夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 はくつる (B寝台)

1995年6月6日(火曜日)、上野駅15番線ホームの「はくつる」9号車乗車位置にて青森行きの寝台特急はくつる」の入線を待っていた。青森市内の出張で青森空港三沢空港まで始発のフライトで飛んでも主張先へ9時に到着する事は出来ないので、どうしても「鳥海」や「はくつる」になり、21時まで残業してからでも乗れて青森駅到着が8:15と都合がいいため、今回の青森市内出張も「はくつる」を選んだ。途中で夕飯を食べながら少し飲んでから上野駅15番線へと移動した。

 

22:10に尾久からの回送11列車が推進運転でゆっくりと入線と15番線のざわめきと電源車(カニ24)の騒音が交じり合って上野駅地平ホームから出発する寝台列車の旅立ちを奏でる音だと思いながら扉が開いたので9号車に乗り込むとオハネフ25-201だった。指定された下段寝台に鞄を置いて牽引機の確認を行うと田端運転所のEF81-99で車体にサイドに流れ星を描いた通称星ガマである。車内に戻り、浴衣姿に着替えていると22:15静かに上野駅を発車したので350ml缶のビールで咽の渇きを潤しながら車窓を眺めていると切符拝見の車掌が登場。

 

車掌に乗車率を聞くと当直点呼時点で約半分の乗車率との事であるがシーズンオフの平日にこれだけ乗ればよいのかも知れない(シーズンオフの下り東京発ブルートレイン第一群が空気輸送だから余計にそう思う)。一時期は「はくつる」の他に常磐線廻りの「ゆうづる」が何本も走っていたし、「はくつる」でさえ2往復設定していた時期もあったが今では夜行急行も全部廃止され、定期列車で上野と青森を東北線で結ぶ夜行列車は「はくつる」だけになってしまった。大宮駅(22:48-49)を発車すると眠たくなってきたのでまだ早いけどベッドに入る事にした。

 

今夜乗ってるオハネフ25-201は新製配置から品川客車区で「はやぶさ」「富士」「あさかぜ1・4号」「出雲(のちの1・4号)」に使われたが1987年の国鉄分割民営化では「あさかぜ1・4号」「出雲1・4号」のみの運用になって「あさかぜ1・4」号の廃止で不定期になると受持ちがJR九州に変わったため、不用になった「あさかぜ1・4号」の編成は青森運転所に転属後は「はくつる」として再利用されている。因みに青森へ転属した200番台はオハネフ25が3両でオハネ25が7両であった。数年後には青森運転所持ちの「日本海」「あけぼの」にも充当されている。

 

一番前の9号車なので時折聞こえるEF81のホイッスル(汽笛)と24系25形の走行音を子守詩代わりに寝てしまったらしいが、以下は停車駅と時刻。宇都宮駅(0:01-01)・盛岡駅(5:31-35)・一戸駅(6:25-25)・二戸駅(6:31-31)・・・二戸発車くらいに目が覚めたけどベッドの中でウトウト2度寝を楽しんでいたら三戸駅(6:44)に到着する放送が流れたので急いで着替えて朝の支度を済ます。6月初旬ともなれば青森県内の新緑もすっかり終わって濃い色の木々が眩しく、田んぼに植えられた稲がきれいに並んでいると旅している気分も上々でお腹が空いた頃、八戸駅(7:00-02)に到着した。

 

2分停車を利用して幕の内弁当(特製奥入瀬弁当)800円と缶入りのお茶を購入して車内に戻り、朝食変わりの駅弁を美味しく頂く。八戸駅からはB寝台のみ立ち席特急券で乗車出来るヒル区間になるけど流石に9号車まではヒルネ客は乗ってこない(9号車が一番空いていると思うのだが)。朝食の駅弁を食べ終わったくらいに三沢駅(7:18)に到着して小川原湖が見えて鉄道防雪林が見えてくると野辺地駅(7:40-40)に到着。野辺地を発車すると並走してた大湊線の線路と分かれて進み、暫くすると浅虫温泉辺りから陸奥湾の紺碧な海が姿を現す。

 

青森駅到着の車内放送が聞こえてくるとED75やDE10などが停まってる青森機関区や青森東運転区が見えて来たのでネクタイを締めてスーツの上着を着て待機していると定刻8:15に青森駅へ滑り込んだ。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★