夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 日本海1号(Bハネ)

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2016年7月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。

 

1985年4月27日(土)、前夜の寝台急行「銀河」で京都観光や寺院見物を楽しんだ僕と彼女(現家内)は大阪駅11番線ホームにて寝台特急日本海1号」の入線を待っていた。日本海縦貫線は急行「きたぐに」や特急「白鳥」での大阪~青森ロングランはあるけど寝台特急日本海」乗車はかなり前から憧れの存在で、ようやく長年の夢が叶う訳だ。17:10頃に宮原客車区から北方貨物線経由で塚本駅方から寝台特急日本海1号」がEF81-103を先頭に入線。 先月のダイヤ改正から機関車にヘッドマークが復活したので、5分停車の内に先頭で記念撮影も行って慌しく、17:15に大阪駅を発車です。

 

すぐに車掌が来て都区内~都区内の一筆書き乗車券に「日本海1号」の特急B寝台券と別途購入の大阪→山科の乗車券を合わせて出すと車掌が、目をパチクリ。 発行元が東京駅旅行センターなので一式返してもらう時に車掌氏の眼鏡の奥が光ったように感じた(一般人は長距離片道切符作成なんて奥の手は使わない)。淀川を渡り、新大阪(17:21)・京都(17:51-52)と停車すると山科から東海道線と分かれて湖西線に入った。大津市の日没時刻が、18:38なのでギリギリ琵琶湖畔の夕暮れは8号車(オハネ25-86[大ミハ])の窓から見る事ができた。

 

しかしすぐに闇の世界に支配されて、近江今津駅や本州唯一のカタカナ駅名があるマキノ駅(何れも通過)では真っ暗である。 2分停車の敦賀駅(19:04-06)でホームに降りてみると売店は営業を終了・・・可能なら敦賀駅で夕飯の駅弁を入手したかったのですが、当時は昨今みたいな駅弁ブームではなかったので、お取り寄せなど到底無理だろうと乗車前に大阪駅で用意しました。敦賀を発車すると全長13、87kmの北陸トンネルに入るが 、お腹も減って来たので大阪駅で購入した八角弁当とお茶他(当然車内販売のビールもね)で夕飯であるが、大阪駅には数多くの駅弁があるけど八角弁当は美味しい部類だと思う。

 

夕食が済むと寝台特急日本海1号」は福井駅(19:54-55)に到着して、福井発車後に車内を巡回すると3~6号車はそこそこの乗車率があるのに、1~2号車と7~11号車は空いている。自分たちが乗車してる8号車は3割も乗ってなくて、ゴールデンウィークなのにこれは一体どうしたのだろう。 加賀温泉駅(20:19)に到着すると、寝台特急日本海1号」が大阪駅を発車して、ちょうど3時間が経過した事になるが、本当に初めて乗車するブルートレインは過ぎ行く時間が早く感じてしまう。

 

本当ならもう少し早く寝台特急日本海1号」に乗りたかったのだが、都区内発の均一周遊券ではルートから外れてしまうし、立体周遊券(後のニューワイド周遊券)で北海道旅行のついでに寝台特急日本海1号」に乗るしかなかったため、今回の旅行は自分にとっても理に叶ってるのだ。北陸の主要駅である金沢(20:50-52)・高岡(21:26-27)・富山(21:44-46)に停車しながら青森へ向かう寝台特急日本海1号」の車内で今回の旅の事や今後の予定、そして将来の事を彼女と色々語り合いながら魚津(22:07-07)くらいまで小声で話していた。

 

明日朝からはレンタカーでの移動が、中心になるので寝不足は事故の元ですし、糸魚川(22:50頃通過)でベッドに入って横になった。 いつもだと寝台列車で寝るのはAM0時くらいなので早い就寝時間だが、この先は就寝時間帯の停車駅と時刻・・・直江津駅(23:21-24)・新津駅(1:05-15)・鶴岡駅(3:24-25)・酒田駅(3:50-56)・羽後本荘駅(4:50-51)・秋田駅(5:30-39)。1回トイレに起きただけで起床したのは秋田(5:30-39)の入線直前だったと記憶していますが、秋田ではEF81からED75へ機関車交換を行うと聞いていたため、列車の先頭へ移動すると、既に秋田運転区のED75-744が連結されており、乗務中の機関士へお尋ねすると酒田(3:50-56)からの運用との事。


 やはり初めて乗る寝台特急や夜行列車だと、知らない事が多い様で実際に乗ってみないと分からないものである。別のホームには秋田5:38発の上野行き、特急「つばさ2号」が、停車中で早朝5時台から駅弁の立ち売りを行っているが、朝食用の駅弁は予約してあるため、今回は見合わせである。 秋田駅(5:30-39)を定時で発車して、通路側の折りたたみ椅子に座りながら窓の景色を眺めていたら、東能代(6:33-35)停車中に寝台のカーテンが開いて彼女が出てきた。よく寝れたそうで何よりであるが、2人で朝の支度をしていると鷹ノ巣(7:00)を発車して、大館駅(7:19-21)到着時刻が迫ってきたので自分は鶏めし弁当2個とお茶2個の代金が入った茶封筒を持って9号車のデッキで待機してたら大館駅へ入線。

 

時間からして弁当が買えない可能性は極めて少ないのだが、念には念をという事で数日前に電話で予約しておいたのだ。 1983年1月2日の時と同じ女将さん風の人が9号車の乗車口に待機してくれて、相手は私の事を覚えてくれている様だったが、2分停車では代金支払いと弁当とお茶の引取りであまり話す時間はなかったのが残念。ドア越しに女将さん風の方に見送られて、花善の鶏めし弁当と暖かいお茶それぞれ2個が、入った手提げ袋を提げて自分の席について彼女と一緒に朝食代わりの鶏めし弁当を食べる。

 

彼女は弁当の蓋を取って、いかにも味付けが濃そうな色のご飯に、朝から鶏肉という弁当に失望感みたいなのがあった様だが(後日談)濃そうな色の炊き込み風ご飯はマイルドで、鶏肉も癖がなく、柔らかくて鶏肉弁当なのに見た目の予想に反して美味しかったと喜んでもらえて本当によかった。津軽湯の沢駅(通過)から青森県に入ると青森まではあと僅かであるけど弘南鉄道大鰐線乗換駅の大鰐「現大鰐温泉」駅(7:50)に到着すると駅構内には旧型電車のモハ1211+クハ1610が、停まっていた。大鰐駅を発車するとス亜車内販売が来たのでモーニングコーヒーを飲みながら車窓を眺めてまったりする。


弘前駅(8:02-04)を出ると車窓に林檎畑や津軽富士とも称する岩木山が見えてくると終点の青森駅だ。15時間20分の旅は長く感じられるかと思ったがそんな事なく、あっというう間だった寝台特急日本海1号」の旅で、8:40に定刻時刻で青森駅に滑り込んだ。 青森駅の改札を抜けて駅前の駅レンタカー営業所で9時からのSクラスレンタカーを借りたら今日から5日間は鉄道や路線バスでは行きずらい北東北(青森・秋田・岩手)の観光地や景勝地を車で巡る事にする。
                 

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★

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      奥羽線大釈迦鶴ヶ坂をゆく、寝台特急日本海」(ED75+24系)