夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

快速 ムーンライトえちご(上り)

1997年8月10日(日曜日)、 3日目の羽越線内撮影と海岸で子供と遊んでから鶴岡まで移動してレンタカーを返却後に早めの夕飯を食べてから青春18きっぷに翌日分の日付を入れてもらい、子供用の鶴岡~新津間の小児乗車券を購入して832Dで村上駅へ移動した。最初は19:29に村上駅へ到着してから夕飯を食べる計画だったがラストオーダーが終ってそうな気がしたので鶴岡で食べたが正解であった。快速3948M(新潟から快速3720Mムーンライトえちご)入線までまだ時間があるので駅の待合室は暑いので喫茶店で息子とクリームソーダとトーストの夜食。

 

1997年8月10日(日曜日)、 快速3948Mの改札が始まったのでホームへ入ると既に列車は入線しており、5号車のモハ164-823に乗り込む。帰路の快速「ムーンライトえちご」も6両編成だけど指定券はかなり余っているみたいだけどお盆期間中は連日6両で運行。接続列車の834Dが入線すると3分後の22:25に村上駅を発車した。モハ164-823は上沼垂運転区のM1編成で1986年11月改正で夜行以外の165系・急行「アルプス」が廃止になった際に際に松本運転所から上沼垂運転区へ転属した車両で中央線のトンネル断面が低いためにパンタグラフ部分の屋根が低くなってるのが特徴である。

 

席の位置とか逆に進むのは前に乗った時に子供には説明したけどまだ本人は納得してないようで新潟駅から進行方向が変わる旨を説明するが時刻表の地図を見ろと言っておいた(昨年の特急「白鳥」でも説明したのだが)。列車は坂町(22:30)・中条(22:37)・新発田(22:48-48)と小まめに停車して新発田から白新線に入り、豊栄(23:05)に停車すると上沼垂のデルタ三角線を通過して新潟駅(23:15-23)に入線。新潟駅1番線には新発田の缶入り地酒「菊水ふなぐち一番しぼり」の自販機があるので早速買って新潟発車と共に乾杯する。新潟を発車すると正規に向きに変わって新潟車掌区のレチが指定券や乗車券のチェックに現れた。

 

新津運転所(1997年9月から新津運輸区)の横を走るが構内に三つ目ライトが特徴の"ナシゴ"ことDD51-745は不在中でまだJR貨物・東新潟機関区へ長期貸し出しらしい。列車はすぐに新津(23:37-58)に到着。21分停車中に特急「日本海2号」と高速貨物列車を先行させるたのに停車だが暇なのでホームに降りて通過を見守る。先に敦賀派出のEF81に牽引された「日本海2号」(盛アオ24形13両)が通過すると6分くらいして富山機関区のEF81に引かれた高速貨物2082列車が通過したけどお盆期間のためか、いつもより短い編成で空コンテナも見受けられた。

 

新津駅を発車したので子供を寝かせて自分もリクライニングを最大に倒して休む体制に入ると列車は加茂駅(0:15)・東三条駅(0:22-23)・見附駅(0:34)と停車して長岡(0:43-1:09)に到着。長岡駅では26分停車なのでホームの自販機やコンビニ食料買出し組もいたけど既に車内で寝ている人も少なくない。自分も長岡発車前に寝てしまったのだが別のホームに寝台特急日本海1号」が入線してきたのは覚えているが、気が付いたら列車は清水トンネルを走行中だった。下り快速「ムーンライトえちご」とは水上~湯檜曽間ですれ違うのだが確認したが第2湯檜曽トンネルか第3湯檜曽トンネル走行中で気が付かなかったのかも知れない。

 

運転停車(運転士交代)の水上駅で停車したが発車を待たずに寝たみたいで途中駅の高崎(3:39-40)・大宮(4:30-30)も夢の中で北浦和で子供に起された様で急いで下車準備して何とかギリギリ4:40着の赤羽で列車を降りて京浜東北線南行電車に乗り換えて帰宅したが田端へは赤羽からの方が便利なのである。お盆休みは8月17日までだが残りの日は「カートレイン北海道・9010レ」が運転される日はED75が牽引する黒磯以北の交流区間へ車で移動して撮影したり、上野口で臨時急行「八甲田+モトトレイン」を撮影して1997年の夏を過ごしていた。

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★