夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 富士(Bネ)

このブログも前々作、寝台特急はやぶさ」(前編・後編)に続いて前作、急行「日南4号」や急行「かいもん4号」に引き続き2019年12月で消えてしまったyahooブログで書いていますが簡単な模写でデーターも不備が多く、一緒に旅をしたM君が生前に纏めて送ってくれた文章を元に新規で書き下ろしたものです。

 

1978年8月1日(水)、西鹿児島駅で今夜の夜行列車でもある寝台特急「富士」の入線を待っていた・・・なんて書くと夕方か、夜のシーンかと思える内容だけど現在の時刻はまだ朝の9時を過ぎたばかり。流石に日本一距離が長くて時間を要す定期寝台特急の事だけあってこの時間帯に発車した寝台特急は多分「富士」以外にないのではないだろうか?。流石に走行キロ数 1595.9km、所要時刻 24時間29分で結ぶ日本最長距離を走る寝台特急であり、上り「富士」の入線時刻は朝の9時台なのである。まだ朝食を食べてないので駅弁売場で朝食を求めて富士の入線するホームに入ると既に客車の据付は完了していた。

 

基本編成のみなので1号車から6号車の編成をチェックして扉が開いたので6号車のオハネフ25-110に乗り込み荷物を窓際にまとめて置いて先頭に行くと宮崎機関区のDF50561のズルーザーエンジンが聞こえた。1979年9月25日改正で宮崎~西鹿児島間が電化されてED76が牽引するため、DF50先頭の「富士」に乗ったり見たりするのはこれが最初で最後になりそう。西鹿児島駅を定刻9:41に発車すると6分で鹿児島駅(9:47-48)に到着、ここから日豊本線へ入るが朝食がまだの自分達は西鹿児島(現鹿児島中央駅)駅で買ったとんこつ弁当(500円)で遅い朝食にする(ホテルで8時半まで寝坊したため)。

 

海越しの遠くに桜島が見えてきた竜ヶ水~富重あたりで車掌が来て「富士」フル乗車のB寝台・特急券を見ながら東京までですか?と尋ねてきたが今のところフル乗車する乗客は他には居ないけど偶にフル乗車の鉄道ファンを見かけるとの事である。この時間帯はキハ80系の特急「にちりん」の設定はないため、ヒルネ客の利用もいるけどヘヴィースモーカーが2人いる我々のコンパートメントには誰も来ない。鹿児島駅から重富駅までは車窓から錦江湾や対岸の桜島が見えていたけど海から離れると隼人駅(10:20-21)に停車してようやく終着東京駅まで24時間を切った事になる。

 

隼人駅を発車すると肥薩線と分かれ、通過駅の国分駅では国鉄大隅線と別れて霧島神宮駅(10:49)を発車すると遠くに霧島連山韓国岳など)が見えてくると列車は山間部に入って財部~五十一で鹿児島県から宮崎県へと入った。西都城駅(通過)の手前で志布志線と合流して更に吉都線と合流すると寝台特急「富士」は都城駅(11:26-28)に入線した。少し早いけど2分停車を利用してホームの売店で「牛めし」(500円)を購入したが宮崎駅でも9分停車するけど都城駅牛めし駅弁は安くて美味しいと人づてに聞いていたのである。安いと言っても当時煙草のセブンスターが150円だったので決して安くはない。

 

門石信号所~青井岳駅~楠ヶ丘信号所は山中を走り、青井岳の峠を越えて田野駅(何れも通過)から街の中へと入って景色が平凡になったので都城駅で購入した牛めし弁当と車内販売から購入した缶ビールと共に頂いた。南宮崎駅の手前で日南線の線路と混じると寝台特急「富士」は大淀川を渡って宮崎駅(12:25-36)へ到着すると、ヒルネの下車客が降りたが新規の乗客も乗って来た。11分停車なので窓際2人分の荷物を置いてホームに降りて先頭へ急ぐと宮崎機関区のDF50-561が外されると大分機関区のED76-77が連結されると発車準備OK。

 

車内に戻ると乗客の人数も増えており、本州方面の長距離客や大分方面のヒルネ客も増えてるが我々のBOXは誰も来ないのが幸いである。この時間帯の上り日豊本線特急列車は宮崎11:00発の「にちりん5号(5030M)」の後は宮崎14:08発の「にちりん6号(5032M)」まで無いので「富士」のヒルネは時間的にもちょうどよいようだ。宮崎駅を発車して高鍋駅手前から日向灘の海沿いを走ると東都農駅美々津駅ではリニアモーターカーML500の宮崎実験線の軌道が見えてきた。最高時速500km/hで走るML500の勇姿を見る事が出来なくて残念だが列車は日向市駅(13:39-39)に到着した。

 

日向市駅を発車すると少しだけ海沿いを走って高千穂線・乗換駅の延岡駅(14:00-03)を定発したら北川駅だったか、市棚駅だったか忘れたけど運転停車すると前夜東京駅を18:00に発車した下り寝台特急「富士」とすれ違った。更に日付が変わった深夜の兵庫県内でももう1回下り「富士」とすれ違うなんて走行時間が24時間を越える列車は凄いものだと我ながら思った次第である。市棚駅から先は急に山間部へ入り、大小のSカーブを進むと勾配区間も増してトンネルも増えてきた。宗太郎越えとも言う宗太郎峠を進み、宗太郎駅の手前で宮崎県から大分県の県境と分水嶺を越えると下り勾配へと変わったようである。

 

列車は宗太郎を越えても暫くS字カーブが続く山中の中を走っていたが直川駅の先くらいからやっと里の中を走り、上岡駅くらいから街中に入って佐伯駅(15:07-07)に到着。海崎駅を通過すると海に近付くが離れたり近付いたりと車窓の変化が激しくて楽しんでいると西鹿児島駅を発車してとっくに6時間経過した事に気付いたが「富士」の旅にも慣れて中だるみ状態(つまり少し飽きてきた)。煙草を吸いながらM君と雑談したり、今夜の食堂車で食べる夕飯は何にしようかと他愛のない話をしてたら列車は大きな街中に入り、大分駅(16:14-27)に入線しようとしていた。

 

13分停車の大分駅では6号車の前に付属編成の7号車から13号車まで連結するのだが我が6号車のヒルネ客の半分以上が下車して車内は閑散状態。なお大分駅では牽引機も変わってED76の29号機か30号機だったと思う。大分駅から13両編成(電源車を含めると14両編成)に変わり、西大分駅を通過すると東別府駅まで大分湾の海岸線沿いを走って温泉で名高い別府駅(16:39-40)に到着した。17時過ぎに食堂車からの営業案内放送が流れたのでM君と待ってましたとばかりに8号車へ移動してオシ24-2に乗り込んで関門定食を2人前予約してからハムサラダ・エビフライ・牛肉のたたき等を順に注文。

 

行きに乗った「はやぶさ」と帰りに乗ってる「富士」もキリンビール(現ラガービール)を置いてるのでM君と料理を肴にビールで喉を潤していると中津駅(17:47-48)に到着。中津駅発車して、すぐに山国川橋梁を渡ると大分県から九州最後の県でもある福岡県へと入った。南行橋駅行橋駅の間で田川線(現 平成筑豊鉄道田川線)の線路と交わり、城野駅の手前で日田彦山線と合流して西小倉駅小倉駅間では鹿児島本線と合流すると小倉駅(18:34-36)へ到着した。食堂車へ訪れる人も増えてオシ242の調理担当(3名)やウェイトレスも忙しそうである。

 

ビールでかなり酔っ払って鉄話で盛り上り、確か最後にグリルドチキンの単品を注文してナイフとフォークで小さく切ってM君とビールの肴にして最後に〆の関門定食を食べ終えたら列車は門司駅(18:43-48)に停車していた。大いに飲み、大いに食べて会計を終ったら割り勘でも飲食税がかかるくらいの料金で一気に財布の中身が軽くなり、財布の中身は1000円札が3枚と小銭くらしか残っておらず、かなり散財したけど全ての料理が美味しくて二重丸。6号車には向かわずに車内を歩いて先頭の13号車まで歩いてたら列車は関門海底トンネルを出て本州最初の駅でもある下関駅(18:56-19:00)へ到着した。

 

関門トンネル専用のEF30-21が切り離されると東京機関区のEF65-1116へバトンタッチされたのを確認して6号車へ戻るがホーム移動中に発車ベルが鳴ったので車内移動で6号車へ戻ると車内は3~4割程度の乗車率。下関駅を発車すると18分くらいで日没時刻だがやっと夜行列車らしくなってきたけど宇部駅(19:37-37)するとM君が突然西鹿児島駅を発車して「もう10時間が経過しちゃったのだよな・・・あと10時間で浜松駅の先を走っているんだよな」と寂しそうにボソリと呟いた。まだあと半分以上残っているのだからあと半分強楽しもうぜと声をかける。

 

山陽本線を走る寝台特急「富士」は防府駅(20:13)と柳井駅(21:05)にも停車すると我々も寝台にシーツを毛布を広げて枕をセットして寝れる準備をしてから寝具の上に横たわっていたらいつの間にか寝てしまったらしい。以降は就寝時間の停車駅時刻・・・広島(22:07-12)・福山(23:42-42)・岡山(0:25-29)・名古屋(5:08-13)。喉が渇いて目が覚めたら六甲のスラブ軌道(反響音で分かる)を走っており、冷水機の水を飲んで更に寝たのだが2回目に目が覚めたら名古屋駅到着数分前だったので5分停車の名古屋駅ホーム自販機で缶コーヒーを買って車内に戻り、寝台にもぐろうとしていたらM君が起きて来た。

 

2本買った缶コーヒーの1本をM君に渡してまだ寝ている客も多いのでデッキに出て缶コーヒーを飲みながら煙草を吸って朝の一服タイムに軽く雑談。M君は広島駅到着まで起きていたようだが乗車客が多く乗って周囲の寝台にもカーテンが引かれたが自分たちの上の寝台(6号車13番・14番の上段寝台)は空いたままだと説明を受ける。歯を磨いたり洗面を済まして着替えてから自席で一服後に8号車の食堂車(オシ24-2)に移動して朝食を食べに移動する。自分達が口開け客だったが昨夜は沢山飲み食いしたので顔を覚えてもらえて一番で迎えてもらえた。

 

2人で和朝食を注文したが内容はお料理盛り合わせ(揚げたての鮭、かまぼこ、玉子焼き、わさび漬け、香の物)とワカメたっぷり味噌汁、焼き海苔、ご飯で750円。朝は和書に限るなどいつもはパン党のM君まで喜んで最後に別注文のコーヒーをオーダーしたけど和朝食は確か750円だった。和食は限定50食らしいが注文する客の6割が和朝食をオーダーしてるから朝の人気メニューなのかも知れない。食べていると浜松駅(6:30-31)に停車して充分満足してから会計を済まして6号車の自席へ戻った。朝7時半でも上段の寝台は寝ている人が多いけどヒルネがないから寝坊できるものよいものだ。

 

三島~沼津間、狩野川水系の黄瀬川橋梁からや三島~函南の竹倉踏切からも確認したけど富士山は見えなかったが列車は丹那隧道を出ると来宮駅の横を通過して早いものでもう熱海駅(8:36-38)へ到着。2分停車を生かしてホームに降りて売店があったわさび漬を買う事に成功したが私の所為で熱海発車時刻が15秒遅れたとはM君の弁。熱海駅を発車すると湯河原駅の手間にある千歳川を渡ると神奈川県に入り、ここから早川駅までは通路側の窓から相模湾が見えるので暫し海を眺めると早いもので小田原駅を一瞬に通過したが浜松発・東京行きの330Mを退避させて抜いた。

 

小田原から東京まではすぐなので下車準備だけしてラストの上り「富士」を楽しむがこの辺りは並走する東海道貨物線を走るや貨物列車とのすれ違いや追い越しなどが楽しめる区間だが途中でEF65Fが牽引する専用貨物を追い抜いて相模川を渡り、大船駅では退避中の2830Mを抜き、横浜市に入ると大船観音が見えてきた。大船~東京間は東海道線横須賀線が同じレールの上を走るので列車密度が増えて清水谷戸隋道を出ると横浜駅到着の案内放送が聞こえて来た。横浜駅に近付くと昨日西鹿児島駅を発車してからちょうど24時間が経過する。

 

横浜駅(9:42-43)へ停車すると隣の小田原発⇒東京行きの872M(9:40-45)を退避させて我が寝台特急「富士」が先に発車すると次は終着駅の東京駅である。横浜線の72系や京浜東北線103系を見ながら走り、長くて短かった「はやぶさ」「日南」「かいもん」「富士」の九州旅行を振り返りながら川崎の矢向踏切近くのある僕の家を一瞬に通過すると川崎駅と六郷川多摩川)を渡って都内に入り、品川駅先にある田町電車区・品川客車区・東京機関区の一大現業機関を横目に見ていたら車内放送が東京駅到着と乗り継ぎ案内を始めて東京駅12番線に定刻10:10到着した。

 

機関車番号と列車の時刻はメモ帳への書き込みミスがあるかも知れないが大きな間違いはないと思う。前のyahooブログでは「はやぶさ」と「富士」のみ簡単な感想としてレポートはしているが2019年春にM君とSkype通話で今回の九州旅行と来週UPする1977年に乗った下り「瀬戸」のレポート構築してやっとマトモなレポートを発表できる事になったが2019年夏の交通事故で一番読んで欲しかった人が既にこの世に居ないのが何とも悲しく切ない。

 

        ★★★★★Memories of the night train★★★★★

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