夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 利尻(旧型客車)自由席

このブログ記事は1976年~1977年に乗車した夜行列車レポート手記をWindow98のXLS入力したHDDが、パソコンデーター復旧で当時のExcelデーターが甦ってそれを元にしたおよそ42~43年前の乗車記ですので時刻や番線などに相違があったらご了承ください。

 

1977年8月28日(火曜日)、札幌からの急行「天北」(札幌11:05→17:48稚内)で稚内に到着した僕とM君は稚内の北防波堤などを観光を済ませた後に風呂へ寄る。 稚内駅に行く前に安そうな食堂で夕食にラーメンを食べて稚内駅の待合室で急行「利尻(317レ)」の改札が、開待っていた。昨年の夏(1976年7月下旬)に比べると待合室で急行「利尻」を待つ乗客も少なく、急行利尻の改札開始15分前に改札口へ行くと誰も並んで居ないのに1番乗りが好きなM君に付き合って改札前に並ぶとそれに釣られて数名の旅行者が並んだ。 既に今宵の「利尻」はホームに横付けしてあり、改札が始まったのは20:45である。

稚内入線時点では先頭車である7号車(スハフ44-13)に乗車して定位置のボックスをキープした後に編成の確認作業を2人で手分けして行う。 マニ60+マニ60+スユニ60+①スハネ16 ②オロハネ10 ③スロ54 ④スハ45 ⑤スハ45 ⑥スハ45 ⑦スハフ44。 牽引機は小樽築港機関区のDD51-699で7号車の前に旭川で8号車となるスハフ44かスハフ45が連結されるはずである。車内に戻って発車を待ちながら札幌の書店で購入した交通公社の国鉄監修・北海道時刻表を見ながら過ごす。 当時自分が住んでいた川崎では弘済会出版(現・交通新聞社)の道内時刻表しか手に入らなかった。

 

21:00に稚内を発車した急行「利尻」だが、6分で南稚内(21:06)に到着、稚内市の中心地は南稚内らしいが宗谷岬や野寒布岬が近く、利尻島礼文島への船が出ている稚内港フェリーターミナル最寄の稚内駅が自分では中心に思えてしまう。 南稚内を発車すると天北線と分かれて車内では明日の予定をM君と北海道時刻表で検討しながら、乗り潰しより、長距離普通客車列車(当然旧客)に乗る事に夢中で計画を立てる。 そうこうしている内に急行「利尻」は豊富(22:01)に到着、豊富では急行「宗谷(305D)」と交換して羽幌線乗換駅の幌延(22:19-23)に到着。

 

ホームに降りてプラネタリウムみたいな星空に感動する。列車に戻る際に5~7号車の自由席を比較するとやはり自分たちが、乗っている7号車の乗車率が低く、一番端の号車を選んで正解だった。 急行「利尻」は幌延を発車すると天塩中川(23:05)、そして今日の昼間に急行「天北」停車中に名物の音威子府蕎麦を食べた音威子府(23:41-48)に到着したので下車印をもらいに一旦改札を出てすぐに入場した客車に戻ったが、いい具合に眠くなったので明日の朝も早いし、そろそろ寝る事にしよう。

 

以下は就寝中の停車駅と発着時刻・・・美深(0:24)・名寄(0:48-1:00)・士別(1:24-32)・和寒(1:52)・旭川(2:45-3:12)・深川(3:41-46)・滝川(4:10-20)・砂川(4:30-30)・美唄(4:47)・岩見沢(5:04-11)。自分は岩見沢停車中に起きたけど昨夜の下り急行「すずらん4号」で寝不足だったため、急行「利尻」にてぐっすり寝れたので今朝は爽快な目覚めだった。M君は士別駅での下り急行「利尻」とのすれ違いを目撃して27分停車の旭川駅では最後尾のマニ60が1両だけ外されて先頭では旭川で連結されるスハフ45が8号車として増結されたとの事。因みに急行利尻キックターン(利尻折り返し)した猛者がいたらしい。

 

目覚めの一服を吸いながら車窓を見ると9年前から運転開始した交流区間のパイオニア電車711系ともすれ違い、豊幌~江別で夕張川を大きな橋梁で渡り、石狩川に近付くと江別(5:35)に停車である。江別を発車する頃には朝早い勤め人が増えて急速に人口が増えてこのブログを書いている2019年には当時の1.5倍以上の人口に増えた北の都こと札幌市に入って早朝の市内を走り抜けて終着駅の札幌駅へ定刻6:00に滑り込んだ。 このあと僕らは札幌で格安の朝食を食べて札幌始発の急行「かむい1号」(普通用の711系を急行で使用するとは酷すぎる)で旭川に移動後、旭川11:33発の「527レ」で網走まで所要8時間の旧型客車(遠軽→網走は1529列車)の旅を楽しむ。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★