夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 北陸(B1)

1995年12月24日(日曜日)、 言わずと知れたChristmas Eveであるが自分にとっては37回目のクリスマスイブとなるこの日の夜は北陸旅行を終えた妻子と一緒に金沢駅ホームで寝台特急「北陸」の入線を待ちわびていた。流石に石川県金沢市の12月下旬にもなると気温もかなり冷え込むが、家族3名で凍えながら上り寝台特急「北陸」の入線を待っていると6番線ホームに21:46、長岡運転所のEF81-144の牽引で入線。帰路も9号車なので扉が開くと尾久客車区のスハネ24-755に乗り込み、帰路も9号車限定にてみどりの窓口・10時打ち3ヶ所で入手した各自の個室に入った後に荷物を置いて記念撮影や買物を済ます。

 

今回用意できたBソロは9号車の3番(1階)、4番(2階)、5番(1階)の別駅みどりの窓口手配でも連続番号とは驚きで3番は嫁、4番は息子で5番は自分に決めては行きと帰りで1階と2階を分けて個室配分した。22分間の停車時間があるので金沢駅では買物や記念撮影が時間に追われる事なくできたけど、とりあえず5番の部屋に集合して飲み物と食べ物を窓際のテーブルに載せて22:08、金沢駅発車と同時に乾杯した(お酒は僕のみ)。車掌がくると特急寝台個室券と帰路の乗車券を呈示して車掌が去るとコンビニで購入した2個入りカットショートケーキや加賀あんころ餅などで夜食を楽しむ。

 

列車は10分で津幡駅(22:18-19)に到着すると、子供は早く自分の個室で流れる景色を眺めたいようで気も漫ろになって来たので金沢駅発車してから20分余りで解散して各自の個室に散ったが本音を言えば明日朝上野駅に到着すると自宅で休憩後に出社するので早く寝たいのであるが昨夜の温泉宿では8時間寝てしまったので今夜は眠気さえ来ない。倶利伽羅と石動の駅間にある倶利伽羅峠で石川県から富山県に入って高岡駅(22:42-43)へ入線した。ビールの追加が欲しくても停車時間は短く、2号車の自販機はソフトドリンクしかないので明日も早いので浴衣に着替えてベッドに横になった。

 

今夜乗ってる9号車のスハネ24-755はオハネ14-92から改造された車両で転配歴が見事なので紹介したいと思う。1972年8月4日に新潟鐵工所で新製された該当車両は向日町運転所へ配備されると「あかつき」で使われる。1973年10月に早岐客貨車区転属後、「あかつき」「彗星」「明星「日本海」と使われるが「あかつき」と「日本海」が共通運用を組むと異例の長期離運用となり、大阪到着の「あかつき」から「日本海」への通し運用を受け持っていたから、九州~青森間(長崎・佐世保~大阪~青森~大阪~長崎・佐世保)を往復して出庫から早岐区へ帰還するまでに5日間を要した。

 

1978年に新型の14系15形が早岐へ新製配属されると不要になったオハネ14-92ら14形85両は1978年10月に尾久客車区へ転属すると「北陸」「北星」「ゆうづる」の運用に就き、その後も「妙高」「津軽」「能登」の14系座席車と併結する運用にも入り、1985年2月27日に三段寝台から二段寝台改造され、1989年11月22日に「北陸」用のBソロ個室(スハネ24-755)へ改造された。因みにスハネ24の700番台がソロにシャワールームと談話室が併設された車両で750番台がオールソロの車両になっている。

 

就寝中の停車駅と時刻[* は運転停車富山駅(22:58-58)・魚津駅(23:17-18)・糸魚川駅(23:57-58)・直江津(0:27-30)・長岡駅*(1:30-2:06)・越後湯沢駅*(3:05-09)・水上駅*(3:48-50)・高崎駅(4:44-46)・大宮駅(5:53-54)。目が覚めたのは大宮駅を発車して京浜東北線北浦和駅周辺だったが嫁か子供が扉を強くノックしたというより、僕が起きないから扉を叩いたらしいが急いで飛び起きて洗面&トイレと下車準備が終わると列車は尾久駅に差し掛かっていた。まだ頭の中は寝ているけど嫁と子供も夜更かししてた様で眠そうでもっと寝ていたいと不満を漏らしていた(自業自得だ)。

 

まだ頭の中は寝ぼけてる中、寝台特急「北陸」は定刻の6:19に終着駅の上野駅13番線ホーへ牽引機の確認をしたいので一番前までホームを歩くと一般B寝台の下段に使われてない浴衣とシーツなどリネン類がそのまま畳まれて置いてあるので昨夜の利用客は少なかったようだ。9号車のソロでさえ、4割近い個室が空いていたからやはり翌日平日になる日曜日の寝台列車は人気がないのがよく分かる・・・3年3ヶ月後の1999年3月には12両だった「北陸」編成が8両へ減車された。ホームを9両分歩くとようやく牽引機の姿が見え、長岡運転所のEF64-1029だった。

 

山手線で田端の我家に帰宅後、シャワーを浴びて朝食を食べて僕はスーツに着替えて会社へ通勤したが6時間以上寝れたので思ったほど眠さはなかった。なお後日、嫁と子供に聞くと個室の往復1人利用は楽しかったそうで翌年の1996年にも企画したのは言うまでもない。8時間11分という定期寝台特急の中では一番走行時間が短い列車で殆ど寝ている時間のため、更に翌日仕事なので早く寝て朝もギリギリまで寝てた事により、本来の乗車レポートでは内容が薄くなる関係上、乗車した列車の転属歴や使用された列車の紹介もさせてもらった。

 

       ★★★★★Memories of the night train★★★★★