夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 北斗星2号(B1)

2022年最初のブログですが本年もよろしくお願いします

 

1996年8月31日(土曜日)、長かった息子との北海道旅(道内夜行4泊・宿2泊)を終えてお土産も沢山買って(夕張メロンカニは宅配便で送ってある)札幌駅5番線ホームの5号車・乗車位置で上野行きの寝台特急北斗星2号」を待っていた。実は仕事で札幌在住のM君(高校時代からの友達で2019年に交通事故で他界)と北斗星2号入線直前まで喫茶店でお茶を飲んでいたのでそのまま見送ってもらう事になった。帰路は子供から再三再四要望があった1人用B個室である。ご存知の方も多いかと思うけどJRマルス端末からの個室券の発券操作は1回の操作で1件のみなのでリスクが高い。

 

特に「北斗星」の個室は難易度が高くて僕にとっても始めてのチャレンジだったがもし2枚目のソロが取れない可能性も考えてB2デュエットは信頼性があるJR北海道プラザ東京店にマルス操作1ヶ月前に頼んで更に別駅でも10時打ちを2駅でお願いして5号車3番(2F)と5号車8番(1F)を何とか確保する事が出来た。どっちがいいか子供に選ばせると進行方向に向いて座れる1階席の偶数(5号車8番)個室をチャッカリと選んでくれて余った5号車3番には僕が入る事にして5号車8番の特急・寝台個室券を息子に渡しながら見送りに来てくれたM君が「二世は鉄ちゃんの才覚がありますね」などと冷やかすから嬉しいやら悲しいやら(苦笑)。

 

そうこうする内に5番線ホームも賑やかになったところへ札幌運転所からの回送1列車が接近するとDD51 1148+????のDD51重連総括が24系を牽引してホームに接近すると V型12気筒ディーゼル機関2,200PS/1,500rpm×2両(重連)のエグゾーストノート音に包まれて轟音の中でDD51が入線。注意喚起の短笛を鳴らすと目の前に今夜乗る24系の客車がゆっくり通過する。非電化王国の北海道でしか見られないシーンで全線電化された首都圏では見れない貴重なシーンだと思う。無事17:07に入線した「北斗星2号」の5号車6番に乗り込むと5号車はオハネ25-551。

 

暫く使わない息子の部屋(5号車8番)は勝手に使われない様に鍵をかけておき、ホームの売店で冷えたビールを買ってる時間はM君に子供を預けてちゃって申し訳ないなと思いながらももう寝台特急北斗星2号」発車時刻である。M君に見送られて札幌駅を17:13に寝台特急北斗星2号」は札幌駅を発車した。しかしやる事はまだある・・・7号車のGrand Chariotへ行ってシャワーカードを同一時間で2枚予約して急いで号車8番に戻るとビールで乾いた喉を湿らせていると札幌車掌所の車掌が来たので個室寝台券と北海道フリーきっぷに中小国からの普通乗車券も見せて自由な時間になった。

 

北斗星2号」に乗るのは久々で1995年5月以来で近年は子供と北斗星に乗る事が多くてB2が多いけど帰路はB1が2枚取れたので子供は既に今からワクワクしているみたいだ。息子は早く自分の部屋に行きたそうなので早めの夕飯を一緒に食べるが僕が選んだのは南千歳駅で買ったサーモン寿し(700円)と日高路(600円)。息子はえぞ寿司(650円)と札幌駅のとりめし(700円)で早めの夕飯にして残り1個の駅弁は夜食に回すので今回はパブタイムは行かないからねと確約してある。今日は8月最後の土曜日だけど個室指定券は全て売切れになってると車内放送の情報。

 

札幌駅から34分で南千歳(17:47-48)に到着すると息子は自分の部屋に行きたそうなので注意点を述べてから開放したが注意点は個室に入ったらロックする。6号車のロビーカーへは立ち入り自由にしたけど絶対にホームへ降りない事、遅くまで起きてないで早く寝る事、個室から出るときはテンキーロックして暗証番号忘れたら車掌に申し出る事などを付け加えて息子は飲食物と飲み物を持って自部屋の5号車8番へ引っ越して急に静かになったので1人で飲み始めると苫小牧(18:08-09)に到着した。息子の部屋へ遊びに行くとM君からもらった土産の北斗星マークを模ったキーホルダーを眺めてニヤついてる。

 

電着塗装という電気化学応用を使用した塗装法の一つで電位差で塗装成分を電気泳動させる事によって被塗物の表面に塗膜を折出させる塗装印刷技術で25形の車体色である青20号にゴールドラインが入って中央に北斗星のマークがリアルに輝いている俺が欲しいと思ったくらいに精巧に忠実に再現されたキーホルダーだ。そろそろ予約しているシャワーの時間なので北斗星のシャワーセットなどを持って息子と6号車のロビー室(スハネ25-502)にあるシャワー室へ行くとA室・B室両方開いていたので親子で同時に入る。

 

シャワー中に登別(18:40-41)に停車していたようだが僕が先に出て息子が出てくるのを待ってから少しロビー室で寛いでから5号車に戻ると車内販売と遭遇したので冷えてるサッポロクラシック缶を買っていると子供が僕の顔を覗きながらアイスクリームを買えと言いたげそうなのでアイスも追加して支払いを済まして5号車の通路で息子と別れたが「北斗星2号」は東室蘭(18:55-57)に入線するところであった。8月末における道内の日の入り時刻は遅く(18:16)、東室蘭を発車してやっと待望の非電化区間に入ったのに外は暗くて景色は楽しめないが夜行列車らしくなってきた。

 

個室の照明を全て落として黄金駅周辺や北舟岡駅周辺の砂浜海岸の様子を見ながら3年前くらいに北船岡駅前に車を停めてK君と車中泊した事を思い出す。AM5:45過ぎに3本続けて通過する上りDD51貨物を踏切で撮影するために駅前車中泊したあの日の思い出が懐かしい。伊達紋別(19:16-17)と洞爺(19:30-30)に停車しながら暇なので6号車のロビー室へ遊びに行くとなんと息子が座っているけど僕が近くには行かずに離れた席で知らんぷりしながら子供の様子を伺っていると列車はトンネル区間走行中なのに車窓を気にしている姿にいぶかしんでいた。

 

一瞬トンネルを出てすぐにトンネルを入ると息子は満足そうに僕がパソコンで編集作成した北斗星2号の全停車駅と全通過駅の通過時刻を書いたコピー集を見始めた。礼文華隧道と幌内隧道の間にある小幌駅を確認したようで、この10数年間は秘境駅として人気はあったけど1996年当時はコアなファン以外は気に留める者は少なかったのである。マイナーな小幌駅を確認するなんて小学4年生なのにヤルなと嬉しく思っていたら列車は長万部(20:01-01)を発車。子供が席を外したので自分も自販機で缶ビールを購入して5号車の個室に戻る。

 

夜食夜に残しておいた駅弁「日高路」を缶ビールで流し込んだけど日高路はシシャモとハモ蒲焼の押し寿司で600円という価格を考えてもなかなか美味しく、価格も低く抑えられてベストチョイスでした。寝台特急北斗星2号」は八雲(20:25-25)に停車して自分も個室の照明を落として部屋を真っ暗にしてから落部野田生落部~石倉・本石倉~石倉や桂川石谷などの噴火湾(内浦湾)の海岸沿いに進む車窓を眺めながら自宅から持って来たポータブル・MDプレーヤーで好みの洋楽を聴きながら漁火を炊いてるイカ釣り舟を見ながら自分の世界に入っていると森(20:53-53)に到着。

 

森駅で駒ヶ岳越えの本線から砂原線と別れて函館本瀬は姫川(現姫川信号所)、東山と駒ヶ岳まで急勾配を登るのでフルスロットルで力行してるDD51重連の唸り音が聞こえてきそうだ。大沼公園駅を所定で通過したので息子の部屋に行くと案の定息子は部屋を真っ暗にして窓ガラスに顔を付けて景色をガン見していたので仁山駅周辺で函館の夜景を空気が澄んでいれば函館山の輪郭が見えるポイントを伝授する。トンネルを出たら函館の街の夜景が、見れるからと伝えてその一瞬を待っていると函館の街や五稜郭の街が見えた・・・真夏なので函館山はガスっていたのが残念。

 

函館駅で機関車交換があるので11号車のデッキへ移動するとちょうど函館(21:40-46)に到着したのでホームに降りて待機していると青函運転所のED79-14(ED75-786を改造)が接近して連結された。貫通試験や制動試験の自動ブレーキ弁操作で聞こえるエアー音が終るとポケットに入れた無線機からイヤホンを通して無線機の感銘テストが聞こえたので車内に戻り、ドアが閉まると「こちら2列車の車掌、2列車函館発車」の無線が聞こえてきたので11号車(オハネフ25-8)から5号車へ戻る時に通過した、グランシャリオはパブタイムで盛況でした。

 

6号車のロビー室に向かうと空いていたので息子と座るが子供は僕が作成した北斗星2号の時刻表ばかり気にしている。知内駅(知内信号所⇒湯の里知内信号所)を通過すると列車は汽笛を鳴らしながら長さ1.2kmの第一湯の里トンネルに進入したが、多くの人はこのトンネルが青函トンネルだと勘違いしてるけど実際には第一湯の里トンネル過ぎて非常に短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁を渡ると全長53.85kmの青函トンネルに入るのだが車内からだと第一湯の里トンネルとコモナイ川橋梁のシェルターは一体化している(一体化した青函隧道総延長は約55km)ので非常に分かりずらい。

 

なんて事を子供に教えたけどそこまでは難しいようで理解は出来ないみたいだけど吉岡海底駅(現吉岡定点)を通過してトンネル最深部分に向かう。最深部分には青色と緑色の蛍光灯による目印があるのですぐに分かるが青函トンネル完成前から津軽海峡中心部は公海上で日本の排他的経済水域ではなかったが青函トンネルの完成でトンネル内(作業坑・先進導坑・などを含む)は日本の主権が及ぶ領土になった逸話があるが津軽海峡自体は公海上だ。列車は竜飛海底駅を通過すると青函トンネルから地上に出て暫く走ると新中小国信号所(JR北海道JR東日本の境界線)を通過したので子供を連れて5号車の個室へ戻る。

 

子供にとっては夜遅すぎでもっと早く撤収するべきだったと反省しても後の祭り!・・・蟹田(23:37-38)で運転停車して下り急行「はまなす」とすれ違うシーンを通路で眺めていたら何と寝たはずの息子が出てきた。寝ろと言っても寝てくれないのため、青森駅でキューゴー見に行こうかと誘ってみる。実は8月30日の夕方に1レはEF81-95だと知り合いから携帯に連絡をもらっていたので情報は掴んでいたのだ。息子と1号車のオハネフ25まで歩いて最後尾(青森発車から先頭になる)に到着すると暫くして青森(0:05-13)へ到着するとホームへ出て先頭部分へ行く。

 

待っているとSER(Super Express Rainbow)色のEF81-95が接近して北斗星2号のオハネフ25へ連結されるのを見物すると目立つ朱色にサイドにEF81とレタリングを施したデザイン塗装に子供は喜ぶが、95号機は1973年度に製造されて富山第二機関区へ新製配置、常磐線のEF80老朽化対策で1982年に田端運転所へ転属。1987年に登場した14系欧風座席客車(Super Express Rainbow)の配色に合わせた派手な機関車になっている。早めに車内に戻って5号車に移動して今夜はこれで寝るように言い、明日はゆっくり8時まで寝ていいからオヤスミを言って分かれた。

 

自分も部屋に戻ってすぐに就寝したけど以下は就寝中に停車した駅と時刻(運転停車除く)・・・仙台(4:49-51)・福島(5:50-52)・郡山(6:31-33)・宇都宮(7:56-58)。昨夜は0:30くらいに寝て宇都宮停車中に目が覚めたので7時間くらいは寝た計算になるけどやはり眠く、起きて子供を起こしにドアを何回も叩くが返事がない。するとトイレにでも行ったのか浴衣姿の息子が眠そうな顔をしながらトボトボと歩いてきた(実はロビー室からの帰りだとこの後に自供した)。今からグランシャリオに行くにも面倒だし、どうしようかと思案していたら車内販売が接近。

 

弁当は売り切れだけどサンドイッチならあるとの事でサンドイッチ2個にホットコーヒーと子供用にオレンジジュースを買って部屋に戻って食べる。北斗星の車販サンドイッチを食べるのは初めての経験だけど日本食堂・仙台営業所謹製でした。1970年代や1982までの東京発着ブルトレの車内販売サンドイッチは食堂車で作っていたから美味しかったけど時代は変わったなと思う。仙台(4:49-51)積み込みなので未明2~4時に製造しただろうと推測するがサンドイッチのパンがパサついていた。そんなサンドイッチをコーヒーで流し込んで朝食が終ると列車は蓮田駅を通過。

 

北斗星2号はEF81-95なのと夏休み最終日兼日曜日なので多くの撮り鉄諸氏がヒガハス(東大宮~蓮田間の撮影地別称)に集まるだろうと楽しみにしている95牽引情報が流れたのか多くの三脚が並んでやはり95は人気の機関車だ。僕は洗面にハミガキと髭を剃っていると大宮(8:54-56)に到着して下車準備も終らしてから子供と残り僅かの乗車を楽しむ。昨夜は何時に寝たのか聞いてみると運転停車の八戸まで起きていたそうで困った物であるが本人にとっては楽しい旅であったらしい。

 

かく言う自分も懐かしいローカル線に乗れて楽しかったけどそんな話をしていると上野駅地平ホームへ通じる線路へ入って定刻どおり9:21に上野駅14番線ホームへ入線した。ホームへ降りると北海道の心地よい気温や北斗星のエアコンに慣れた身に蒸し暑い熱気が纏わりついて東京は朝なのに猛暑でいっぺんに鬱陶しくなる。いつものマンネリした北斗星のレポートだけは避けたくて視点を変えて父親の目から書いてみたがブログ本文が長すぎてしまった。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★