夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 はくつる(B寝台)

1996年1月26日(金曜日)、 青森市内の出張を終えて雪降る青森駅のホームに佇んでいた。仕事自体は17時前で終わったので急げば1026M⇒58B(はつかり26号⇒やまびこ58号)乗り継ぎでも間に合ったけど翌日は土曜日で休みのため、最終新幹線で帰るにも疲れるため帰路は寝台特急はくつる」を選んでタクシーで青森駅に到着早々みどりの窓口寝台特急券だけ購入して帆立三昧(刺身、貝焼き、フライ)の定食が楽しめる店で軽く飲みながら北の幸を楽しんだ。 

 

家族へのリンゴを使ったお菓子を土産に求めてホームに入り、7号車乗車位置で寝台特急はくつる」の入線を待っていると発車時刻15分前の20:15にDE10に牽かれて「はくつる」の回送列車が3番線へ入線。扉が開き早速7号車(オハネフ25-121)に乗り込み、12番下段に荷物を置いて牽引機を見に行くといい具合に雪が付着した田端運転所のEF81-100号機であった。売店で缶ビールと帆立貝柱の燻製を買って車内に戻ると「はくつる」は20:30に静かに発車して上野駅へ向かう。昼間は小康状態だった雪も横殴りの雪へと変わって本格的に降り始め列車は上野駅を目指す。

 

すぐに車掌が回ってきて乗車券と寝台特急券を呈示すると八戸~盛岡間の除雪に手間取っており、多少の遅延が発生するかも知れないとの事だったが上野着が6:08と早すぎるので30分くらいの遅れなら寧ろ歓迎だと言葉に出さなかったけどそう思った。帆立の貝柱燻製マスタード風味をつまみに缶ビールを飲んで客車寝台夜行列車の独特な雰囲気に酔いながら流れゆく雪国の真っ暗な車窓を眺めていると寝台列車っていいな~とつくづく思う。特に雪国の夜行列車や寝台列車に旅情を感じてしまうのは私だけだろうか?。個室ばかりの「北斗星」みたいな観光列車もいいが「はくつる」は演歌が似合いそう。

 

青森駅を出発して34分で野辺地駅(21:04-04)に到着、野辺地といえば翌年の春には運転休止(廃止ではないが事実上の廃止と変わらない)の噂が流れている南部縦貫鉄道レールバス(キハ10系)が見れるのもあと1年と数ヶ月である。外は降り止まぬ雪だが寝台特急はくつる」は今のところ定時運転を確保しているのはありがたい事だ。列車は三沢駅(21:29-30)に到着すると隣のホームに青森駅を20:05に発車した542列車が停車して「はくつる」に道を譲ってくれた。明日の上野着は早朝6:08なので今夜はこれで早めに寝ようと思う。

 

就寝中の所定停車駅時刻は八戸(21:47-49)・三戸(22:05)・二戸(22:19)・一戸(22:25)・盛岡(23:17-19)・宇都宮(4:43-44)。昨夜は寝台のリネンをセットして早々に寝てしまったので大宮駅到着時刻に目が冷めて窓のカーテンを開いてみればまだ宇都宮駅に停車しており、約1時間の遅延である。だったらあと1時間は寝れると寝台にもぐったのだが6時過ぎに車掌のおはよう放送が流れて遅延の詳細と遅れのお詫びであったが終点上野駅到着は1時間くらい遅れそうであるとの放送であった。どうせ遅れるなら2時間くらい遅れて寝坊して、特急料金全額払い戻しなら美味しいのに。

 

ちょうど東大宮~蓮田あたりで外は明るくなって車窓が確認出来るようになったが1時間遅れの6:42に大宮駅へ滑り込んだ。ここまでは1時間遅れで済んだけど土曜日なので朝の通勤電車は通常よりやや少ないけど大宮を出ると中距離電車を抜ける駅はないため、「はくつる」の遅延は中距離電車を遅らせ、更に中距離電車の遅れは「はくつる」の遅れになり、双方の遅れに繋がっていくから遅延は膨らんでしまう。浦和駅赤羽駅でも更に遅れが増してノロノロ運転に輪をかけて尾久駅構内で63分遅れで通過した。途中「あけぼの」の推進回送とすれ違っているから「あけぼの」は所定運転のようだ。

 

しかし上野駅地平ホームが空いてないらしく、暫く停車して数分したらホームが空いたようで寝台特急はくつる」は所定時間より68分遅れて15番線ホームに入線した。除雪に間に合わなくての遅延なので先頭の牽引機はさぞ雪まみれになっているのだろうかと想像したけど下車して15番線ホームを前に見えたEF81-100にはスノープロウと台車足回りに気持ち程度雪が付着していただけで期待した以上にガッカリだったけど25形上り「はくつる」は始めての乗車だったけど楽しむ事ができた。

 

          ★★★★★Memories of the night train★★★★★