夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 十和田2号「204レ」(旧型客車)

このブログ記事は1976年~1977年に乗車した夜行列車レポート手記をWindow98のXLS入力したHDDが、パソコンデーター復旧で当時のExcelデーターが甦ってそれを元にしたおよそ42~43年前の乗車記ですので時刻や番線などに相違があったらご了承ください。

 

1977年9月2日(日曜日)、青函連絡船18便(函15:05→18:55青)で青森駅に付いたM君と僕
は北海道旅行から帰るために青森駅で急行「十和田2号(204レ)」を待っていた。 「十和田2号」は1ヶ月後のつまり1977年10月01日改正から20系に格上げするため、旧客での十和田2号(201レ・204レ)は残り僅かな花道となる。 夕飯の駅弁を購入して待っていると寝台特急ゆうづる4号」が発車した後、19:27に12両編成の「十和田2号」が入線したので5号車(スハ43-2247)に乗車した。 いつもなら一番空いている端っ子の12号車を選ばないのは理由がある訳で今回は節約旅行でお金も余ったのでB寝台車を奮発したのである。

よって4号車のB寝台に近い自由席の5号車をキープして眠くなったら隣の寝台車へ引っ越せば楽だろうと思った訳。 とりあえず手分けして編成チェックをするとED751004+①スハフ42+②スロフ62+③オロネ10+④スハネ16+⑤スハ43+⑥スハフ42+⑦スハ43+⑧オハ47+⑨オハ47+⑩スハ43+⑪スハ43+⑫スハフ42。 牽引機は青森機関区のED75-1004でP型の若番で北海道の電化の華、ED76-500番台も格好良かったが、陸奥のスプリンター、ED75も魅力的である。ホーム売店で飲み物を買ってから4号車に戻ると青森駅を定時19:50に発車。4号車は1BOXに1~2名で翌日は平日なのにやはり空いていた。

青函連絡船が青森に到着した際にホーム売店で購入した駅弁の「帆立フライ弁当(400円)」
で夕飯にするが、この駅弁は1980年くらいに消えてしまったのが残念。 列車は浅虫「現  ・浅虫温泉」(20:06)・野辺地(20:26-27)・三沢(20:50)に停車すると青森駅を発車して早くも60分が、経過した。北海道の電化区間を走る夜行急行に比べると、東北本線の夜行急行が、速い様な気がするけどED76-500とED75Pは両者とも最高運転速度は100㎞/hなので大差ない。 急行「十和田2号」が八戸(21:08-10)に到着する直前に4号車(スハネ16-2155)のB寝台へ移動すると流石に寝台車は冷房が効いてて涼しくて気持ちがいい。

 

僕もM君も同じボックス内の下段寝台で十和田2号の指定券はD型硬券で欲しくて前日の江差駅で購入したが当時の道内みどりの窓口マルス端末はV型またはW型が中心で、札幌駅は初期のN型だったので鉄道電話取次ぎの駅で購入したのである。 当時の寝台料金は三段B寝台で3,000円だと記憶しているが当時に大学1年生にはなかなか贅沢で手が届かない金額だけど旧型客車のB寝台は軽量客車の10系なので車内や外観にも落ち着きがあって感動したけど初体験の横幅52㎝ベッドは流石に狭くて、これが蚕棚かと実感したが、 狭いながらも涼しいエアコンが効いたベッドで寝れるのは御の字だ。

昨日まで夜行列車・座席仮眠7連泊をしてきた我々だけど疲労もそろそろ限界でM君はもう寝ようと言い出して結局、三戸(21:27)を発車して早々に我々は就寝。 以降は就寝中の停車駅と時刻・・・北福岡(21:41)・一戸(21:49-49)・岩宮内(22:21)・盛岡(22:48-50)・花巻(23:17-18)・北上(23:28-29)・水沢(23:43-43)・一ノ関(0:03-05)・小牛田(0:47-47)・仙台(1:25-27)・原ノ町(2:49-52)・平「現いわき」(4:11-14)。 早く寝たため、平駅の発車で目が覚めて7時間弱も寝てしまい、夜行列車でこれだけ長い時間寝たのは初めだと思うが高校修学旅行で乗った583系ゆうづるは緊張して寝れていない。

 

途中日立(5:05)に停車してから機関車を交換する水戸(5:31-40)に到着すると先頭まで急いで移動して機関車交換見物。 青森から牽引してきたED75-1004が、切り離されると田端機関区のEF80-44が連結されるのを見ていると自分は機関車が好きなんだなーとしみじみ思う(これは42年以上先の現実でも同じ事である)。ホームの自動販売機で缶コーヒーを買ってから寝台車に戻るとM君が起きたばかりなので隣の自由席に行ってるよと伝えて空いてたBOXで缶コーヒーを飲みながら朝の一服を吸ってるとまだ眠そうな顔したM君がやってきた。 M君によれば青森駅を「十和田2号」の1時間20分後に発車したゆうづる5号(14M)を原ノ町で通過退避したそうである。


高浜駅周辺で遠くに霞ヶ浦が見えてくると土浦(6:19-20)で土浦を発車すると65分で上野
駅だが、時間的に東京方面に通勤するラッシュも始まる時間帯なので快調に飛ばすのもそろそろ終わりか?。 藤城~取手のデットセクションを通過すると取手駅を通過して利根川橋梁を渡ると東京圏に突入・・・そういえば「十和田2号」の速度も幾分落ちたようだ。 下車準備を済ませて夜行列車8連泊の北海道旅行を振り返りながら禁煙区間(普通列車の場合)で吸う煙草は美味いというオチで7:25、終着上野駅19番線ホームに到着した。
         ★★★★★Memories of the night train★★★★★