夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 紀伊(B寝台)

以下の想い出夜行列車レポートは2019年12月で消えるyahooブログにアップした記事ですが私の不注意でファンと友達のみ閲覧になってて、今まで一般公開されてなかった日の目を見る事がなかった記事であるため、本日再掲としてアップした次第。

 

1981年1月25日(日)、1月22日から24日まで南近畿ワイド周遊券紀勢線を軸とした鈍行夜行「はやたま」(924レと921レ)を宿にして南紀の旅を終えた自分は紀伊勝浦駅で東京行きの寝台特急紀伊」の入線を待っていた。翌朝は仕事なので今夜は早く寝るぞと心に決めながら入線を待っているとDD51-717に牽引された14系寝台車6両編成の「紀伊」が19:10頃に入線。早速指定された11号車のオハネ14-16に乗車して9番下段に荷物を置いてから飲み物を買って車内に戻る。日曜日発の夜行列車だけあって閑古鳥のまま19:30に紀伊勝浦駅を発車した。

 

車掌の切符拝見を終えてから夕方紀伊勝浦駅で買った駅弁の"くじら弁当"を食べながらビールを飲んで仕上げに昼間御坊駅で購入した駅弁の稲荷寿司も食べ終わると腹も朽ちて満足。食べ過ぎの様だけど実は昼食は時間の都合で食べてなかったのである。「紀伊」は那智(19:48)・新宮(19:53-54)・熊野市(20:23-24)と停車するが、新宮・熊野市の両駅で乗ってきた乗客は僅かなもの。しかし三段B寝台は狭く感じるけど1975年に乗った583系は狭く感じなかったのに1978年夏に乗った24系25形の「はやぶさ」と「富士」で二段ハネの味を覚えてしまい、余計に狭く感じるのだ。

 

二段ハネより1000円安いけど、この狭さの差は1000円高くても二段ハネが、よいとつくづく思った次第である。それでも乗車時間が短くて殆ど寝ている時間が多い「紀伊」なので贅沢は言えない。所持してた缶ビールと清酒カップを飲み終わると列車は尾鷲(21:00-01)と紀伊長島(21:37)に停車するが乗客はあまり増えず、私がいるBOX(9番・10番の下段・中段・上段)は私以外無人である。松坂を22:51に発車すると明日朝も早いのでこの辺で寝る・・・その先は亀山の9分停車でDD51同士の交換があるし、17分停車の名古屋ではEF65PFと付け替えもあるけど明日は仕事だし、やむお得ない。

 

就寝時間帯の停車駅と時刻・・・津(23:10)・亀山(23:27-36)・四日市(23:59-0:04)・名古屋(0:43-1:00)・沼津(4:18)・熱海(4:40-41)・横浜(5:59-6:00)。途中四日市辺りでトイレ目覚めた時に先頭車のスハネフ14切妻・展望スペースでDD51を確認したら亀山機関区のDD51から稲沢第一機関区のDD51-717に変わっていたのを確認したけど、2度寝して次に目が覚めたらちょうど横浜駅を発車して京急神奈川駅辺りであった。東京駅到着まで24分くらいなので急いで歯磨きやトイレを済まして下車準備も終わったら「紀伊」は品川駅を通過するところである。

 

急いで先頭車の14号車切妻・展望スペースへ急ぐと名古屋駅で交換された東京機関区のEF65-1113が現車14両(8両は名古屋で併結された「出雲2号」)を牽引する後姿を眺めてから自分の寝台に戻ると「紀伊」は6:25、定刻で東京駅へ入線した。「紀伊」は翌年3月、名古屋駅にて機関士の飲酒居眠り運転でDD51が、スハネフ14に突っ込む事件を起こして更に利用客が増えないため、1984年2月1日で廃止になり、自分にとっては最初で最後の上り寝台特急紀伊」の乗車であった。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★