夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時大垣夜行 9372M

1997年1月4日(土曜日)、 高山線DD51-821が牽引する14系座席車6Bを車で追いかけて4回も撮影した我々はE君に岐阜駅まで送ってもらい、4名(K君、N君、T君、自分)で大垣駅近くの居酒屋で夕方から夕飯を兼ねて祝杯を挙げていた。すでにホームには邪魔にならない様に先頭号車の乗車位置に場所取りはしているので腰を落ち着けてゆっくり飲める。寒い時期だったのでおでんや寄せ鍋に居酒屋定番のメニューを頼んで熱燗・温めない日本酒・ビールなど各自飲みたい物をオーダーして楽しんでいた。因みに1~2年前にY君と9372Mに乗る前に生ビールジョッキで乾杯した店で安心価格の店である。

 

大垣は鉄道のジャンクション駅(東海道線樽見線「後の垂水鉄道」・美濃赤坂支線)だけど大垣夜行や快速「ムーンライトながら」が無ければここまで有名にならなかったと思われる。17時半から21時半まで粘って大いに食べて大いに飲んで割り勘1人当り6,000円のお勘定は安い方だったが、千鳥足で大垣駅のホームに戻ると発車1時間だけど行列はかなり伸びていた。 9372Mが入線して8号車に乗ると昨日乗った9375Mと同じ神領電車区のクモハ165-108だったが22:54に大垣駅を発車した時点ではまだ空席があった。2人で1BOXキープでも良かったけど、名古屋で全席埋まるから今夜も狭いBOXで仮眠。

 

大垣駅を出ると穂積(23:00)・岐阜(23:05)・尾張一宮(23:14)の順に停車して名古屋(23:26-42)に到着。快速「ムーンライトながら」を先に発車させるために16分停車する。1996年3月改正までの9372Mは4分停車だったけど大垣夜行が「ムーンライトながら」に変わり、時刻が変わると臨時大垣夜行9375Mのダイヤも多少変更になっている。16分も停車すれば急げば駅前のコンビニにも行ける訳でホームの立ち食いきしめんも営業していれば(当然営業していないけど)食べる事は出来たはずである。案の定空席は全て名古屋駅で埋まって隣のホームを先に発車する快速「ムーンライトながら」を確認。

 

そういえば名古屋駅では夜行急行「ちくま」(4801レ)が停車していたとN君から報告があったけど自分はホームで飲み物の自動販売機を探していたので全く気が付かなかった。4人とも前夜の9375Mでは寝不足だし、かなり酔っ払っていたので眠くて特に自分は金山(23:48)以降の記憶が無く、早々に寝てしまったらしい。以降は就寝中の停車駅と時刻…大府駅(23:59-59)・苅谷(0:03)・安城(0:09)・岡崎(0:16)・蒲郡(0:26)・豊橋(0:38-43)・浜松(1:11-12)・静岡(2:09-12)・富士(2:38-39)・沼津(2:54-59)・熱海(3:17-19)・小田原駅(3:36-37)・大船(4:06-07)・ 横浜(4:20-21)。

 

横浜到着くらいには全員起きていたけど全く寝れなかったのがK君でK君曰く、もう座席夜行では寝れない体になってしまったと一言ポツリ。撮影旅では三菱デリカのフルフラットシートで横になって休むのが常になり、動く走行音が煩い足も伸ばせぬ環境では寝れなくなったとか。N君は青春18きっぷのシーズンは偶に夜行列車に乗るけど165系「ムーンライト」「ムーンライトえちご」でないと寝れないと溢していた。僕は座席夜行でも寝ちゃうけど翌日の疲れがハンパない。K君、N君、自分は1997年で39歳になるアラフォーなのでもう若くはないのだとしみじみ思った次第である。

 

座席夜行でも1BOX貸切で前の席に足を投げ出したり、グリーン車の旧シートを再利用した席ならまだまだ大丈夫だけど睡眠時間が短いと昼間に眠くなって疲れになる事もある。車で行く撮影も自宅をAM4時に出るなら23時くらいに出て三脚だけ立てて近くに車を停めて朝までフルフラットシートで車中泊した方が楽だし、ベストポジションに三脚を立てられるからつい後者を選んでしまう(閑話休題)。川崎(4:23)を発車した頃には車内の乗客も目覚めて多摩川を渡ると東京に入るがまだ車窓は真っ暗で夜の続きといった具合だが品川(4:33)では大崎方面乗り換えのN君が下車、3人で手を振り分かれた。

 

新橋(4:38)では営団地下鉄(現東京メトロ)銀座線乗り換えのK君が下車して終着駅の東京駅へ4:47に到着した。T君は中央線乗り場へ、自分は5:00発の大宮行きがあるので京浜東北線北行電車ホームへと移動して新年最初の朝帰りした。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★