夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 津軽2号(404レ)(旧客)

このブログ記事は1976年~1977年に乗車した夜行列車レポート手記をWindow98のXLS入力したHDDが、パソコンデーター復旧で当時のExcelデーターが甦ってそれを元にしたおよそ42~43年前の乗車記ですので時刻や番線などに相違があったらご了承ください。

 

1977年12月26日(月曜日)、新津から14時間乗った旧客の普通833列車を青森で下車した自分たちは帰るために青森駅で55分の接続にて20:35発、急行「津軽2号」の入線を待ち兼ねていた。 もうこの時間では急行「十和田2号(204レ)」では10分しか接続がないし、「十和田3号(6202レ」は季節列車なので設定がないため、急行「津軽2号」か急行「八甲田」しか選択肢がないのである。 まだ年末帰省時期まで2~3日早いため、12号車の自由席に並ぶ人は我々二人だけだ。 20時を過ぎた頃に急行「津軽2号」が、入線すると停車と同時に手動の扉を開けて12号車に乗るとオハフ45-2203で定位置をキープして編成確認する。


⑫オハフ45+⑪オハ46+⑩オハ46+⑨オハ47+⑧オハ47+⑦オハ46+⑥オハネフ12+⑤オロネ10+④スロフ62+マニ36。 牽引機は秋田運転区のED75-715だが、どうも700番台はパンタが下枠交差式PS103形でショボくて屋根上の機器もスッキリしちゃって好めない。 急行「津軽2号」への接続は18:30に接岸到着した青函連絡船18便があるけど18便から「津軽2号」の自由席に流れる乗客は少なそうである(春に青森から同じ列車に乗った際も同様だった)。 それでも発車15分前に多少の乗車もあって20:15に雪の青森駅を静かに離れた・・・普通座席車が旧型客車の急行「津軽2号(404レ)」に乗るのはこれが最後となる。

 

青森駅の55分接続では土産購入もあるため、外で外食するのも難しく、早めに青森駅で購入した駅弁「ひなどり弁当」で夕食にしたが、1977年は街の飲食店で普通のシンプルなラーメンなら260円で食べれたから500円の駅弁が貧乏学生にとっては如何に高価な価格だったかお分かり頂けるだろう。夕飯の弁当を食べ終えて食後の一服を楽しんでいると青森県第三の都市、お膝元駅の弘前(21:14-15)に到着したが、雪は青森駅より多そうだ。 弘前を発車すると大鰐「現・大鰐温泉」(21:30)・碇ヶ関(21:39)に停車するが、M君との話題は約9ヵ月後のゴーサントウこと1978年10月白紙ダイヤ改正だ。

 

当時はインターネットなんて無かったし、鉄道雑誌等でも詳細は数ヶ月前くらいの発表だったため、現時点では特急が増えて急行と貨物が減るくらいしか分かってなかったのである。2人で話し込んでる内に列車は青森県から秋田県に入って大館(22:00-02)に到着すると降りる乗客と乗車客がほぼ同じだった。 車内は冬休み期間中だけど長距離学生はあまり見かけず、そういえば鉄道ファンも乗っている姿は見かけない。なんて考えていると暑過ぎる暖房でM君は舟を漕いで白河夜船だけど、列車は鷹ノ巣(22:17-18)・二ツ井(22:31)・東能代(22:47-48)に停車しながら自分もいつの間にか寝てしまったようである。

 

どの駅で寝たのか定かではないのだが、就寝中の停車駅時刻、八郎潟(23:14)・大久保(23:23-23)・秋田(23:42-50)・大曲(0:40-40)・横手(1:00-02)・新庄(2:21-25)・山形(3:29-50)・米沢(4:39-44)。 起きたのは板谷峠走行中の板谷~赤岩くらいで晩春から初夏なら米沢~福島間の板谷峠の早朝が,見えるけど冬至に近いため、外はまだ真っ暗。 昨夜は秋田駅到着前に寝てしまったが、車内は明らかに乗客数が増えており、秋田駅山形駅くらいで乗車したのであろうか? 12号車デッキの切妻口から流れる日の出前の景色を眺めていると福島駅(5:33-41)に到着したので機関車交換を見に先頭まで急ぐ。

 

先頭では福島機関区のEF71-10を編成から外して同じ福島機関区のED75-59が、連結され
ると発車準備完了となるため、自販機で缶コーヒーを購入して暖房で暖かい車内に戻った。福島を発車すると暖かい車内で目が閉じてしまうが、缶コーヒー飲みながら目覚めの一服で気を紛らしていると二本松(6:10-11)、そして郡山(6:32-37)に到着してM君も目覚めた。 郡山を発車すると空は白んで明るくなり、矢吹駅(通過)くらいで日の出時刻を迎えて白河(7:11-11)に到着。 白河を発車すると白坂~豊原の黒川橋梁で福島県から栃木県に入り、関東地方に戻ると交/直切替・デットセクション地上切替がある黒磯(7:35-42)に到着だ。


機関車交換を見物したいけど朝食駅弁確保が先でホームの立売りから九尾釜めしを購入してから先頭に急ぐとED75-59の姿は既に無く、宇都宮運転所のEF58-70が連結されていた。昨夜夕飯に食べた駅弁に引き続いて今朝の朝食も駅弁だけど夏の北海道旅行から戻って9月末日までアルバイトしたので2食続けて駅弁が食べられる嬉しさを噛み締めながら黒磯駅の駅弁に箸をつけて旅の味わいに満足したのである。 腹が朽ちると今度は睡魔がやってきて西那須野(7:52)・宇都宮(8:25-27)・小山(8:54-55)はどうやら寝ていたらしく食後の2度寝は気持ちがいいのだ。

 

今回の旅は833列車に乗るための急行「佐渡4号」と急行「津軽2号」利用だったがメインの列車以外に往復の夜行列車も充分に楽しむ事ができた。 そうこうしている内に大宮駅(9:37-38)と浦和(9:52)に停車して10:04、終着上野駅16番線に到着した。

 

2019年5月27日から11月18日まで長らくかかったWindows98パソコン内のXLCデーターの復旧で蘇った1976年~1977年に乗車した夜行列車の想い出レポートはこれで終了になります。約6ヶ月強という長丁場になりましたが、今回の乗車レポート作成はM君とのSkypeボイス通話で何回も打ち合わせて当時を思い出して乗車レポートの基礎を構築しています。本ブログのレポート記事再構成でお世話になったM君も8月に交通事故で帰らぬ人となりましたが、次週からは通常の想い出夜行列車レポート(1993年12月に乗車分)ですが、前身のyahooブログで特集した乗車レポートではない夜行列車ネタを考えている。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★