夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

思い出の駅寝について

弊ブログは今では消えて無くなってしまった夜行列車の乗車レポートを中心に発信しているので夜行列車以外は対象から外していますが今は無き、yahooブログ時代のコミュ(現在はSNSに統括)意見から駅寝に付いても書いてもらいたい要望が届いており、リクエストに答えてはキリがないのだが今回に限り、特例という事で話を進めていきたいと思う。駅寝と言ってもピンからキリまであるが、ターミナル駅から駅員のいる有人駅の冬でも暖房が心地よい駅に無人駅まで更に駅舎は閉められて軒下で寝たり、はたまたホームのベンチで寒さに震えて寝たりいろんなパターンがあります。

 

駅寝は都会だとホームレスや最終電車を乗り過ごして致し方なく朝まで駅へ身を置いたり、登山者やハイカーが登山口最寄の駅で宿泊したり、朝一番の始発バスやローカル線の始発電車を待つのが一般的で鉄道ファンの駅寝は1970年台では少なかったと記憶していますがそれでもコアな鉄道ファンの駅寝は当時からありましたけど急激に増えたのは1980年台前半くらいからです。鉄道ファンの駅寝は朝一番の始発列車を待ったり、早朝から沿線撮影地で列車を撮影するため(若しくは一番で撮影ポジションをキープするため)が多く、夜行列車折り返しの待機としても使われていました。

 

1980年台後半から駅寝人口も少しずつ増え、致し方なく今宵の宿として利用させてもらってた駅寝も駅寝する事を目的とするレジャー化した駅寝が増えて来ました。「STBのすすめ」(STBはステーションビバーグの略)なる本も出版されて全国宿泊可能駅一覧に駅寝した隊員のレポートや簡単なガイドが線区別・駅別に紹介されて駅寝の手引きやコラムなどが、記されていて正に駅寝のバイブルだと思ったくらいだ。STB全国友の会なる団体があったのはこの本を購入して初めて知ったのであるが、意外と駅寝(STB)愛好者が多いのに驚いたのである。

 

最初の私の駅寝は1975年7月(高校2年生)に根府川駅で駅寝したのが最初であります。川崎駅から始発の電車で根府川駅に到着するのが駅寝の最初で東海道線始発電車321Mに乗っても根府川着は7:04で上りブルートレイン第二群からしか撮影出来ません。同じクラスのM君と隣のクラスのA君(鉄道三バカトリオ)とで最終電車に乗ってホーム待合室で朝まで待機して朝日を浴びた「瀬戸」を白糸川橋梁で撮影しようと夢と希望をパンパンに膨らませて根府川駅に停車する最終電車となる東京22:22発941Mに僕は7月19日、川崎駅から6号車の5号車よりに乗るとM君やA君と合流して根府川駅へ向かいました。

 

列車が到着するのは2番線ホームで駅寝するホーム待合室は3・4番線にあるので跨線橋をそのまま行くと正面の改札で駅員(当時は有人駅でした)が見てる筈なので途中で3・4番線へ行くのは既に上り電車終電が終っているのはおかしいです。下車客を先に行かせて自分達は少し様子を見て改札に誰もいないのを確認して3・4番線へ移動してここでも駅事務所から誰か見てないかを確認してから迅速にホーム待合室に入って打ち合わせどおりにすぐに長椅子(当時は木の長椅子でした)に寝て暫く待機します。これだと駅事務所の窓から見ても待合室には誰も居ない様に見えるのです(悪賢いガキたちだ)。

 

何分か経過するとホーム待合室の照明が消えてて駅事務所も暗くなったのでこれで安心と椅子に座って騒ぎたいのを押さえて小声でヒソヒソと話をしながらお菓子を食べていると澄んだEF58の汽笛が聞こえ、大阪行きの急行「銀河」の通過と分かり、10系寝台に2両の指定席が連結された13両編成(銀河の20系化は1976/2月から)が爆音を上げて通過。深夜の東海道線は貨物列車の本数が多くて緊張と走行音が煩くて殆ど寝れなかった。周囲がまだ暗い時間に3・4番線の待合室を出て海沿いの2番線へ移動するが明るくなると目立つからで2番線のホーム真鶴寄り先端から白糸川橋梁への撮影地まで移動。

 

流石に「紀伊・いなば」と「出雲」は撮影出来なかったけど「瀬戸」から「さくら」と合間に来る荷物列車や貨物列車に153系急行「伊豆」「おくいず」「東海」と157系「あまぎ」等を撮影して人生始めての駅寝で有意義な時間が過ごせたのである。今から48年前の事だけど当時の事は何故か鮮明に覚えてる。両親には適当に誤魔化して無断外泊した訳だがもし駅員にバレて鉄道公安管(現鉄道警察隊)に引渡しになって両親や学校にも連絡が行ったら今考えるだけでも背筋が凍る思いだ。無茶というか、若気の至りですな・・・そんな自分も3日前に65歳になりました。

 

自分にとって駅寝は北方面は北海道、南(西)方面は和歌山県内の駅でしか駅寝してないけど色んな経験をした。一番心地よかったのが青森駅函館駅青函連絡船桟橋待合室で冬は暖房で寝やすいクッションが効いた長椅子で寝るには最高の環境。始発の津軽線はDE10が牽引する旧型客車でそれに乗りたいために駅寝したけど最高の夜で5時までぐっすりと寝れる事が出来て幸せ。しかし駅寝はいい事ばかりはありません、怖い経験や痛い経験に恥ずかしい経験までして旅を終えて自宅に帰り、自部屋のベッドで寝れる事の幸せを感じた次第であります。

 

怖い経験は高校2年生か3年生くらいの夏に国鉄池北線(のちにふるさと銀河線⇒以降廃線)走破のために網走駅から普通1528レ(北見から上り急行「大雪5号」)に乗って北見駅で下車して待合室(旧駅舎時代)で寝ていたらAM0時過ぎくらいに車で集まったチンピラみたいなのが集まってその一人がお前どこから来た?みたいな事を言うので東京だ、と言い返して余計な事に北見は田舎でいいな!新宿や渋谷はこの時間駅前は暴力団やヤクザばかりで怖いんだぜとつい言ってしまった。そいつらは一瞬怯んだけど俺は殴られて所持金取られるのだろうと震えていたらボスからの集合がかかったのかそいつらは消えてしまったが俺は怖くて朝まで寝られなかった。

 

口は災いの元とも言われるが次は痛い経験の駅寝話。身延線のEF15貨物を撮影しようと仲間数人で大垣夜行347Mに乗って富士駅まで行き、富士駅で駅寝となった。改札を出たものの、座って寝る場所が駅舎内になくて自分は小荷物受付のカウンターみたいな横幅が40センチくらいの横幅が狭いカウンターみたいな所で寝ようとしたんだけど寝相が悪いのか見事に下へ落ちて痛い思いをしましたが何とか朝まで待機して始発の身延線に乗って竪堀~入山瀬の富士山バック鉄橋で無事EF15牽引貨物を撮影出来た。駅寝での恥ずかしい経験をしたのは和歌山県紀勢線古座駅を紹介します。

 

大学1年生か2年生の頃にEF58牽引の旧型客車を撮影に学割の南近畿ワイド周遊券で鈍行夜行の「はやたま(921レ・924レ)」や夜行急行「きのくに」を宿にして旧型客車の撮影に勤しんでいた頃。新宮から921レに乗って日付が変わる15分前に古座駅に到着して早速待合室のベンチで駅寝を慣行。しかし紀州の夏は朝から暑くて寝汗たっぷり出て駅前にあるホース付き水道でシャワーを浴びて遂に頭まで洗ったのですがその姿を部活で早く高校へ通う女学生に笑われてえらい恥をかいた事がありますが背に腹はかえられなくてバスタオルで髪を拭いた後に古座~紀伊田原の古座川橋梁まで歩いて121レを無事撮影しました。

 

大都会横浜駅での駅寝の経験もありますが横浜駅は最終電車が終ると当然シャッターは閉めて駅構内に居座る事は出来ません。1988年か1989年だったかと記憶しますが東高島駅東海道貨物支線「通称高島線」)にEF58-61牽引のホキ工臨が入線した時の事。100名以上の撮り鉄が集結してそれは凄い人出だったのですが自分も長時間露光撮影でPKR64とRVP50を全コマ撮影して帰ろうと思った時には桜木町駅からの東急東横線京浜東北線も最終電車が終っていたので仲間達と横浜駅までトボトボと歩いて帰り、横浜駅前で朝まで過ごしました。

 

大きな都会の駅には深夜~未明になるとガラの悪い奴が徘徊してるのだけど三脚とアルミケース所持の鉄ちゃんだけで約40人はいたので不気味がって近寄らなかったのが逆に笑えましたが結局朝まで寝る事もなく、雑談しながら一睡もせずに過ごしたのでこれが駅寝といえるか微妙である。結局殆どの人は大垣発東京行きの340Mで帰ったようだが、自分達は絶対に座れないであろう340Mは避けて京浜東北線北行電車に乗って朝帰りで帰宅。駅寝はステーションホテルとかSTBとか言う人も少なくなかったけど撮り鉄では駅マルヨ(○の中にヨが入る)と称する人も多かった。

 

マルヨ(○の中にヨが入る)とは列車運行表で運行中(仕業中)に日にちが変わる事で運行表のサンプルは1番下に画像表記しておいたが、撮り鉄は駅マルヨ以外に撮影地マルヨや車中泊マルヨなどの言葉があった。撮影地マルヨは撮影地の近くで野宿する事であって撮影地場所確保や置き三脚の見張りのために深夜から待機する事である。自分が属していた撮り鉄クラブのチーム内では時間に余裕がある学生さんが選抜されて前夜から現地入りして任務に就く事が多く、自分も始発電車が動く前の早朝から車で駆けつけてコンビニで沢山買ったおにぎり・サンドイッチや飲み物を渡した事が何回もある。

 

更に車中泊マルヨもあり、これは撮影場所確保と場所を取られないように前夜から撮影地へ赴き、近くに車を停めて車中泊する事である。2015年8月21日に下り最終北斗星を撮影するために洞爺~北入江信号場の通称:宇宙軒Sカーブで最後の勇姿を撮影するために前夜日没前に新千歳空港で借りたレンタカーで早々に現地入りしてベストポジションの確保(置き三脚)をして迷惑にならない道のくぼみへ車を停めて朝まで寝ながら待機した事がある。早めの夕飯をラーメン屋宇宙軒で瓶ビールを飲みながら食べた味噌チャーシューメンが美味かった。

 

そんな感じで僕らの世代はよき駅寝時代だったけど時代の風潮やマナーを守らない駅寝族が増えたのか駅寝禁止の駅が増えて米国テロ事件以来日本も厳しくなり、列車の来ない昼間の時間帯に田舎の駅舎で休んでいたり、駅前に長い時間他県ナンバーの車が停めてあると通報を受けたのか警察に職質されたりと嫌な時代になってしまった。因みに私の最後となった駅寝は1993年12月の横川駅でしたが、臨時夜行急行妙高81号でAM2時台に横川駅に到着して朝までの仮眠なので駅寝と言えるか怪しいものである。

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        ★★★★★Memories of the night train★★★★★