夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 北斗星1号(B2)

勤務先会社から勤続15周年で頂き、1995年4月に付与された褒章休暇の期限が1996年9月30日で失効してしまうため、家族会議で決めるが最終的に子供と2人旅で北海道へ行く事に決定した。繁忙期は混雑するのと使用する北海道フリーきっぷが使えないため、褒章休暇5日間に前後の土曜日・日曜日をフルに使った最長9連休にて出発日は8月24日に決めた。道内移動の夜行列車はB寝台を使いたいのでグリーン車用を使用して少しでも経費節減するために都区内~中小国の乗車券は株主優待券で購入。子供用は半額の子供キップで発券してもらった。6夜行(B寝台)2地上泊の強行軍だけど息子も小学校4年生になるからハードな行程も何とかなるだろう。

 

1996年8月24日(土曜日)、 上野駅13番線ホームで「北斗星1号」の4号車乗車位置付近で子供と入線を待っていると回送1レ入線の前に家内が見送りにやってきた。1995年7月18日の「北斗星1号」乗車でロビー室にて子供が一瞬消えた事件があった事は男の約束として嫁は知らないけど嫁は子供に注意点を噛んで言い含めていたら「北斗星1号」の推進回送が入線した。早速デュエット4号車のオハネ25-561に乗車して5番個室に入って荷物だけ置いて機関車番号をチェック(田端運転所のEF81-93)してから4号車へ戻ると嫁が購入した飲み物が置いてあった。今回も息子と2人旅で何で母親が一緒に来ない理由はもう少し大きくなると分かるに違いない(夫婦不仲な訳じゃないよ)。

 

家内の見送りを受けた寝台特急北斗星1号」は16:50に上野駅を発車して札幌向けて進むと青森運輸区の担当車掌の案内放送が聞こえてきた。車掌が来てキップや指定券を渡して車掌が帰ると夕飯には早いが昼食は軽くしか食べてないので親子で上野駅で購入したチキン弁当を食べたが僕は缶ビールのツマミにとして美味しく頂いた。そういえば下り「北斗星」乗車も久々で1995年7月28日以来、約1年振りである。大宮駅(17:15-16)を発車すると個室で出たゴミ捨てを兼ねてシャワー予約の時間が近づいてきたので息子を連れて6号車のロビー室に向かう。

 

今回は2人とも同じ時間帯でシャワーが予約できたので先に出たら近くで待ってるように指示したがシャワー室から出ると息子が先に出て今回は待っていたので助かったが前回は本当に肝を冷やしたものであった。シャワーを出てロビーで冷たい飲み物(僕は缶ビール)を飲みながら暫く滞在してから4号車に戻ると「北斗星1号」は宇都宮(18:11-12)へ到着するところであった。前回の教訓を生かし、最悪のケースを想定して都区内⇔中小国往復乗車券・北海道フリーきっぷ・指定券と寝台券をファスナー付きのソフトクリアケースに入れて首からぶら下げた。

 

父親と母親の連盟で自宅の℡番号と僕の携帯番号を書いた用紙に旅行程と宿泊先の名称と℡番号を印刷した用紙も折って入れてテレホンカード105度数も同封。もし父と逸れてしまったら直ちに公衆電話を見つけて僕の携帯に電話するか予定表の列車で目的地へ行けば必ず会える事も付け加えておいたが特急列車には公衆電話がある事も教えて緊急事態になったら警察か駅の駅員に見せる用紙(子供の身分保障と迷子になってしまったら宜しくご手配お願いします・・・云々他)もPCで作成してソフトクリアケースに入れておいた。時刻表は一般人以上に精通してるので弘済出版社の道内時刻表(現交通新聞社の北海道時刻表)を子供のリュックサックへ入れておいた。

 

郡山(19:33-34)を発車すると子供が、そわそわし始めたので聞いてみるとパブタイムへ行く気満々らしいのでまだ時間的に早いけど6号車ロビー室の7号車よりの椅子に座って待つが夏のお盆シーズンを終えて乗車している「北斗星1号」も一部のB個室やA個室にも空があるようで週末発の下りとはいえ、ディナータイムの予約が少なくてロビー室を利用する乗客もいつもよりは少ないようである。福島(20:08-10)を発車して暫くすると第二回目のディナー利用客の少ない事、息子が探索しに行ったら8名もいなかったらしい。確かに8月の最終週末に移動しているので客が少ないのは当たり前なのかも??。

 

4号車のデュエットも10時打ち2ヶ所で4番(2階部屋)と5番(1階部屋)が続けて取れてるし運が良かった?のかも知れない。いつもより早い20:55に呼ばれて案内されて21時のパブタイムオープニング放送が始まっても軽く席が埋まった程度だったが聞くと第二部のディナータイムは7名で殆どが懐石御膳だったとの事である。息子にはケーキセットを勧めたがハンバーグステーキセット(スープ・フルーツサラダ・ライス付き)がいいと聞かないのでOKして僕はもう少し飲みたいのでウィスキーミニチュアボトルにソーセージ盛り合せとピザ他を頼むと列車は仙台(21:11-13)に到着。

 

子供はソーセージやピザにも手を出して僕はハンバーグを盗みにいったりして親子でアホな事していると息子は楽しそうだ。僕が残業で帰宅が遅い時は家内と2人で夕飯を食べている子供は母親といつも何を話しているのか気になるけど旅先ではヤボになるのでやめておこう・・・僕も子供も鉄道が好きという線で繋がった親子以上の関係だから今が楽しければいいや。グランシャリオには1時間くらい滞在して会計を済まして4号車5番の我家に戻り、寝具を並べていると「北斗星1号」は一ノ関(22:20-20)に到着、早いものでもう岩手県である。

 

明日は和朝食狙いの6時起床なので早めに寝て明日に備えるが部屋を暗くして子供と話すがどちらが先に寝たのか分からないくらいにお互いに早く寝てしまったらしい。以降は就寝中の停車駅と時刻・・・盛岡(23:30-32)・八戸*(0:52-53)・青森*(2:03-11)・函館(4:24-32)・森(5:17-17)・八雲(5:43-43)「*印は運転停車」。目が覚めたら落部野田生の内浦湾(噴火湾)沿いに進むカーブ区間に列車はかかっており、子供は窓ガラスにヘバリついて車窓を眺めていた。寝た時間は遅い筈なのに僕より早起きってやっぱりこの旅が楽しみみたいで自分も嬉しい。

 

トイレと洗面&歯磨き中に長万部(6:07-08)に到着、朝の支度を終えて着替えてから6:20にロビーカーのグランシャリオ側へ行くとまだ待ってる人が居なくて一番で呼ばれて2人用のテーブルをキープしてから和風朝食をオーダーする。暖かいお茶を飲みながら待っていると重箱に入った朝食が運ばれて来たので早速頂くとグランシャリオの和風朝食は安定の美味しさで内容はコンパクトにした日本旅館の朝ごはんだ。列車は食べている最中に洞爺(6:38-38)と伊達紋別(6:49-50)に停車して僕だけコーヒーを別注文して飲み終わってから会計を済ましたが息子が飲み物を注文しなかったのには意図があった。

 

4号車の我がデュエット部屋に戻るとすぐに車内販売が来ると息子の「アイス買ってー」の声が・・・だから遠慮してグランシャリオで食後の飲み物は注文しなかったのである。東室蘭(7:09-11)を発車するとバニラアイスクリームを美味しそうに食べている息子を横目に見ながら下車準備だけしておく。北斗星の旅も道内は電化区間に入るとイマイチだが登別(7:27-27)を発車すると富浦駅周辺と竹浦周辺の海岸に社台ファーム樽前山くらいしか楽しみがない。やがて「北斗星1号」は自分たちの下車駅でもある苫小牧(7:57-58)に到着。

 

本日は息子の希望である日高線(苫小牧8:21「2225D」11:30様似12:14「2232D」15:24苫小牧)に乗るため昼食用(日高線内では食料調達困難なので)のサーモン寿司700円と息子用にえぞ寿司650円を購入して日高線乗り場に消えた。僕が日高線に始めて乗ったのは1977年で当時は急行色のキハ22だったけど久々の日高線乗車が楽しみである。

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★