夜行列車の想い出

現在ではサンライズ以外廃止になった定期夜行列車だけど過去の夜行列車・想い出乗車レポートと夜行列車に纏わる懐かしい夜行列車ブログです(1975年以降から)

夜行列車のマークについて

下記本件ブログは2019年12月で消滅する弊yahooブログで2019年3月に紹介した内容を加筆修正して本ブログに再掲載となりますのでご承知願います(ブログ移行失敗による一部のブログ記事救済策)。"想い出夜行列車レポート"ではない、記事を不定期で掲載しています。

 

夜行列車には多くのテールマークや牽引する機関車の頭にはヘッドマーク(以降H.Mと略)が、取り付けられて列車の行先や情報も事前に分かるし、夜行列車の旅情や浪漫も覗けたりするのが、列車の前と後ろに付いているマークは夜行列車には欠かせない顔であり、アイテムなのだ。 そんな夜行列車のH.Mも自分が、幼かった11歳(1969年当時)の頃は東京発着の寝台特急くらいしか掲載されてなくて浜松機関区のEF58牽引だった「いなば」と「紀伊」は対象外であった(浜松機関区のEF58はHMステー取り付けが、ない機関車があるのと労使問題に原因があるとか?)。

 

それでも客車の最後尾・切妻にはバックサインとも呼ばれた文字のみのテールマークが、表示されて旅情を醸しだしていた。実家に程近い東海道線・川崎駅に近い矢向踏切で
されて旅情を醸し出していた。 実家に程近い東海道線・矢向踏切でEF65P(旅客用500番台)が牽引するブルートレインに装着したH.Mに魅せられたのが、ルーツで現在61歳になっても夜行列車の旅情と魅力に取り付かれている訳である(定期夜行列車はサンライズのみだけど)。そんな夜行列車のH.Mに魅せられた訳だが日本国内の定期特急ブルートレイン全てにH.Mが取り付けられたのは1983年3月改正からだと記憶する。

1983年と言えば私自身が25歳くらいで夜行列車にはガンガン乗ってたし、新たなるH.M取付けや文字マークや絵入りマーク取り付けで2000年から開始した当時の個人HPサイトでも文字マークや絵入りマークに機関車に取り付けたH.Mのアップ写真をimgタグで貼り付けて説明文章を添えて作成した事があるけど、当時から文章が長くなる嫌いがあってまだアナログのISDN回線だったので時間がかかり、通信代としての電話通話料も嵩んだ思い出がある。

 

機関車の先頭に付けられたH.Mや客車・電車などの前後に付けられたH.Mにテールマーク等、夜行列車にも多々のマークが、掲載されたけど各自お気に入りがあるのだろうけど列車の設備や性質他などは考えずにマークのデザインで考えると好みのマークが、色々と思い浮かぶ。私個人的には「瀬戸」「利尻」の2種がお気に入りで 全て機関車に掲示するH.Mだけど客車後部のテールマークと同じほぼデザインである。 「瀬戸」はまだ暗い時間帯に到着した終着が宇野線宇野駅だった頃をイメージしているのだろうが、まだ暗い海と空の下に見える瀬戸内海の島々と白い波をイメージしたものでEF65Pが牽引するシーンが好きである。

 

「利尻」は旧型客車の頃にはマーク類の掲載は無かったけど、14系されると赤いDD51にH.Mが、スハフ14やスハネフ14のテールマークにも絵文字が入っていた。最北端へ行く夜行列車だけでも浪漫を感じるのに「利尻」のマークはどうだろう・・・日本海オホーツク海が混じった宗谷海峡の沖合いに残雪が、残る利尻島利尻島?)のディテールが浮かび上がってるマーク。いやが上にも北の離島の浪漫と憧れに胸が熱くなります・・・実は僕が一番好きなマークでもありますが、急行「利尻」下車から直接利尻島へ渡った事が、ありません・・・敢えて好きな2種のマークを選びましたが、他には「北陸」「日本海」「まりも」のマークも好きですよ。

 

寝台特急に限って言えば早期からH.Mや絵文字テールマークが付いてたから良かったけど座席車が、連結されていた夜行急行は廃止になるまで「急行」のまま・・・なんて列車も少なくなかったのです。それでも「急行」と表示されるならまだ幸せかも知れない・・・夜行急行列車の車両が12系座席車や旧客だとテールマークさえ無いのだからこればかりは致し方がない(それでも急行「ちくま」や急行「だいせん」のスハフ12では一時期、行燈式の照明付きテールマークを後付していたのには拍手です)。

 

12系座席車は急行車両、14系座席車は特急車両の固定観念が、植え付けられていたし、事実当時の定期夜行急行で14系座席車が使われていたのは急行「阿蘇」「くにさき」「雲仙」「西海」のみ。都内発着の夜行急行に14系座席車が投入されたのは急行「十和田1・6号」「銀河51・52・53号」の季節列車と臨時列車だけだった(何れも1976年10月1日改正から)。当然定期急行の「八甲田」「津軽」「十和田3・2・5・4号」「能登」「越前」「妙高」「きたぐに」等は12系か旧客・1部20系ロネ改造・座席車だったのだ。 その急行列車の中でもテールマークの急行表示だった箇所へ列車名を入れた20系が現れた。

 

急行「銀河」と「天の川」である・・・列車名の文字から絵入りに進展して20系の臨時急行まで普及したのである。臨時列車では「おが」「あおもり」「桜島」「雲仙」「明星」「玄海」など寝台専用急行を中心に取り付けられてる。折りしもそんな時に北から座席車中心の夜行急行が、14系だけど絵入りマークを引っ提げて東京北鉄道管理局と盛岡鉄道管理局に渇を入れるべく登場したのが、北の夜行急行三兄弟こと、急行「利尻」「大雪」「まりも」で北海道の観光ポイントを絵入り文字マークのテールサインを用紙して登場。

 

専用絵入りテールマークだけでも素晴らしいのにJRになると機関車の先頭に専用H.Mを取り付けてED76-500(利尻・大雪のみ)やDD51(利尻・大雪・まりも「夏季の大雪のみDE10またDE15牽引」)にもH.Mが取り付けられた。数年後に14系の急行「利尻」はキハ40・48を改造したキハ400・480に変わってしまったが、キハ400系の先頭に丸型ヘッドマーク掲示したのは大したものだ。北海道は頑張ってるのに東日本界隈の夜行急行も14系客車に変わりつつ、あるけど相変わらずヤル気がないのか、列車愛称名は一切入れずに入れても精々「急行」表示とクールな事。


それでも大ムコの原色583系に急行「きたぐに」が絵入マークになったり、急行「能登」が、
14系から489系に変わった際、マークが用意されたけど日本を代表する夜行急行の「八甲田」や「津軽」さえもマークは用意されなかったのだから、利用者やファンを舐めてるとしか言えないけど14系「津軽」の最終10日間に限ってEF65PFのみ惜別を意味したH.Mが付けられたけど14系のテールマークは最後まで急行表示だった(因みに廃止10日前から取り付けられた「津軽」のH.Mは2019年に秋田~青森でリバイバル運転された急行「津軽83号」のED75に取り付けられたマークと似ています)。

 

そんな夜行列車のマークだけど国鉄時代より、JRになってからの方が考え方がスマートになって夜行列車末期では快速列車までH.Mなどが、取り付けられるようになったのはすごい。新宿~村上を165系電車で結んだ快速「ムーンライト」(後のムーンライトえちご)には金属製H.Mが、クハ165やクモハ165に装着していた。また函館~札幌をキハ56系気動車で運行して快速「ミッドナイト」キハ27やキハ56に鉄板製の丸いH.Mが取り付けられたのは素晴らしい事であり、嬉しくも思ったものだ。

 

その後夜行列車が一気に衰退→凋落化して一気に消えたが、奇跡的に定期列車として唯一残る列車が、「サンライズ」だけど"SUNRISE EXPRESS"のロゴマークは塗装してあるものの、列車名のマークがない奴が最後になりそうとは・・・ヤレヤレである(苦笑)。

           

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雪が少し付着した北斗星マークを付けて雪の中を驀進する北斗星


         ★★★★★Memories of the night train★★★★★