斗2号(14:25⇒18:32)」か「ニセコ2号(14:30⇒1958)」で札幌方面へ行けた。時刻表拡大コピーで資料A+Bではゆうづる4号接続から見れないので時刻を追記しているけど道北や道東方面へは怒涛の2夜行連続となる北海道接続第7群へ続く。

 

上野発北海道方面接続列車のオーラスとなるのは上野23:21発の急行「十和田3号」で青森着が翌日11:40、青函航路21便(12:05⇒15:55)からだと16:15発特急「北斗3号」で札幌到着が20:28。ここから先は夜行列車しかなく、急行「利尻(札幌21:20⇒6:25稚内)」・「狩勝4号(札幌21:30⇒6:15釧路)」・「大雪5号(札幌22:15⇒網走)」と連絡になるが果たして急行「十和田3号」から乗り継いで札幌から夜行急行「利尻」.「狩勝」.「大雪」へ乗り継いで2連続夜行列車の旅をした者が何人くらい居たのか気になるところである?。「十和田3号」は青森行きだけど途中、一ノ関7:02・盛岡8:30・八戸10:21なので大半の乗客は宮城県岩手県で下車したのだと思う。

 

当時は下り列車も上り列車も関係なく○○1号、2号、3号を番号を振っていますが列車番号と連絡船の便名(便数)は下りは奇数、上りは偶数になっているけど1978年の白紙ダイヤ改正(ゴーサントオ)から列車名の号も下りは奇数、上りは偶数へ改善されています。因みに1975年当時の道内における電車の優等列車は「かむい」「さちかぜ」のみで何れも711系で運転されていた。当時の道内特急は「北斗」(函館⇔札幌)2往復、「北海」(函館⇔旭川「臨時で網走まで延長」)1往復、「おおぞら」(函館⇔釧路「旭川編成あり」)3往復、「オホーツク」(札幌⇔網走)1往復、「おおとり」(函館⇔網走)1往復。

ゆうづる4号接続以降も無理やり画像UPしました』

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★

f:id:hokutosei_95:20201208045800j:plain

f:id:hokutosei_95:20201208045844j:plain

f:id:hokutosei_95:20201209121244j:plain

f:id:hokutosei_95:20201209121657j:plain