夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 上り富士(ヒルネ)前編

5月1日の下り寝台特急はやぶさ」フル乗車で西鹿児島に着いた我々家族3名は指宿枕崎線指宿駅にて下車して指宿温泉の観光リゾートホテルに泊まった我々はチェックアウト時刻まで遊んで指宿駅10:14発の「快速なのはな4号」で西鹿児島駅に出てお昼を食べてから西鹿児島駅12:30発の肥薩線吉都線経由の直通都城行き「620D」に乗り、京町温泉の最寄り駅である京町温泉で下車して風情のある温泉旅館で泊まった。翌日は京町温泉駅10:59発の急行「えびの1号」で都城駅へ行って、都城駅から特急「きりしま6号」で南宮崎駅に12:59到着。

 

1997年5月4日(日曜日)、 特急「きりしま6号」で南宮崎駅に降りた我々家族3名はお土産を購入してからホームに上がって上り寝台特急「富士」の入線を待っていると大分運転所のED76-91が24系25形基本編成の「富士」となる回送列車を牽引して入線。6号車に乗り込むと鹿児島運転所のオロハネ25-29で寝台側の窓が大きい25形0番台である(窓が大きくて子供は喜んでいた)。車内中ほどのボックス席「コンパートメントという」をキープしてED76-91の前で記念撮影をして飲み物を買ってから車内に戻ると発車時刻が迫って13:23に南宮崎駅を発車して列車は一路東へ向かった。

 

列車はすぐに大淀川を渡ると宮崎(13:26-27)に到着するが、東京からやってきた下り寝台特急「富士」と同時入線で上りのダイヤも13:26-27なので同時発車である。宮崎市は観光都市で乗車客が多く乗るものだと思ったら「富士」の23分前に博多行き特急「にちりん40号」が設定されるのでヒルネ客はごく僅かである。宮崎駅を発車するとすぐに大分車掌区の車掌が来たので3枚綴りの寝台特急券(1枚目は南宮崎から東京までの金額表示がされてるけど号車・席番表示なし、2枚目は南宮崎から大分までのヒルネ用B立席特急券で金額表示なし、3枚目は大分から東京までの1人用B個室寝台券で号車・席番指定あり)を銘々に提示。

 

昼食には遅い時間だけど京町温泉宿での朝食が8時半からだったので丁度いい頃合だが都城駅での乗り換え時間に都城みづま本店の五目とりめし2個と牛めし1個を購入しておいた。南宮崎駅は駅弁販売はなく、宮崎駅は1分停車だし、車内販売も万人受けする駅弁しか積まないためである。嫁と子供に選ばせると二人とも五目とりめしを選んだので残った牛めしは僕になったが都城の駅弁はレベルが高くて三人とも大満足の昼食となった。日向新富駅を通過すると待望の日向灘が近付いて南国日南の海が見えてくると高鍋(13:51-52)に到着。高鍋では博多発南宮崎行きの特急「にちりんシーガイア9号」と交換したが787系のつばめ型車両だった。

 

高鍋を発車して日向灘日南海岸なのかな?)の海沿いを走ると都農駅美々津駅間でリニアモーターカー・宮崎実験線跡の高架橋が見えてきた。1978年の夏に上り寝台特急「富士」乗車中に高速運転してるML500が一瞬目撃する事ができたけど1996年にはリニア走行実験を終了して同年7月には超電導磁気浮上式鉄道・山梨実験センターへ移動している。そういえば砂浜が中心だった海岸も岩場が、目立つようになって街並みに入ると列車は日向市(14:21-22)に到着した。日向市駅を発車すると夕飯はどこで調達するか家族会議するがこの先駅弁が購入できるのは大分駅中津駅下関駅しかない。

 

門司駅は機関車交換がないので対象外なのだが下関駅は時間的に遅いし、中津駅は大した駅弁はなく、大分駅くらいしかないがイマイチ食べてみたい弁当もない。「富士」の車内販売が積んでいた宮崎駅の「椎茸弁当」の賞味時間が夕方まであれば買っちゃおうか~と家族で話していたら丁度ワゴンが通ったので聞いてみると夕飯なら大丈夫という声を聞いて「椎茸弁当」(700円)を3個購入。門川駅を通過する際に下り特急「にちりん13号」が待機しているのを目撃して子供と眺めていると土々呂(ととろ)駅を通過する際に子供へ映画・となりのトトロの駅だよと冗談を仄めかすと列車は延岡(14:40-42)に到着。

 

延岡市は宮崎県で2番目に人口が多い市だが、日向長井駅を通過すると北川沿いに進み、急に山深くなって市棚駅宗太郎駅で宮崎県から大分県に入り、宗太郎峠越えに入る。宗太郎越えは市棚駅宗太郎駅重岡駅で急峻な山地の中を20‰(パーミル)の急勾配の鉄路が合計37個のトンネルを抜いて続き、宗太郎駅が峠のサミットになっている(ここの峠越えも日豊本線の見どころのひとつで嫁も子供も驚いていたが僕の携帯電話も暫く圏外表示が長く続いた)。宗太郎を越えても更に山深い場所を走って上岡駅を通過するとやっと街らしくなって佐伯(15:44)に到着した。

 

さて4/30の上り「富士」で乗り、5/1の下り「はやぶさ」でも乗ったオハネ25-1002が途中運用降板さえなければ本日(5/4)大分から連結される上り「富士」に充当されるのか楽しみである。熊本運転所の25形・予備編成が「富士」にも運用するように上り「はやぶさ」が東京駅へ到着すると当日の夕方には下り「富士」として運用を差し替える事を子供に教えるが流石に10歳(1997年8月で11歳になる)ではそこまで理解できないようである。海崎駅あたりから津久見駅手前まで海が、見えて暫くすると津久見(16:04-04)に停車してヒルネ客数名を拾って発車すると一瞬山深い所に分け行ったがトンネルを出るとまた海沿いを走る。

 

車窓の景色を見ていた嫁曰く、日豊本線は海あり、山あり、川ありの変化に富んでいて景色を眺めていても飽きないと珍しく褒めていた。列車は臼杵の石仏で有名な臼杵(16:13-14)を発車すると今度はまた山奥に分け入り車窓が目まぐるしく変わってゆく。子供にJR時刻表と電卓を渡して往復でどれぐらい乗ったか計算させてみた。田端~小倉は往復割引運賃で小倉~西鹿児島西鹿児島~指宿往復に西鹿児島~隼人~吉松~都城都城~小倉を計算させたら43,390円。都区内からの鹿児島・宮崎ミニ周遊券は28,020円なのだがちょっとお得すぎじゃないか?と子供に注意するも東京に着くまでの宿題にした。

 

運賃計算は会社間によって運賃が違うし、地方交通線の特定運賃も用意されて更に面倒なのが会社別にまたがって乗る時は加算額もあって複数の会社線にまたがって加算額を運賃計算したり、地方交通線の事も考えたりすると運賃計算は本当に複雑で小学生には理解できない箇所もあるが特急区間の運賃などはすぐに計算できるまで成長してくれたのが父親にとっては嬉しい。大分からはソロに引っ越すので下車準備を追えて列車は坂ノ市駅通過から急に開けて街らしくなって牧駅を通過すると進行方向左手に大分運転所が見えて豊肥本線久大本線のレールが近づくと大分(16:49-17:01)に到着。

【この先は後編として来週の月曜日にUPします】

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★