夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

急行 下り利尻(B寝台)

1996年8月25日(日曜日)、 前夜の「北斗星1号」で苫小牧で下車してから日高本線を様似往復して子供の行きたい所を回り、夕飯を済ましてから札幌駅7番線ホームで急行「利尻」の入線を待っていた。待つといっても北海道フリーきっぷ・グリーン車用のB寝台が乗れるのでホームで待つ必要はないけどそこは「利尻」入線前の雰囲気を感じたいためにホームでサッポロクラシック缶を飲みながら待っているとキハ400を先頭に利尻マークを付けた311D列車が入線。早速3号車のスハネフ14-501(元スハネフ14-42)に乗車して5番下段と6番下段が今夜の宿である。

 

子供に明日は稚内到着が6:00なのでその前には起床するので今夜は早く寝る様にいい付けるが通路側の椅子に座って寝る様子も無い。札幌駅を22:00に発車した急行「利尻」はすぐに旭川車掌所の車掌がキップ拝見に来たので北海道フリーきっぷと金額表示にない寝台券を見せて僕は浴衣に着替えてベッドに横たわると子供も諦めてベッドに入った。キハ400とキハ480にスハネフ14をサンドイッチして運行する急行「利尻」のスタイルは2回目くらいの乗車で急行「利尻」といえば10系寝台車+旧型客車や14系ハネ+14系ハザの運行が慣れ親しんでいるので違和感は否めない。

 

「利尻」に乗って稚内からグリーン車施設のない「宗谷」で旭川に戻るのは意味もない事なのだが是非とも雄大な道北の風景(手塩川沿いの風景やサロベツ原野に見えれば利尻島利尻岳)だけは見せたくて今回のコースに入れた。自分も過去に「利尻」というか宗谷線に乗り入れるのも1991年以来なので懐かしいという思いと自分の青春時代によく乗った旧型客車急行だったので想い出も多く、最悪定期急行「利尻」に乗るにもこれが最後になる公算が強かったのである。最初の停車駅、江別(22:19)を発車すると以降の記憶もないので夢路を辿ったのであろう。

 

以降は就寝中の停車駅と時刻・・・岩見沢(22:37-37)・美唄(22:52-52)・砂川(23:07)・滝川(23:14-15)・深川(23:33-34)・旭川(23:59-0:32)・和寒(1:17)・士別(1:33-34)・名寄(1:56-2:15)・美深(2:39)・音威子府(3:11-31)・天塩中川(4:06)・幌延(4:47-47)・豊富(5:06)。 僕が起床したのは稚内到着20分前で、ベッドから出ると既に着替えを終えた息子が通路側の椅子に座って景色を眺めていた。ちょうど列車は兜沼~勇知の間を走っており、待望の利尻岳の上半分に雲が、かかって残念だけど兜沼~勇知と抜海~南稚内は風景がきれいなので子供は喜んでくれたので良かった。

 

急行「利尻」は街の中へ入ると先ほどの大自然から急に市街地っぽいエリアに入って南稚内(5:54)に到着、車内は途中駅で乗ったのであろうか・・・寝台車も乗客は増えているけど下段が埋まる程度で観光客は学生が多く、自由席はそこそこ混雑したのであろうか?。南稚内を発車すると線路は右へ大きくカーブして終着の稚内駅に6:00に到着。7:52発の急行「宗谷」で旭川へ移動するが時間があるけど宗谷岬や野寒布(ノシャップ)岬に移動する時間はないので駅前の宗谷線の行き止まりを見た後に北防波堤ドームまで歩いて見学して戻ると急行「宗谷」の改札時刻だった。

 

このあと 急行「宗谷」で旭川まで移動したら旭川ラーメンの昼食を済ませて特急「スーパーホワイトアロー」で札幌まで移動して更に小樽まで乗り換えて小樽観光と夕飯は海鮮か寿司でも食べるという計画であった。さて今夜で夜行列車3連泊になるけど息子はまだまだ元気である。

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★