夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 上り富士(B1)後編

5月4日に九州温泉家族旅行の帰りに南宮崎から東京まで寝台特急「富士」に乗った際の思い出夜行列車レポの後編になるが下関~東京間は1997年4月30日から5月1日に乗車しているので同区間は簡略的なレポートになるかも知れません。

 

1997年5月4日(日曜日)、 上り寝台特急「富士」が下郡信号所を通過すると大分駅(16:49-17:01)に入線したので6号車(オハネフ25-29)に乗っていた我々家族3名は大分駅より先は1人用B個室ソロなので下車して大分から増結される予備編成の12号車乗車位置で待っていた。6号車の先頭に連結されていたED76-91が解放されるとオハネフ25-29の貫通路が開いて連結の準備が調うと7号車から13号車までの熊本運転所所属の付属編成が、近付いて無事連結された。ホースと幌に渡り板が繋がるとドアが開いた。早速12号車に乗り込むと4/30の上り「富士」、5/1の下り「はやぶさ」でも乗った熊本運転所のオハネ25-1002である。

 

岐路のソロも既に誰がどこの部屋を使うか決めており、4番(2階/私)・7番(1階/嫁)・12番(2階/子供)を押さえてあり、部屋に荷物を置いて僕と子供は機関車を見に行くと先頭には大分運転所のEF81-414が連結されてるのを確認して列車に戻る前に駅売店あじ寿司(500円)を購入して戻ると嫁も買物(大分銘菓 ざびえる)から戻り、3人が集まって座りやすい1階部屋の7番・嫁の個室に集まって夕飯の時間まで各自解散する。17:01に大分駅を発車すると海沿いに走り、田ノ浦ビーチなどの海岸美を眺めていると日本を代表する温泉保養地お膝元の別府(17:13-13)に到着した。

 

別府を出るとまた別府湾沿いに走り、日出駅を通過すると内陸部を進んで山沿いを進むと立石駅通過から上下線が大きく離れて西屋敷駅の手前で合流して宇佐(17:56-56)に到着。東中津駅通過くらいから民家が増えて次第に街が大きくなると中津(18:18-25)、7分停車なのでビールや飲み物などを自分が売店で調達にして車内に戻って嫁の部屋である7番ソロへ行くと息子も集まって夕飯のスペースを作っていた。僕と嫁は缶ビールで子供は缶のソフトドリンクで乾杯、宮崎駅の椎茸めしを3人で食べ始めるとご飯は硬くなってないし、おかずの味付けは手作りらしくて味も上場だ。

 

大分駅で買ったあじずし(500円)も出すと好評で6個入ってた鯵の握り寿司が消えてしまい、こちらも好評である。鯵を使った寿司駅弁は大船駅(鯵乃押し寿し)、小田原(小鯵押寿司)、七尾(能登鯵寿し)などあるが押し寿司ばかりで握り寿しのあじずしは珍しい。大分県関鯖関鯵が有名で高級品の関鯵は使ってないと思うが新鮮で生臭みもなくて美味かった。夕飯に夢中で行橋(18:47-47)停車の事など忘れていたけど食事もその後の談笑も終ったので各自解散して明朝7時まで自由時間になったので僕も4番個室へ移動する。

 

子供を連れて先頭の14号車へ行くとEF81-414がパンタグラフからスパークさせながら14両編成(電源車を含めると15両編成)の重い編成を牽引している姿が何とも頼もしく見える。19:02に日没時刻を迎えると列車は小倉(19:09-10)に停車すると門司(19:17-18)に到着するが通常は門司駅でEF81に交換するのだが、「富士」は大分からEF81なので1分停車のみしてAC20kv「60Hz」からDC1.5kvへの電源切替をデットセクションで行うと関門海底トンネル(3,604m)に入って約7分で地上に出ると本州山口県下関駅(19:26-31)に滑り込んだが青函トンネルみたいな感動は無いけど本州に戻った実感はある。

 

下関の5分停車は飲み物とお土産で買う下関名物「小川の瓶入り粒ウニ」を求めてから先頭へ移動したらEF66-49は確認出来たけど発車のベルが鳴っており、手短な14号車から乗り込んだ。息子の個室と嫁の個室に下関駅で購入した飲み物を配ってから自分も個室に入り冷えたビールを飲みながら寛ぐ。この8日間に「富士」乗車3回、上り「富士」乗車は2回目なので新鮮味は落ちるけど他のソロ個室にはない、時計と目覚ましアラームに100Vコンセントもあって完全調光式の読書灯があるのですこぶる環境はいい。

 

下関駅で購入した500ml缶ビールを飲み終えた頃に宇部(20:07-08)に停車して続けて防府(20:41-42)にも到着。二階のソロ個室から見える車窓は素敵だが階段の照明が消せないため、部屋が真っ暗して車窓を楽しむ事が出来ないのがやや不満である。今回子供の要望で下り「はやぶさ」と上り「富士」のフル乗車に挑んだ訳だが一番楽しかったのはヒル区間に家族だんらんで乗れたのが一番楽しかった。個室はそれなりに便利で自分もよく使うけど今回はソロとB寝台ヒルネという2種類の寝台設備を使えたのがマンネリしなかったのがよかったのかも知れない。

 

少し早いけどベッドに横たわって湾曲した窓から星でも眺めようと部屋の照明を全部落としたらいつに間にか寝てしまったらしい。就寝時間中の停車駅と時刻は以下のとおり「*印は運転士交代他の運転停車」・・・下松(21:10-11)・柳井(21:32-33)・広島(22:31-35)・尾道(23:46-48)・福山(0:03-0:04)・岡山(0:45-47)・*大阪(2:55-57)・*米原(4:20-22)・名古屋(5:18-21)「米原駅では電源車内の荷物車の荷扱いの運転停車も含む」。目が覚めたのは三河安城~岡崎の間くらいで昨夜は爆睡したようである。浜松(6:31-33)の2分停車でホームに降りて自販機で甘くないビター系の缶コーヒー・ミニ缶を購入して一息いれる。

 

流石に静岡駅に近付くと家族も全員起きて前もって電話で予約した朝食の駅弁とお茶を受け取るために用意した代金が入った封筒の中身を確認していると静岡(7:31-32)に入線したので12号車のデッキで待機していると無事に東海軒の担当者に会えて代金を渡して弁当とお茶を受け取る。集まりやすい1階ソロの7番個室に集合して静岡駅の幕の内弁当を朝ご飯として家族で黙々と食べた。この駅弁はもう何回お世話になった事だろうか。大垣夜行(347M/344M・345M/340M・375M/372M)では数えきれないほどお世話になったが初めて食べたのは1976年であった。

 

俵型に型押しされたご飯の上にゴマと中央に梅干が乗り、副菜は焼き魚、蒲鉾、玉子焼き、エビフライ、チキンカツ、野菜の煮物、ウグイス豆、桜煮、わさび漬けとバランスがいいのは一目瞭然だが、小さなカップに入った田丸屋の本わさび漬けは特に美味かった。無事に朝食も終り小田原までフリータイムだが僕は子供を連れて9号車のロビーカーへ行くと暫し海側のソファーに陣取り子供を色々話をしながら車窓を楽しむが子供がやたらと鉄分の濃い質問をしてそれにいちいち答えていたら周囲の人に僕が鉄道ファンである事がバレてしまったのが悲しいが近くにいた子供は羨ましそうな顔をしていた。

 

「富士」のロビーカーはゴールデンウィーク後半なので家族連れも少なくなかったが少なくとも南宮崎駅から乗車した家族はみかけてないので全区間乗車は自分たち家族だけかと思うけどフル乗車はこれが最後になると思うので子供だけには想い出を沢山作ってあげたくて沿線の見どころを含む車窓ガイドをしていると列車は興津の海岸や富士山を見る名舞台でもある富士川橋梁を渡ると富士(7:59-59)に到着。やがて嫁も合流して家族でロビーカーの大きな窓で車窓を楽しんで僕が高校生の頃にはヘドロ公害で有名になった田子の浦湾が一瞬見えて沼津(8:16-17)に到着。

 

沼津駅を発車して三島駅を通過するといよいよ函南~三島間・竹倉温泉近くの富士山バックの撮影地を通過するのだが僕が高校2年生だった時に同級生鉄道ファン計4人で大垣夜行347Mにて三島駅まで行って、深夜に三島駅から竹倉温泉近くの撮影地まで道に迷いながら歩いて富士山バックにて20系になる前の急行「銀河」から「さくら」まで写しに行った事があるけど毎回上り寝台列車でこの場所を通過すると当時の事を思い出す。まだブルートレインブームが起きる前の1975年だったが深夜から未明にかけて何時間もかけて目的地まで歩いた苦痛と眠さとの戦いだったけど若さでカバーした大昔の想い出話。

 

富士山は見えたけど上の方は雲に隠れていて残念だが函南駅を通過すると長さ約7.8kmの丹那トンネルに入る。完成した当時(1933年)は清水トンネルに次ぐ日本第二位の鉄道トンネルであるが現在でも東海道本線では一番長いトンネルとして君臨。丹那トンネルを出るとJR伊東線来宮駅の横を通過するけど実は伊東線来宮駅国鉄時代やJRになっても局報や後の運転報(通達)では東海道線を走る団臨の時刻がB報にも掲載されていたし、熱海駅へ回送電車を留置する場所がなくて来宮駅構内に留置する電留線が現在でもある。

 

上り寝台特急「富士」は野中山トンネルを出ると熱海(8:34-35)に到着して熱海~湯河原間で神奈川県に入った。楽しみにしていた湯河原~真鶴~根府川~早川の海沿いを眺めながら江之浦の高台や白糸川橋梁を渡った時に伊豆諸島の大島が見えて得した気分。小田原駅を通過したのでロビーカーから12号車のソロに戻り、早いけど下車準備をして残りの時間を楽しんでいると早いもので横浜(9:35-36)に到着した。南宮崎からの長い旅も残り20分を切り、多摩川を渡ると最後の都府県東京都に入って品川駅を通過すると東京駅まではすぐである。

 

長かった旅も長かったゴールデンウィークも今日で終りなのでブルーな気分になるけど9:58、定刻に東京駅9番線ホームに到着した。果たして全区間乗車した旅客は我々家族以外にいたのか定かではないが往復の寝台特急フル乗車と共に温泉リゾートを楽しめた九州家族旅行でした。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★