夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 佐渡4号「707M」(165系)

このブログ記事は1976年~1977年に乗車した夜行列車レポート手記をWindow98のXLS入力したHDDが、パソコンデーター復旧で当時のExcelデーターが甦ってそれを元にしたおよそ42~43年前の乗車記ですので時刻や番線などに相違があったらご了承ください。

 

1977年12月25日(日曜日)、上野駅7番線ホームで夜行急行「佐渡4号(707M)」の12号車乗
車口でM君と並んでいた。 通常なら年末は母方の実家の東北へ家族で帰省するのだが、今年は喪中で帰省は中止・・・僕のプランに乗るとの事。 急行「佐渡4号」に乗るのは新津から青森まで14時間以上ロングランする旧客の833列車(新津5:38→19:40青森)に乗るためで東日本エリア内では最長の鈍行客車列車である。 833列車だけ乗るために東北ワイド周遊券を買うのは勿体ない様な気がするけど往復は夜行急行の自由席利用なので致し方ない。 22:46に新潟運転所の165系・13両編成が入線。

 

電車夜行急行の13両編成は長く感じるが、早速先頭車の13号車(クモハ165-2)に乗り込んで所定位置のボックスをキープしてお約束となった編成チェックをM君と行う。 ①クハ165+②モハ164+③モハ165+④サロ165+⑤サロ165+⑥サハシ165+⑦サハ165+⑧クハ165+⑨モハ164+⑩クモハ165+⑪クハ165+⑫モハ164+⑬クモハ165。 13両中、運転台が付いた制御車(クハorクモハ)が5両もあって笑えるが車内に戻ると13号車は僅かな乗客しか乗ってない。今日は日曜日なので仕事帰りの帰宅客も少ないだろうし、年末帰省や旅行シーズンにもまだ早くて逆にそれを狙った我々もいるのだが・・・(笑)。

 

Christmasに夜行列車乗る人も少ないと思うけど車内は乗車率20%以下のまま、23:20に
上野駅を発車すると旅が始まったが、急行「佐渡4号」の普通車自由席は9両も連結してるから1番先頭の車両だから極めつけに空いているのだろう。 27分で最初の駅でもある大宮(23:47-48)に到着したけど数名のみ乗車した。 よく考えると急行の夜行電車に乗るのは初めての経験(急行ではないけど1976年3月に大垣夜行の347M・344Mは乗車経験あり)になる。 春と夏に東北と北海道の旧型列車に乗車に乗り慣れたせいか、シートピッチが多少広がった165系は幾分広い様に思えるのは錯覚だろうか? 高崎線を快調に飛ばすと熊谷(0:24-25)に入線。


大宮駅で乗った2名は熊谷で下車すると再び、急行「佐渡4号」は北に向かって走り出し、車内の照明が、減光されて列車は神保原~新町間で埼玉県から群馬県へと変わり、高崎(1:06-08)に定時で到着した。 他の夜行列車は5分以上停車(鳥海5分・733M40分・天の川10分)停車するのに急行「佐渡4号」は素っ気ない感じがする。 長岡までの利用なら普通夜行733Mを使えば急行料金800円が助かるから「733M」を利用するのかも知れない(あくまで推測)。5:04到着の新津駅で下車するので今宵はこの辺で寝よう。 以降は就寝時間帯の停車駅と発車時車時刻記述。

 

沼田(2:00)・水上(2:25-30)・越後湯沢(3:05-06)・六日町(3:25)・小出(3:42-43)・越後川口(3:54)・小千谷(4:02)・長岡(4:17-19)・見附(4:30)・東三条(4:39-40)。 東三条停車中にM君から起こされたのか自分で起きたのか定かではないけど取り合えず下車準備を行ってから目覚めの一服。M君曰く、沼田駅後閑駅で長岡鈍行夜行「733M」を抜いて、水上では雪が、積もっていたらしい?。 やがて急行「佐渡4号」は加茂(4:38)に停車すると16分で下車駅となる新津駅(5:04-05)に到着してホームの待合室で寒くて震えながら待っていると15分くらいで新津から青森まで14時間ロングランする833列車の旧型客車へ乗り込んだ。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★