夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 北斗星1号(B2) 

1995年7月28日(金曜日)、夏休み前半の4連休(7/28~7/31)に1日だけ年次有給休暇を足して5連休にして前から子供と約束してた親子2人旅をするために計画していた旅だが息子も小学校3年生なので往復北斗星個室で道内では宿1泊の他に座席夜行1泊くらい絶える体力もあるので息子が乗りたいと請願してた特急列車や釧網線などを尋ねる旅に出た。撮り鉄に転向して約10年弱の期間が流れたのでローカル線に乗る歩く事自体も僕にとっては久々だし、子供以上に僕も楽しみにしてたが、上野駅13番線ホームの北斗星4号車乗車位置にて「北斗星1号」の入線を待つ。

 

入線10分前くらいに嫁(息子の母親)がホームに現れて注意事項を子供に伝えていると16:29に尾久駅方面から回送1列車が推進運転でオハネフ25の貫通路を開いて推進運転用のライトを灯して入線してきた。定期寝台特急では日本で始発駅に最初に入線して発車するのが「北斗星1号」なので、推進運転士が本務運転士と無線連絡しながら非常ブレーキ操作箱のハンドルに手をかけてして入線するシーンが儀式みたいで旅立ちのムードがあるように感じるのは私だけだろうか?。ゆっくりと入線して車体側面のランプ(側灯)が消えると同時に扉が開いて4号車に乗車した。

 

乗車した4号車はオールデュエットのオハネ25-562で1974年9月に製造された、オハ14-157を1982年8月に五稜郭車両所にて500番台寒冷地改装されたオハ14-537で急行「ニセコ」「利尻」「大雪」「まりも」「宗谷」「天北」用に投入されたがキハ400・480やキハ183系に取って変わり、余剰になったので1991年10月に苗穂工場にて三度改造されたのがオハネ25-562である。早速5番の1階部屋に荷物を置いて牽引機を確認するとEF81-58で通常は貨物牽引が多い田端運転所一般機(一般色)だった・・・後日談、某所の話では該当81の主抵抗器損傷でピンチヒッター登板らしい?。

 

個室に戻ると僕の缶ビールと息子の飲み物を買いに行った嫁が戻ってて、家族団欒の時間も終わって発車1分前に嫁がホームに戻って僕らはデッキで見送りを受けると16:50に上野駅を時刻どおりに発車した。息子と北斗星での二人旅は久々であるけど発車と旅立ちを記念して僕は缶ビール、息子はオレンジジュースかサイダーだったかで男2人旅を記念して乾杯した。今回は2ヶ所の10時打ちで1階部屋と2階部屋が取れたのだが写真や鉄道誌を見せながら床面積の広さか、窓からの眺めの良さと部屋内に階段があるなど、短所と長所を色々説明して息子が選んだのは1階個室であった。

 

すぐに車掌が来て銘々にワイド周遊券を見せて個室寝台券も呈示すると車掌は去り、列車は大宮駅(17:15-17)へ到着。夕飯にはまだ早いけどお腹も空いたので夕飯の駅弁を食べる事にするが2人で上野駅で買ったチキン弁当(750円)で早めの夕飯を食べ、自分は残っている缶ビール1本分のアテとして食べた。7月下旬だけど日没時刻は遅く、天気が良ければ北斗星1号だと黒田原~豊原くらいまで景色が見えるが6月下旬だと白河か新白河くらいまで景色が楽しめるけど梅雨で雨天の危険性もある・・・なんて車窓の夕景を眺めていたら宇都宮駅(18:11-12)に定時到着。

 

宇都宮を発車すると予約してあるシャワー時刻になるので浴びに6号車のロビー室へ行くと誰もいないけど息子はすでに経験済みなので先に入れて今度は自分がシャワーを浴びてロビー室の「ここで待ちなさい」と指定した椅子にもロビー内を見渡しても居ないので一気に血の気が引いた思いだった。僕が10分もせずに戻る事は伝えてあるから部屋に戻る事はないし、個室の暗証番号操作まで教えていないからパニックになってた僕だったけど数分したら7号車の方から息子が歩いてきてトイレに行ってたとの事。もしこのまま終着駅まで息子と会えなかったらどうしようかと真剣に悩んでいたのである。(西村京太郎トラベルミステリーの読みすぎが影響してるかも)

 

少しロビー室で過ごしてから個室に戻ろうとすると車上切替がある黒磯駅を18:48に通過して個室でロビー室で購入した缶ビールを飲んだが子供が居なくなって本当に焦って喉がカラカラだった。やがて太陽が沈んで日没になると闇が忍び込み、夜の静寂[シジマ]に支配されても「北斗星1号」は秒針が進む如く、時刻通りに運転されると郡山駅(19:33-34)に到着。牽引機のEF81-58は郡山まで両パンで走行したため、2END側のパンタを下ろして片パンになったはずである。「北斗星」のオールデュエットは2回目の乗車になるけどHatena blog以降後は初めてなので簡単に紹介しておこう。

 

JR北海道持ちの北斗星の中で1号と2号はいち早く個室車両を増やしているのだがオールデュエットであるオハネ25-561と562は車内意匠面や個室内の窓枠他にFRP(繊維強化プラスチック)を用いて洗面所にカーテンが出来たり、トイレに男性用の小便トイレが新設されて、更に洗面所側・通路端上には号車番号、現在時刻、温度、トイレ知らせ灯の表示されて便利になった。北斗星車両では一番新しい車両だけどオハネ25-561と562が他にも存在する。

 

国鉄時代は同じ番号の車両が複数存在するなんて信じられなかったけどオハネ25-561と562はトワイライト・エクスプレスのBコンパートメント用として確かに存在するのである。どちらかがオハネ24-561・562かオハネ25-570番台にすれば同一形式の同一番号なんてみっともない事にはならなかったのに。気が付くと「北斗星1号」は福島駅(20:08-10)を発車しており、息子も退屈しているみたいなので6号車のミニロビー(ソロ合造車・スハネ25-501)へ向かう。夕飯が早かったせいか、小腹も空いたので息子と食堂車に近いロビー室のシャワールーム側の椅子が空いていたので映画を見ながら過ごした。

 

パブタイム開始5分前の20:55頃にアテンダントから「パブタイムお待ちの方どうぞ」と案内されたので7号車グランシャリオ(スシ24-508)に移動して2人用のテーブルを選んで着席すると8号車側からもお客が乗り込んでメニューを選んでいると車内放送でグランシャリオのオープニングが伝えられた。息子にはケーキセットのミルクティーを勧めたが僕が注文したハンバーグセットがよいと聞かないので残さずに食べるんだよと念を推して僕はグラス赤ワインと息子にはオレンジジュースをお願いした。まだ小学生なのでモーニングタイムは経験あるけど夜の利用は初めてなのでキョロキョロ落ち着かない。

 

小学校3年生に大人の時間を味わうには10年早いけど父親公認だからまぁいいだろうって自己納得していたら早速ハンバーグステーキセット(スープ・フルーツサラダ・ライス付き「1800円」)が来たので早速親子で食べ始めると息子は美味い美味いを連発するのでお母さんが作ってくれるハンバーグの方が美味しいだろうと茶々を入れると両方美味しいと言っていたが今から25年前に1800円もするハンバーグが不味いと言われると困るのである。因みに1994年6月11日に乗車した「夢空間北斗星82号」(2020年5月4日UP)でもこのハンバーグステーキセットを食べている。

 

このメニューは約5年後くらいにイタリアンハンバーグセットと名称を変えて200円高い2000円で提供していたが北斗星末期まで人気のパブタイムメニューであった。食べるのと会話に夢中で、仙台駅(21:11-13)到着はスルーしてしまったが夏休みの金曜日発なのでパブタイムは大盛況であったがテーブル待ち客も居た様なため、食べ終えて早々に会計を済まして我が4号車の個室へ戻ってまだ起きてると聞かない子供を早く寝かせ付けて自分も早めにベッドインした。以降は停車駅と時刻《*印は運転停車》、一ノ関(22:20-20)・盛岡(23:30-32)・八戸*(0:52-53)・青森*(2:03-11)・函館駅(4:24-32)・森駅(5:17-17)。

 

深夜3時頃にトイレで目が覚めるとどうやら青函隧道を走行中の様で1号車の貫通扉の前へ行くと青函運転所のED79-10が牽引していた。個室に戻ってすぐに寝たと思うが次に目が覚めたのは八雲駅(5:43)くらいだと思ったが起きると隣の寝台が、もぬけの殻なのでまたトイレかなと思って通路に出ると通路側の椅子に座りながら流れゆく車窓を眺めていた。随分朝起きるのが早いなーと思いながら学校へ行く時は朝食ギリギリまで寝ているのにやっぱり遊びに行く時は別な様である。時間的に早いけど寝台を片付けて個室の窓から見える内浦湾(噴火湾)の海岸を親子で楽しんだ。

 

長万部駅(6:07-08)を発車すると浴衣から服に着替えて限定の和朝食を食べに食堂車の手前で待機するが時間待ちの間に息子に場所取りさせて、僕はミニロビーの公衆電話から自宅に電話して嫁に特に問題がない事を伝える(昨夜息子が一瞬消えた事は黙っておいた)。戻るとグランシャリオ・モーニングタイムのオープニングでパブタイムで座った同じ場所をキープして和風朝食(1,500円)を2個注文した。昨夜のハンバーグでもそうだったけど普段の朝ならまだ寝ている時間帯なのに息子の食欲には目を見張るばかりである(第一次成長期なので当たり前なのだが)。

 

食事中に洞爺駅(6:39-39)と伊達紋別駅(6:50-50)に停車して食べ終わって会計を済ましてから4号車に戻る手前、6号車のロビー室に寄り道すると部署は違うけど同じ勤務先の後輩であるT君夫妻から声を掛けられたので挨拶しておく。北斗星に乗るとは聞いていたけどまさか同じ1号とは思わずT君曰く、ロイヤルは555でしたと悔しそう。僕たちは最初からデュエット狙いだったので9号車の運用は一切調べてないけどロイヤル狙いだったら危ないところだった。列車は東室蘭駅(7:09-11)を発車すると非電化区間から電化区間の架線下を走り、札幌車掌所の車掌が登場。

 

ロビー室のテーブルの上にJR北海道公認・北斗星オリジナルグッズと札幌車掌所発行のオレンジカードが所狭しと並べられて早速口開け客となり小銭入れ黒色2個と小銭入れ茶色2個にエンブレムのキーホルダーと皮製の北斗星コースター、ワッペンなど大量に買ったら北斗星の手提げ袋に入れてくれた。実は知人から頼まれた物もあって纏め買いは初めてなのだけど車掌が盛んにオレンジカードを進めてくるが、都内の一部駅では切符を買わずにそのまま自動改札に投入できる「イオカード」が使える駅も増えてオレンジカードはお断りした。そういえば登別駅(7:27-27)も停車したけどグッズに夢中(苦笑)。

 

進行方向右手に社台ファームの馬が見え、左側には活火山の樽前山が見えてくると、いよいよ苫小牧駅(7:57-58)で札幌駅まで1時間を切ったので4号車の我が個室に戻る事にした。実は先頭のDD51が何号機なのか気になるけど11号車の前には電源車が連結されているため確認できないのだ。下車準備を済まして待機していると南千歳駅(8:17-18)に到着していよいよ次の停車駅が終着駅・札幌である。札幌駅から7分接続で特急に乗るので息子に最後のトイレを行かせて西の里信号所を通過して上野幌駅の少し手前から札幌市厚別区に入った。

 

進行方向右手に旭川からの函館本線が近付くとJR貨物の札幌機関区脇を通過すると残る通過駅は新札幌、平和、白石、苗穂のみになって新札幌駅を通過すると札幌到着の車内放送が聞こえてきた。奥の苗穂工場と手前の苗穂運転所が見えて来ると少しずつ高架区間へ入り、8:53に終着・札幌駅5番線ホームに到着して上野駅からの16時間03分の旅が終わった。

今回も文字数が規定より多めになり、読むのも大変かと思いますが「北斗星」の想い出レポートはパターン化してマンネリしているため、打破するためにいつもとは違う雰囲気のレポになりました。

           ★★★★★Memories of the night train★★★★★