夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

臨時大垣夜行 9375M

1997年1月3日(金曜日)、 今年度の年末年始休みは1996.12.28から1997.1.5の9連休と長くて例年なら12/28には仕事終りで翌年1/5は仕事始めなのだが今年度は12/28と1/5が土曜日や日曜日と重なり、例年より2日長いのでお徳なのだが、その代償で成人の日(1/15)が三連休(1995年や1996年は三連休だった)にならないので喜んでいいのか、悲しんでいいのか訳分からない年末年始である。1996.12.28から大掃除を手伝ったり、正月用品買出しのドライバーや荷物持ちに借り出されて鉄ちゃん活動はゼロであった。新年早々中京地区の友達から1月4日にDD51+14系ハザが高山本線に入線するとの情報を入手。G

 

中京地区在住E君の車はハイエースなのであと4人くらいは乗れるのでメンバーを集めるといつも世話になってるK君、同じ勤務先のN君、最若手のT君が参加メンバーになり、1月3日、品川駅10番線ホーム・臨時大垣夜行の8号車乗車位置に集合という事になった。入線時刻の3時間前に品川駅10番線へ行くと既に乗車整列位置の先頭にN君とT君が並んでおり、自分も撮影機材を乗車位置の列に並べて3人で雑談しているといつもはマイカーで動いて滅多に列車に乗る事がないK君もやってきて早々と4名のメンツが揃った。やがて10番線に臨時大垣夜行(ながら救済臨)が入線。

 

8号車に乗り込むと神領電車区のクモハ165-108で進行方向右側のボックスに集まるが車内の座席は一瞬で埋まり、快速「ムーンライトながら」の方がいい車両でシートも上質なのにこれだけ臨時大垣夜行(ながら救済臨)が混雑するのは快速「ムーンライトながら」の指定券が押さえられなかった人が多いのだろう。やはり乗車日当日でも並べば確実に座れる165系大垣夜行(375M・372M)が良かったと思うのは自分だけであろうか。新年最初の顔揃えなので銘々に缶ビールで乾杯していると「ムーンライトながら」が23:53に発車すると我が9375Mも品川駅を23:55に後を追いかける様に発車した。

 

品川駅発車時点での8号車・乗車率は100%以上で1月3日なので仕事帰りの帰宅組乗車はないけど立ち客は10名ほどいて先ほど発車した快速「ムーンライトながら」は空席もあった(二席厨?)ので明らかにこちらの方が混雑している。臨時大垣夜行9375Mは蒲田駅付近で日付が変わり、多摩川(六郷川橋梁)を渡って神奈川県に入ると川崎駅(0:06)に到着。川崎から日付が変わるので予め用意しておいた4日の日付が入った青春18きっぷをパスケース外側の見える側に入れ直しておく。K君が夜行列車に乗車したのは半年振りだそうで久々の夜行列車を楽しんでいるように見える。

 

横浜(0:14-15)停車中に携帯電話のアラームが鳴り、急いでデッキに移動して電話を受けると明日(実際は今日)お世話になるE君からで最終的な人数を伝えて明日の集合場所は岐阜駅の駅舎出口を確認。ついでに撮影被写体の事を聞くとユーロナイナー色のナクイチ(DD51-791)でなくて赤いDD51との事で客車もユーロピアでなくて、原色の14系ハザとの情報だった。席に戻って皆に報告するが満員の車内に我々と同じ装備の鉄ちゃんは誰も乗っていない。1月4日は東海道線御殿場線経由でEF58-61牽引の「さようならサロンエクスプレス東京(メモリアルサロン東京)」がある影響だろう。

 

また同日のSL奥利根号はC58363+EF62重連が運転される予定なので関東の鉄道写真ファンが中京方面に流れる訳がないのである。高山本線DD51+14系ハザも鉄道雑誌の臨時列車運転情報には記載がないのがありがたく、各地域で情報を入手して教えて貰えるのは感謝に耐えない。最若手のT君はEF58-61が牽くサロンエクスプレス東京は写したかった様だけどK君がJRFC(鉄道友の会)主催だからヘッドマークが付くよと混ぜ返して自分もEF5861+サロン東京のマルーン色はマーク無しの姿が一番と力説している。臨時大垣夜行9375Mは戸塚(0:25)・大船(0:30-30)と停車するが我がBOXは撮影ネタで盛り上る。

 

大船駅を発車すると小田原までは各駅に停車(藤沢0:35・辻堂0:39・茅ヶ崎0:43・平塚0:48・大磯0:52・二ノ宮0:57・国府津1:01・鴨宮1:06・小田原1:09-10)だが小田原から終着・大垣までは快速運転に移行する。品川駅を発車して1時間15分と少しだがいい加減に話すネタも尽きてそろそろ寝ようという事になった。車内は相変わらずデッキと車内に立ち客数名いるけど運転席があるデッキではレジャーシートを敷いて寝ている猛者もいて本当にご苦労様。自分は寝たいときに寝ないと翌日必ず疲れや睡眠不足を背負い込むので先に休ませてもらうが就寝中の停車駅と時刻は以下のとおり。

 

熱海(1:29-30)・三島(1:43-43)・沼津(1:50-56)・富士(2:12-13)・静岡(2:43-59)・浜松(3:58-4:09)・豊橋(4:39-52)・三河三谷(5:05)・蒲郡(5:08-08)・岡崎(5:20-20)・安城(5:27)・苅谷(5:35)・大府(5:40-40)・共和(5:44)。目が覚めたら列車は共和~大高の築堤上を走っており、1989年にこの築堤でEF5861+EF5889+江戸を撮影したのを思い出した。他の3人は既に起きており、僕が一番寝坊だったようである。遅くまで起きていたメンバーの話によれば16分停車の静岡ではコンビニ買い出し組が出没して、13分停車の豊橋では快速「ムーンライトながら」を抜いたそうである。

 

金山(5:58)を発車すると名古屋(6:03-08)で車内の約半分の乗客が下車して更に新規の乗客も増えて入替わるが5分間停車するのでホームの自販機でポッカ缶コーヒー190g缶を購入して車内でまったり飲んでいると名古屋駅を発車したので早々に下車準して待つ。途中、稲沢(6:16)・尾張一宮(6:21)に停車しながら岐阜駅へ6:29に到着したので急いで下車、改札を出てE君が運転する車の世話になって一気に撮影地を目指す。自分たち余所者が運転すると主要道路(国道・バイパス)を走るし、事実ナビもその道路を教えてくるのでナビのいう事を聞いてしまう事は多い。

 

しかしE君は混雑する主要道路は避けて、信号が少なく、流れが良い県道を抜けて最初の撮影地である各務原~鵜沼に到着。撮影すると追っ掛けモードに入り、2発目は下麻生~中川辺、3発目は焼石~飛騨金山、トドメの4発目は飛騨小阪~渚で〆て遅めの昼飯をファミレスで雑談しながら楽しんで大垣駅まで送ってもらった。撮影した被写体も赤いDD51に牽かれる青い原色14系客車が何発も撮影出来てよかった。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★