夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

北斗星5号(SA1)・大幅遅延

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2019年3月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。特に印象に残った懐かしく、想い出深い夜行列車レポートを不定期で掲載しています。なお一部駅の時刻や一部の電車や気動車の番号などに相違がありましたらご了承願います。

 

1993年8月7日(土曜日)、私は上野駅13番線ホームで、寝台特急北斗星5号」の入線を待っていた。下り北斗星に乗車するのは昨年8月11日以来、1年ぶりで「北斗星5号」に乗るのは何と1989年4月29日以来何と4年振りである。1990年にオロハネ25-556.557.558が、デビューしてその後にはオールソロやオールデュエットが、デビューして「北斗星1・2号」ばかり乗る習慣になってしまい、この時期なら津軽線の車窓も楽しめる「北斗星5号」を選んだのである。久々の単身「北斗星」なのでSA1を奢り、10時打ち数ヶ所にて希望のロイヤル指定券とディナーも予約した5日後、北海道に大きな地震が襲った。

 

1993年7月12日・午前10:17、北海道南西沖地震で大津波が原因で奥尻島青苗地区を初めとする地域で壊滅的な被害を受けて死者202人、行方不明者28人を出した平成になって初めての大災害である。JRも江差線函館本線・一部の室蘭線で不通になったが1週間未満で運転開始されたので差し支えないだろうと「北斗星5号」乗車日に自宅から上野駅まで移動して本文冒頭に戻る。ホームで待っていると18:46に推進運転で「北斗星5号」となる回送1列車が入線。私の勤め先は8/8~8/15まで9連休だが、夏休み(お盆休み)に入った企業も多く、13番線にはファミリーの帰省・レジャー客が多く、「北斗星5号」で帰省したり遊びに行く客が多い様だ。


早速私も3ヶ所のみどりの窓口で10時打ちにてGETした、10号車(オロハネ24-553)に乗り込み、12番個室の扉を開けると久々に見たJR東日本北斗星ロイヤル2次車だがデビューしてまだ4年なので新しい。 部屋に荷物を置いて先頭へ行けば田端運転所のEF81-96号機が連結されているのを確認してからロビーカーでサッポロクラシック缶を一気に飲み干して部屋に戻るに戻ると発車時刻19:03が近い。すっかり日が、暮れた上野駅から鶯谷駅界隈を走り、聞こえて来た車掌の車内放送では今夜の個室と寝台は全て売り切れとの事である。

 

詳しい到着時刻や編成案内に洗面所での懐中物忘れ注意に続いて青函トンネル進入時刻と出る時刻の案内に4分くらい要しており、流石に長距離を走る寝台特急である。 赤羽付近走行中にグランシャリオスタッフが、ウェルカムドリンクのサービスに来たのでモーニングコーヒーと和朝食のルームサービス時刻を伝えておいた。 早速運んでくれたモーゼルワインを飲むとやや独特の酸味が強いリースニング種の白ワインがフルーティーである。

 

上り北斗星のウェルカムドリンクでサービスされる小樽ワインのミュラートゥガウ・完熟フリーラン(完熟フリーランとは完熟白葡萄を人工的な圧力をかけて葡萄果汁を絞るのではなく、葡萄の重みで自然に搾れた果汁の事)は僕にとってやや甘すぎるのでモーゼルワインの方が好みであるのだが1996年くらいに下りの北斗星も小樽ワインになり、下りのウィスキーミニチュア瓶もサントリー・ローヤルからニッカ・ブレンドオブニッカへ統一されてしまった経緯があるけどメルシャンがドイツから輸入していたモーゼルワインが品薄になったためだと評する北斗星愛好家もいた。



大宮駅(19:28-29)を発車してすぐにグランシャリオ・ディナータイム(19:30~21:00)のオープニングの案内放送が聞こえて来たので食事予約券を持参して7号車のスシ24-506へ行くと2人用のテーブルに案内されて「オマール海老のサラダ、ロシア風」からコース料理スタート。ディナーメニューに含まれているグラスワインでは足りないので別オーダーの赤ワインと共に楽しんでいると宇都宮駅(20:27-29)に到着。ディナーコースは「海の幸の軽いクリーム煮」「牛フィレ肉の網焼きマスタードソース」「季節のサラダ」「洋梨のタルトケーキと洋梨のソルベ・フランボアースソース」「パン」「珈琲(紅茶でも可)と小菓子」(順不動)がコースメニューで1万円ディナーとしては及第点。


ただし惜しいのはオードブルの「オマール海老のサラダ、ロシア風」とサブメインである「海の幸の軽いクリーム煮」の味が、何となく風味が似かよっていた点が、残念だと思う。このコーナーは私の好みを記述すべき場所ではなく、味覚なんてその時の気分で変わるから飽くまで参考的趣旨で読んでもらえたら幸いである。ラストの珈琲まで美味しく味わって別会計ワインの支払いを済ませて自分の部屋に戻ってからシャワーを浴びた後に氷の追加を貰って水割りを飲みながらVTR配信している映画を鑑賞。

 

夏休み連休前の業務多忙で遅くまでの残業が、続いたので郡山駅(21:54-56)発車を確認してから早めの22時に就寝。以下就寝中の停車駅時刻(*印は運転停車) 福島(22:30-31)・仙台(22:32-34)・*盛岡(1:41-43)・*青森(4:11-20)。 岩手県内でトイレで目が覚めて次に目が覚め東青森駅付近だったと思うが、ガクンって感じで停車した様だったと記憶している。その後は25分くらい停車して徐行で青森駅まで走ったけど青森駅に停車したままなので車掌室へ行くと青森駅で交代した札幌車掌所の車掌はホームの助役?と真剣な顔して話し込んでる。

 

埒が、明かないので持参した無線機でCタイプ入替え周波数に合わすと海を越えて函館輸送指令が入感。 どうやら道南で大きな地震が発生して海峡線~江差線函館本線~一部の室蘭線は抑止との情報で「北斗星1号」は函館駅で、「3号」は木古内駅にて抑止中との事で、のちに北海道南西沖地震の余震(M6.5)だと後に知った。時間帯からして放送での案内はなく、運転停車青森駅停車中にモーニングコーヒーが届き、更に昨夜予約した和朝食が届いて停車中の583系を見ながらの朝食だった。 ようやく線路の点検も終わって結局青森駅を発車したのは所定時刻より約3時間の遅延だった。

以降、蟹田駅での上り貨物すれ違いの運転停車や新中小国信号所から先の複線高架区間も通常よりやや遅く走って青函隧道手前で上り急行「はまなす」とすれ違い、遅延が嵩んだまま函館駅に到着( 因みにED79は車掌に聞くと6号機との事)。 函館では10分停車するらしいので本日札幌で会う友達に約束の時間には到底間に合わないため、夕方に変更してもらうべく、駅ホームの売店併設・公衆電話から連絡して先頭の機関車を確認すると空知運転所のDD51の1143+1093重連を確認して車内に戻ると4時間弱の遅延で函館駅を発車。 車内販売員が、函館駅で積み込んだ新聞を届けてくれて赤井川駅付近で扉をノックをする音が・・・。

 

個室の扉を開けるとJR北海道函館支社の人が弁当を配りに来て朝食は既に済んでいるため、昼食で頂く事にする。当時は災害などで完全不通にでもならない限り、函館駅打ち切りなどの策は行わなかったが、今日は優等列車へ乗り継ぐ予定もなく、所定運行か多少の遅延なら小樽方面まで足を伸ばして海鮮ランチをと考えていたが、急遽大幅遅延で取りやめとなり、夕方からは趣味仲間との飲み会からの参加となる予定だ。 列車は森駅(通過)から内浦湾沿いを走るが、長万部、洞爺、東室蘭など通常は1~2分しか停車しない駅に3~6分停まるので自然と遅延は増して速度制限がある地域もあるので更に遅れは増えている。

JR貨物・鷲別機関区を過ぎて虎杖浜の海岸が見えて来た時にJRから支給された函館駅
幕ノ内弁当でやや遅めのお昼にしたけどロイヤルのゴミ箱が、満杯でデッキのゴミ箱へ捨てに行くとおにぎりのパックを捨てに来た乗客と会ったが、どうやら弁当支給はA個室だけでB個室やB寝台はおにぎりパックだけの様であった。苫小牧を発車すると札幌まで所定運行なら53分なので下車準備をして到着を待つが、札幌駅ホームが空かないのか苗穂駅~札幌駅間で停車して4分ほど待たされた。やっとホームの空が出たのか、列車はゆっくり徐行運転のまま札幌駅へ無事入線した。


実に20時間23分間という長い時間を要した「北斗星5号」の旅だったけどロイヤル個室が、
快適で苦痛だとは思わなかったけど自分が今までに乗った夜行列車の大幅遅延は1980年12月末に乗った上り急行「越前」が4時間20分遅れが記録だが、それを軽く乗り越える大幅遅延で自己記録レコード更新である。札幌駅の精算所で特急寝台券を呈示して特急料金3,090円を払い戻して当時僕の定宿である札幌駅北口からから徒歩1分のホテルクレスト札幌にチックインした。

 
夕方17時過ぎから道央エリアに在住している鉄道趣味仲間との飲み会では大幅遅延の北斗星5号のネタ話で盛り上がったのは言うまでもない。

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           ★★★★★Memories of the night train★★★★★