夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 はやぶさ(後編)

3月8日にUPした寝台特急 はやぶさ(編)の続きとなります。

 

埴生駅長府駅の間では待望の瀬戸内海が見えたけど新下関駅幡生駅のちょうど中間で京都から来た山陰本線の線路と合流して幡生駅構内に国鉄幡生工場(現下関総合車両所)が見えてくるといよいよ本州最西端の下関駅(7:54-58)に到着した。ヒルネ乗客が乗って来る可能性もあるので窓際席に荷物を置いて番をさせ、M君と先頭を目指すと東京駅から遥々1096.5㎞もの長丁場を牽引してきた東京機関区のEF65-1108が外れて門司機関区のステンレスコルゲートが美しいEF81-301を連結したけどHMが付いてないため、盛り上がりに欠けるようだ。

 

自分自身北海道は4回、東北も3回旅してるのに西は岡山から先は処女地であり、EF81の300番台も初めて見たのである。自販機で缶飲料を購入してから6号車のBOXに戻ると誰もいなくて一安心、やがて「はやぶさ」は関門海底トンネルで関門海峡を越えてトンネルを出てすぐのデットセクションにてAC20kV・60Hzへ切替えて九州初めての駅もある門司駅(8:06-11)に到着。この駅でも先頭に移動してEF81-301が外されると変わりに赤いボディの交流機ED76-52(鹿児島機関区)が連結されるといよいよ発車なので車内を歩いて6号車へ戻ると車窓から海が見える。

 

北九州市の中核部である小倉駅を通過すると周囲に工場や大きな煙突が見えて北九州の工業地帯を走ると山手線の秋葉原駅みたいに1階と2階のホームがクロスした状態とそっくりな折尾駅鹿児島本線若松線筑豊本線)を一瞬に通過。車内販売が来たのでホットコーヒーを購入して飲みながらM君と車窓を眺めるが夜は上段寝台への梯子となる畳んだアルミの棒がやはり邪魔である。遠賀川を渡ると市街地を抜けて山間部から田園地帯を走ると今度は福間駅くらいから住宅地が広がってきた。香椎線と合流すると松本清張推理小説"点と線"の舞台となった国鉄香椎駅を通過して吉塚駅では篠栗線と勝田線と合流。

 

そして山陽新幹線の高架が近付くと博多駅(9:10-15)に入線、多くのヒルネ客が乗る可能性もあるので窓際に荷物を置いて5分停車の博多駅ホームを歩いて売店で辛子明太子を土産に求める。車内に戻るとヒルネ客は増えていたけど博多から熊本方面の優等列車は宮崎行きの特急「おおよど」(8:25発)と熊本行きの急行「ぎんなん1号」(8:58発)以来なのと前を走ってる「さくら」は鳥栖から長崎本線に入ってしまうため、「はやぶさ」のヒルネは需要がありそうだが我々のBOX(コンパートメント)はテーブルに煙草にライターが散乱してて煙草臭く、誰も寄り付かない。

 

博多を発車すると竹下客車区と竹下気動車区が見えて南福岡駅では門ミフこと、南福岡電車区の横を通り、581系583系485系や475系・457系などが停車しているのを発見。更に原田駅の手前で筑豊本線と合流して原田~基山間で福岡県から佐賀県へ入り、基山駅の先で甘木線と分かれると「はやぶさ」は鳥栖駅を通過して長崎本線を分かれ、筑後川を渡って久留米駅(9:47-48)へ入線した。終着・西鹿児島駅まで残り5時間弱であるが始めての九州は自分にとって印象的でもあり、地図を片手に車窓を眺めたり、九州は3回目のM君からガイドしてもらえてあれから43年の月日が過ぎたけど記憶に残っている。

 

久留米駅を発車すると久大本線と分かれて羽犬塚駅で矢部線と分かれ、更に瀬高駅では佐賀線と分岐すると大牟田駅(10:16-17)に到着。荒尾駅を通過すると待望の有明灘の海が見えてくるが通路側なのが残念である。海が見える区間は短いので昼食の弁当は何にするか時刻表で駅弁を探すと種類は少なそうが熊本駅では5分間停車するのでゆっくり探すとしようなんて考えていたら列車は熊本駅(10:58-03)に停車した。熊本駅では「はやぶさ」の付属編成(7~13号車)を切り放して身軽になるけど我々は昼ご飯用の駅弁探しで熊本駅の中華弁当(500円)を購入。

 

列車は熊本駅を発車すると豊肥本線と分かれて左手に熊本機関区と熊本客貨車区が見えてきたが多くの旧型客車などが停まっていた。当時は鳥栖から西鹿児島まで延々と8時間半以上走る長丁場の旧客の客車列車もあって駅弁を買うと食べてしまいたくなるけどまだお昼には早いので我慢。八代駅(11:33-34)を発車して日奈久駅を通過すると進行方向右側に待望の海が見えてその先には天草の島々が見えて来たので熊本駅で買った駅弁でお昼にする。中華弁当は焼売、春巻、酢豚など中華の副菜が沢山入った豪華中華幕の内弁当といったところ。

 

駅弁も満足したが有明灘の海と天草に更に沖合いに見える島原も見えて初めての九州なのに天気に恵まれてラッキーであった。国鉄山野線と合流すると水俣駅(12:26-28)に停車して袋駅を通過するとすぐに熊本県から最後の鹿児島県に入り、出水駅(12:45-52)に到着した。出水と言えば丹頂鶴の飛来地でも有名だけど今の時期はシベリアへ帰っているため一羽も見ることができなかった。上り特急「有明(1014M)」を待っているとキノコ型クーラーばかりで先頭車と最後尾がボンネットタイプの485系がやって来た。出水駅を発車した「はやぶさ」は折口駅を通過すると海沿いに出て暫し、海を眺めていると阿久根駅(13:15)に到着。

 

阿久根駅を発車すると「はやぶさ」の次の停車駅は川内駅だが時刻表に掲載されてない薩摩高城駅に停車、実は下り「はやぶさ」が深夜の兵庫県内で上り「はやぶさ」とすれ違っているが、ここ薩摩高城駅は二度目となる上り「はやぶさ」とのすれ違い駅で運転停車である。先に下り「はやぶさ」が到着して上り「はやぶさ」の通過を待つ形ですれ違うのであるが1乗車列車中に2回も姉妹列車とすれ違うのは寝台特急では「はやぶさ」と「富士」だけである(夜行急行では「きたぐに」も同じである。6号車の窓からすれ違いを待って急いでオハネフ25の展望区画で離合した上り「はやぶさ」を見送った。

 

薩摩高城駅での運転停車を終えると海から内陸部へ列車は移動するので東シナ海とはお別れだがローカルな景色から少しずつ町らしさが広がってくると国鉄宮野城線と合流して下り「はやぶさ」最後の途中停車駅でもある川内駅(13:53-54)に到着した。泣いても笑ってもあと28分で終着駅の西鹿児島駅「現鹿児島中央駅」(14:42)なので21時間57分・走行距離1518.2kmの長旅もあと僅かである。伊集院駅の手前では鹿児島交通・枕崎線の線路が近付き、車内では車掌が乗り換えの案内放送も始まり22時間近く住んだこの列車ともお別れの時がやってきた。長い道中だったが無事西鹿児島駅に到着。

 

ホームに降りて最後尾のオハネフ25-117のテールマークを眺めながら今回の長旅を振り返りながら自分達は乗り換えのホームに消えた。今回は人生初めての長距離ブルートレインの旅という事で伝えたい事が多くて余りにも長くなり過ぎたので前編と後編の二部制に分けたので文章が読みづらくなり申し訳ありません。

 

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★