夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行「すずらん4号「1217レ」(旧客)

このブログ記事は1976年~1977年に乗車した夜行列車レポート手記をWindow98のXLS入力したHDDが、パソコンデーター復旧で当時のExcelデーターが甦ってそれを元にしたおよそ42~43年前の乗車記ですので時刻や番線などに相違があったらご了承ください。

 

1977年8月27日(月曜日)、8/26の「十和田1号」と青函連絡船・7便で函館に着いた僕とM君
は函館観光を終わらせて函館駅ホームにて札幌行き・夜行急行「すずらん4号(1217レ)」の10号車乗車位置に並んでいた。 函館23:51発の普通43列車でもよかったのだが昨年夏に乗ってるから今回は急行「すずらん4号(1217レ)」にしようと思った訳である。 朝食は野辺地の駅弁、昼食は青函連絡船・グリル八甲田の塩ラーメンで散財したので遅めの夕飯は函館駅ホームの立ち食いうどんをすすってお腹を満たした。 1年ぶりの北海道だが、昨年の7月下旬より涼しく感じるけどもう北海道の夏は終わりなのかも知れない。

 

青函連絡船27便が函館港桟橋に接岸した時刻に急行「すずらん4号」となる旧客の編成が、ホームに据え付けられて10号車(スハフ44-105)のやや前より進行方向右側のBOXに荷物を置いてから編成確認(急行すずらん4号の編成は1976年7月25日に乗車した上り急行すずらん4号とほぼ同様なので編成表記は略します)。 機関車を見に行くと五稜郭機関区のDD51-659が、高らかにアイドリング音を上げてダイナミックに感じる(DD51は一部のコアな鉄道ファンから「dynamic・D51」とも呼ばれた)。 客車に戻ると青函航路27便からの接続であろうか、10号車の人数は増えたけど1BOXに1人か2人程度の乗車率で北の夏の終わりを実感した。

【参考】1976年7月25日 急行すずらん4号(1218列車)レポート

https://blogs.yahoo.co.jp/hokutosei_95/65303958.html

 

23:40に急行「すずらん4号」は函館駅を定時に発車すると当時は3往復しか走ってなかった特急「北斗」並みの停車駅で現在の「スーパー北斗」でさえ停車する洞爺・伊達紋別・登別さえ通過扱いなのは驚くが、深夜帯なので需要がないのであろう。七飯の先から藤城線に入って日付が、変わってすぐに大沼駅を通過すると、駒ヶ岳回りの急勾配区間に入り、峠の頂上を越えると今度は下り勾配に変わって東山仮乗降場(後の東山駅→駅廃止)・姫川を通過して最初の停車駅でもある森(0:42-44)に到着。10号車は下車客が2名で乗車客は居なかったけど明日からも座席夜行での仮眠が続くからこの辺で就寝する。

しかし往路に乗った急行「十和田1号」で思ったより寝れたし、青函連絡船桟敷船内でも2
時間は寝てるから眠くならなくて困ってしまい、八雲(1:23)では完全に目が、さえてしまった。睡魔に見放されてしまったようで寝たくても寝れない苦悩(42年後の現在でもこの時のシーンは覚えてる)と戦っていると長万部(1:59-2:14)に到着。気分転換をと思いい、ホームに降りて先頭のDD51-659を眺めているとM君も起きてきて、まだ時間があるので北海道ワイド周遊券に下車印をもらいに改札へ行く。 無事客車に戻って煙草を吸うと気分が紛れたのか自然と眠くなる。以下は就寝中の停車駅時刻・・・東室蘭(3:32-48)・苫小牧(4:45-49)・千歳(5:19-24)。

 

僕はM君に何回も起こされたようだが、札幌到着15分前に起きて北の都、札幌の眩しい朝日の洗礼を受けて6:08、定刻で札幌駅に到着したけど3時間半は何とか寝れる事が出来て何より。 ホームから先頭の機関車を眺めに行くと函館や長万部で見たDD51-659ではなく、DD51-791に変わっていた(鷲別機関区に近い東室蘭で交換したのであろう。 寝不足は札幌から稚内まで6時間43分乗る急行「天北」車内で仮眠するとしてまだ時間があるので朝の札幌を観光した。

               ★★★★★Memories of the night train★★★★★