夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

寝台特急 みずほ(惜別乗車)

1994年10月8日(土曜日)、東京駅9番線ホームでいよいよ1994年12月2日を最後に廃止される寝台特急「みずほ」の入線を待っていた。メンバーは4名で本来なら最終日の2週間くらい前がベストなのだけど同じ時期に2連泊夜行往復だと普通のサラリーマンには有給休暇を取得する必要があるし、東京18:00発だと定期退勤でも時間的に厳しいので三連休がある10月8日に出発すれば東京から離れている参加者にも時間的な余裕が生まれるから10月8日を出発日に決めて「みずほ」は熊本行きと長崎行きに分かれるけど、長崎中華街のランチが良いとの意見で往路:「みずほ」の長崎編成(禁煙車)に決定。

 

帰路は同じ日に臨時列車に格下げする「あさかぜ1・4号」の「あさかぜ4号」:カルテット(B2)利用という骨子が決まり、加入している鉄道趣味団体のメンバーから参加者を募ると私(36歳)、S氏(37歳)、M氏(36歳)、W氏(35歳)という、平均年齢36歳のメンツで全員非喫煙者で話が纏まる。 指定券は10時打ちで禁煙車の14号車の13番下・上段と14番の下・上段を同じコンパートメントになるように確保して東京駅8番線の14号車乗降口で待ち合わせた。 M氏は土曜日の羽田13時到着の飛行機で来京したため、行動を共にして早めに東京駅9番線ホームで待っていると先発の「富士」が発車する前に4人が揃ったのでジャンケンで寝台を決める。

結局僕とM君は下段をGETして他は上段に回ったが、そうこうしていると17:48に「みずほ」が東京駅へ入線したので早速乗り込んで、デビューから33年間で引退する寝台特急「みずほ」を労う気持ちで乾杯した。 今回のメンバーを紹介しよう・・・M氏は高校1年からのクラスメイトで鉄道趣味友達・20年の付き合い)、S氏とは18年の付き合い(何れも1994年10月8日現在)。 弊ブログで何回も登場している。 W氏は1984年1月の下り鈍行夜行「ながさき」などの車内で出会って文通の後に僕が、鉄道趣味団体へ誘っている10年半の付き合い。 今では全員妻子がいて仕事の事や嫁子供の話題が多いけど全員夜行列車が好きなので楽しい集いになりそうだ。

 

有楽町~浜松町のオフィスビル群を眺めていると寝台特急はやぶさ」の回送7列車とすれ違い、田町駅先のJR3大現業に目を向けると田端運転所、下関運転所他からの電気機関車を眺めて、次に「出雲1号」以降の寝台列車群を眺めながら機関車ネタで雑談。 EF66-44が牽引する寝台特急「みずほ」は定刻どおりの運転で横浜駅(18:26-27)を発車すると14号車(スハネフ14-8)は3割にも満たない乗車率でこれでは廃止になっても仕方ないかな。 寝台特急「みずほ」という列車は「さくら」と「はやぶさ」の補間的な役目だからどうしても人気が薄くて今日集まった3人も最初で最後の乗車だった。

 

自分は1985年6月14日、出張の帰りに広島~東京間で利用してるがこんな事を書いている・・・こんな時でもないと「みずほ」に乗る機会もないため、初めて乗りたくない列車を趣味的に選んでしまった(笑)・・・と。列車は夜の東海道線をひた走り、熱海駅(19:23-24)に到着すると丹那隧道(全長7,804m)に入った。 東京駅から約1時間25分、ノンストップで飲んできた我々も流石に飲み疲れ&話疲れたので持参の弁当で夕飯にする。 僕はM氏がどこかの駅で買ってきた崎陽軒シウマイ弁当、S氏とW氏は東京駅のチキン弁当に別れた。楽しい夕飯中に富士駅(19:54-55)に停車して夕飯を食べ終えると静岡駅(20:22-24)に入線。

因みにスハネフ14に搭載のディーゼル発電機を回すエンジン音だが、走行中は気にならないけど駅に停車中はエンジンの回転数も上がるため、どうしても気にはなるけどこれは寝台へ横になったらの楽しみではある。 21時頃に「既にお休みのお客様も居られる様ですが、放送によるご案内は緊急事態を除きまして明朝徳山駅までお休みします。 就寝される時は貴重品にご注意ください。 洗面所では懐中物の忘れ物が多いようですが、ごゆっくりお休み下さい」と続いて停車駅の時刻案内で車内放送が終わるとすぐに車内灯は減光された。 寝台特急「みずほ」は21時に世間では少し早い深夜帯に入ったのだ。

 

流石にまだ寝る気になれず14号車の展望エリアに集まって4人で流れる景色を見ながら鉄分の濃い話をしていると浜松駅(21:17-19)を発車して浜名湖の鉄橋を渡り、21:44に通過した豊橋くらいでベッドに入ってヒソヒソ声で雑談してたが、名古屋駅くらいで寝たようである。 就寝後の停車駅と時刻、名古屋(22:28-30)・岐阜(22:50-50)・米原<23:29-31>・京都(0:17-18)・大阪(0:47-49)・岡山<2:51-53>・広島(4:58-5:02)・岩国(5:36-36)…運転停車は<>で表記。 目が覚めたのは徳山停車前で多分到着前の車内放送で起きたのだと思われる。 徳山駅(6:28-30)を発車すると珈琲と駅弁満載のワゴンが通過。

珈琲の香りで目覚めたのか他の3名も起きて来て車内販売のホットコーヒーや朝食の駅弁を買い求めたりしながら自分もホットコーヒーを飲んで朝食のあなご飯を食べて更にホットコーヒーのお代わりをしていたら列車は小野田駅(7:30-30)に停車した。 寝台特急「みずほ」は小野田駅からA寝台とB寝台がヒルネという座席利用になるけど自分達はワンボックス定員で確保してるから関係ない(朝から男4人集まって鉄道の話で盛り上がってたら普通の旅客は基本近寄らないからね(苦笑)。14系のA寝台が連結されてる「さくら」と「みずほ」の2号車のみベッドの解体や設営は行われている。

 

しかし3段ハネも1984年からは2段寝台へ順次改造されて3段寝台の昇降機スイッチを操作させて中段寝台を上下させる朝と夕方の風景は見れなくなってしまった。 昔はベッド設営やベッド解体時に食堂車へ避難する乗客も多くてその時間帯の食堂車は賑わったのが今(1994年)では食堂車さえも営業を辞めてしまった…そして寝台特急「みずほ」の惜別乗車とは何とも残念な姿だけど「みずほ」「あさかぜ1・4号」の廃止が東京発着寝台特急の削減に繋がる布石になるとはこの時点では誰も思ってもみなかった。 列車は本州最後の駅でもある下関駅(8:06-10)に到着、やっと1095.9kmを走った実感がある。

先頭へ移動すると下関運転所のEF66-44は既に本編成から外されて、大分運転所のEF81-
411が、連結されるところだったが早々に最後尾まで移動いて途中から発車ベルが鳴ったので9号車くらいから車内に飛び込んで14号車まで歩いて移動した。 ホームから5号車の食堂車(現在は売店)を眺めたら誰も乗ってないのでいつも以上に寂しく見えたのは自分だけではないだろう。 下関駅を発車するとすぐに関門トンネル(全長3614m)に入って、トンネルを出るとすぐにデットセクションを通過してAC20kV(60Hz)に入り、門司駅(8:18-23)に入線した。

門司駅では大分運転所のED76-91が連結されてる筈だがまた14号車から1号車まで歩い
て1号車から14号車まで移動するのは大変なので門司駅での5分停車は後ほど車掌から聞
いてホームに出て寛いだり、飲み物を購入タイムで利用で終了。 門司を発車すると小倉駅(8:30-31)に停車するが平日なら通勤・通学ラッシュで混雑する時間帯だけど日曜日なので通過するホームも乗客待ち客は疎らである。 列車は北九州の工業地帯を走りながら九州旅客鉄道の本社がある、お膝元駅の博多(9:26-27)に到着。 寝台特急博多駅まで来る(下車ではなく、通過点だけど)のは1991年4月27日以来、約3年半振りだけど初めてみる列車もあり、興味津々。

九州へのローカル線乗り鉄は約8年前で終了しており、その後は列車撮影での九州入りだから乗ってない列車や形式も多くて新鮮に映ってしまう。 博多駅を発車すると26分で熊本行きの基本編成と、長崎行きの付属編成を切り離す鳥栖駅(熊本行9:53-58)(長崎行9:53-10:05)到着した。 鳥栖といえば鳥栖機関区⇒鳥栖運転区と鳥栖操車場が、あったけど数年後にはサッカースタジアムが完成するとはW氏の弁。 4人で熊本行き「みずほ」を見送ると今度は長崎編成の先頭に大分運転所のED76-77が、連結されたので大の大人4人で機関車の前に並んで記念撮影、シャッターは近くにいた車掌にお願いした。

鳥栖駅の12分停車は有意義で楽しかったがS氏が発車直前にレジ袋を提げて戻って来たので何か土産でも買ったのかと尋ねれば岐路に乗る「あさかぜ4号」での酒宴で酒の肴に鳥栖駅の駅弁売場で売ってた鳥栖中央軒の焼売折詰との事で帰路の酒宴が楽しみである。鳥栖駅を発車すると鹿児島本線と別れて長崎本線に入り、吉野ヶ里遺跡にほど近い、吉野ヶ里公園駅を通過すると佐賀駅(10:24-26)に到着。 市街地を抜けると田園風景に戻って暫く走ると運転停車肥前浜駅(10:57-11:01)に到着すると上り特急「かもめ14号」がハイパーサルーンの783系で入線した・・・長崎本線肥前山口諫早間は単線区間なのである。

肥前浜駅を発車すると少しずつ海に近付き、肥前七浦駅くらいから待望の海が、進行方向左側の車窓から見えてきた。 車内販売のビールで喉を潤している参加メンバー4人は「海だ海だ」の大騒ぎでこの先、長里駅まで有明海を堪能。 やがて列車は大村線島原鉄道乗り換え駅の諫早駅(11:43-44)に溶着・・・終着駅の長崎駅まではもうすぐである。 窓際に並んだ空き缶やゴミをデッキのゴミ箱に捨ててから下車準備を終えると鳥栖車掌区の車掌による丁寧な長崎到着放送が聞こえてきて18時間4分の長い旅も終えて定刻12:04長崎駅に到着した。

 

夜行列車で長崎駅に降り立つのはこれで4回目(「さくら」2回、「ながさき」1回、「みずほ」1回)だけど1984年が最後でなんと10年振りである。 長崎駅から長崎駅前駅まで移動して長崎電気軌道に乗って新地中華街駅で下車。 4人で中華街の1軒に入り、ちゃんぽんや皿うどんでランチを楽しんだが当然の如くテーブルには瓶ビールも並んで乾杯した(昼の酒は極楽)。

         ★★★★★Memories of the night train★★★★★