夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 大雪5号「518列車」(旧客)

このブログ記事は1976年~1977年に乗車した夜行列車レポート手記をWindow98のXLS入力したHDDが、パソコンデーター復旧で当時のExcelデーターが甦ってそれを元にしたおよそ42~43年前の乗車記ですので時刻や番線などに相違があったらご了承ください。

 

1977年8月29日(水曜日)、旭川から網走まで8時間、旧型客車のロング旅(527レ→1529レ)を
楽しんだ自分達は網走駅から10分以上歩いた銭湯で浴びてから近くの食堂で夕飯も済まして網走駅の改札前に荷物を置いて普通1528レ(北見から上り急行「大雪5号(518レ)」の改札を待っていた。改札前には既に大きなリュックサックが数個並んであったので自分達もそれに習って荷物を並べておく。 普通1528レの改札開始は20:20、既に列車はホームに横付けしてあるのにホームに入れない列車別改札は国鉄職員の職務怠慢=手抜き仕事しか思えなくて、鉄道は好きだけど横柄な態度の国鉄職員は嫌いだった。


時間通りに改札が開いてホームに出ると網走駅入線時点では先頭の8号車となるスハフ44-9の定番位置に荷物を置いて今宵の基地とするが、何はともあれ編成確認を大至急行い、結果は以下のとおり。 DD51679+⑧スハフ44 ⑦スハ45 ⑥スハ45 ⑤スハ45 ④スロ54 ③オロハネ10②オハネ12 ①オハネフ12+マニ36+スユニ61(北見から⑨スハ45⑩スハフ44を連結)。 牽引機は岩見沢第二機関区のDD51-679で客車は1~8号車が札幌運転所、9・10号車は北見客車区の運用である。 網走駅を20:36に発車した普通1528列車は網走発の最終列車なので乗車率は高く1BOX当り2名は座ってるけど仕事帰りが多い。


網走駅を出るとオホーツク海沿いに進む湧網線と分かれて呼人(20:50)・女満別(21:02)・西女満別(21:10)と進み、7分停車の美幌(21:20-27)に到着。この駅で約半数が、下車して函館を昼前に出た運転時間11時間を越える道内のロングラン特急「おおとり」と交換して発車はほぼ同時であった。 美幌を発車すると緋牛内(21:52)・端野(22:02)に停車して北見(22:11-30)へ到着すると旅行客以外は全てと言っていいくらい下車。北見駅から普通1528列車は急行「大雪5号」になるが、8号車の前に自由席のスハ45-22とスハフ44-6が連結されて客車だけで10両編成に増えていよいよ急行「大雪5号」へと変身する。

 

北見から多くの自由席利用者も乗るけど確実に座れる9~10号車に乗車した人が、多いと予想したが意外と寝台車を利用している人が多いみたいで自由席利用は若者中心らしい(車掌談)。北見を発車すると留辺蕊(23:05)に停車して金華を過ぎると山間部へ入り込みスノーシェルター内でポイントを渡ると1976年まで旅客扱いをしていた常紋信号場を通過してスノーシェルターに続く闇に入ると多くの人骨が出てきた常紋隧道に入る。この区間は昼間に527レで通った区間だけど、夜に窓を開けていると気味が悪くなったM君が、常紋の呪いが云々言って実は僕も気味が悪くて窓を閉めた(臆病ビビリです)。

 

常紋峠を越えて生田原(23:36)を発車すると湧網線の合流駅でもあり、列車の進行方向が
変わる遠軽に到着(23:56-0:11)に到着。 進行方向が変わるため、機関車付替えで15分間
も停車するのでホームの立ち食いそばで夜食のかけ蕎麦を食べて「大雪5号」は荷物車・郵
便車を含む現車12両なので石北峠への補機有無を確認しに行くと、北見機関区のDD51-610が連結されていたので北見から常紋峠と石北峠用に連結されているみたいである。 進行方向を変えて遠軽を発車すると立ち食い蕎麦で腹も朽ちて眠くなってきた。下り急行「大雪5号」とのすれ違いが行われる上川まで起きてるM君に任せて自分は先に寝かせてもらう。

 

以下停車駅の時刻、丸瀬布(0:33)・白滝(1:08)・上川(2:08-20)・当麻(2:56)・旭川(3:20-45)・滝川(4:11-16)・深川(4:39-46)・砂川(4:55)・美唄(5:12)・岩見沢(5:28-33)。 自分は岩見沢発車に目が覚めて上幌向あたりだったと当時のメモには書いてあるが、一服しながら昨夜の遠軽駅自販機で購入した生温くなったベルミー缶コーヒーを飲みながら脳を活発化させる。 今考えるとこの頃から自販機がない座席夜行に乗ると昨夜に購入した缶コーヒーを朝に飲んでいた事が、当時のメモにより分かった。 江別(5:52)に到着すると爆睡中のM君を何回も揺すって起こして札幌まで20分を切った事を説明する。

 

M君によれば上川で下り急行「大雪5号」をすれ違い、旭川ではDD51が編成から離れて岩
見沢第二機関区のED76-516が連結されたとの報告を聞いて終着駅札幌に定刻、6:13到着
した。札幌駅からは6:21発札沼線新十津川行き623D(当時は全区間直通で走る札沼線「現 学園都市線」が5往復設定されていた)に乗車して8:41へ新十津川に到着すると8:53発の国鉄バス・石狩線で留萌線石狩沼田駅へ到着後留萌線増毛駅へ行ったが、当時の国鉄均一周遊券国鉄バスにも無料で乗れて大変便利であった。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★